菌類に学ぶ平和な世界(後編)

菌人類で楽天的に

出川 動物の哲学というか、動物の考え方ってちょっと悲壮感が漂っている気がするんですよね。なんか、「ねばならない」というか。菌類ってもっと楽天的で、胞子も風任せでたくさん飛ばして、死んじゃってもいいけど、どれか生き残ればいいやみたいな。もちろん動物でも多産多死のもいるけど、高等動物ではわずかな数しか卵を生まなくて、何が何でもこれを守っていかなきゃいけないみたいな…

伊沢 だから高等といわれるものほど、どんどんそこに突き進んでいって… むしろ下等といわれるもののほうが気楽に生きてるよね。

出川 そうかもしれないですね。高等とか下等とかいうのも人間本位の評価ですよね。相手に敬意を払って、そういう生き物を、「面白い生き方してるな、個性的だな」と尊重して見ていく先に、「あ!こんな生き方も出来るんだ」ということが分かったら、それを自分の人生とか社会に活かしていく、というのを目指せるといいんじゃないでしょうか。

 というのも、菌類だけの話じゃなくて、あれだけ周りから認められていた写真の仕事を捨ててウンコの世界に飛び込んじゃった伊沢さんを見ていても、そこから学ぶという姿勢がとても大事なんだと思えるようになってきたんです。

伊沢 えっ、ということは…… 糞土師の私はもうすでに、動物のヒトからちょっと外れているっていうこと? このところ「しあわせな死」を考え、探究するようになってからというもの、いろいろな縛りがどんどん無くなってきてずいぶん楽になったのは事実だけど…それはもしかすると、少しずつ菌類に近づいているのかもしれないね。キノコのことを菌蕈(きんじん)とも言うけど、さしずめ私は「菌人」ということなのかな?

出川 まさしくそうですね。伊沢さんの生き方は、動物としての制約にとらわれずに自然体で菌類の境地に近づいている、新人類ならぬ「菌人類」のさきがけだと思いますよ。

伊沢 なるほど! 私は分解者としての菌類に魅せられて、それを広めるために自主的に写真家になり、そして糞土師になったとばかりずっと思っていたんです。でも、じつは菌に魅入られてその世界に引き込まれちゃったのかも。だからこそ死が怖くなくなったどころか、むしろ死の意義を認識できるようになったのかもしれないですね。

 これからは糞土師としてだけでなく、菌人としても、平和でしあわせな世界を、いや、菌界を目指して、せっせと菌糸を伸ばしていきますよ。

 出川さん、本当に素晴らしい気付きをありがとうございました。

<了>

(取材・写真 / 飯島礼)