SDGsを盲信していいのか?(後編)

酒井敏(静岡県立大学副学長)×伊沢正名(糞土師)

前回に引き続き、SDGsを捉え直すことをテーマに、酒井敏さんとの対談を続けました。

「役に立つ」が基準でいいのか

酒井 前半の記事では、谷川俊太郎の『あな』という絵本の話をして、目的がないと何かを始められない人が増えているというお話をしました。その元凶はやはり、学校教育だと思うんです。

公教育では2002年度以降から2010年代初期まで、ゆとり教育が行われていましたよね。本来ゆとり教育の目的は、知識の詰め込みを緩める代わりに、自ら学ぶ主体性を育てることでした。ですが、結局先生が順応できず、授業のスピードがゆっくりになっただけで終わってしまった。

授業がゆっくりな分、周りよりも早く解けてしまう生徒が出てきますよね。そうすると、その子は「まだできていない子の面倒を見なさい」と叱られる。

そんなこと言われたら、子どもは馬鹿馬鹿しくなって、解けてもじっと座っているか、先生が期待するスピードでゆっくり解くか、になってしまう。さっさと目の前の問題を解き終えて、「自分の好きな穴を掘ろう」なんて発想、生まれないですよね。

伊沢 一方で、いわゆるZ世代と言われる十代から二十代の若い人たちは、主体的に動いている人が多いと感じています。環境問題を自分ごとと捉えて熱心に活動している人もいるし、その一環で海外でも活動を始めるなんて人が、私の周りにもいるんですよ。

酒井さんはまさにZ世代とかかわる仕事だと思いますが、どう感じていますか。

酒井 もちろん人によるので、一概には言えません。ですが今の学生は正直、「優等生タイプ」が多いと感じています。非常に優秀で能力は高いものの、指示を受けないと動けない。先ほどからお話ししている「目的がないと始めない」という傾向も、強まっていると感じています。

また、みんなびっくりするくらい忙しくしています。先日、とある仕事を手伝ってくれないかと学生に呼びかけたところ、数人が手を挙げてくれたんです。9時にキャンパスに集合して、じゃあコーヒー飲んで一息ついてから始めようか、なんて話していたら、「私、10時から予定があります」と。「さすがに予定を詰めすぎじゃない?」と、ずっこけてしまいました(笑)。

多忙なことが一概に悪いことだとは思いませんが、「無駄だけど面白そうなこと」を試すには、窮屈すぎる生活を送っている人が多いと感じます。

伊沢 なるほど。では私の周りには、平均値とはちょっと違った、変わった若者ばかり集まっていたのかもしれませんね。類は友を呼ぶ、といいますし(笑)。

今日の午前中は、せっかく静岡まで来るのだからと学生向けに、食品栄養学部特別講義というのをお膳立てして頂きました。大半が女子学生でしたが、講義後のレポートを見せてもらい、凄く反応が良いことにビックリしました。ほとんどの学生が糞土思想の本質をきちんと理解し、中には野糞をしてみたいというのもあります。皆A4の用紙にびっしり書いていて、中には書き切れなくて裏面まで使ったのもありました。でも酒井さんが言うように、そのレポートを書いた気持ちと実際の行動が一致できなかったとしたら……。

私も過度にZ世代に期待してしまっている節があるので、そこは少し考え直すべきかもしれませんね。

静岡県立大学での伊沢さんによる糞土思想の講義の様子

自分で調べるということ

伊沢 教育で言えば、自分で調べる間もなく、全てが教えられてしまう環境も問題だと思っているんです。自分の頭と体で考える習慣がなくなってしまいますよね。

私は野糞をした際に葉っぱでお尻を拭いていますが、実際に葉っぱを触ってみることで、その質感や最適な使い方が体を通してわかります。実際に見て触って使うことで、自分の知識として蓄積していくのです。本で勉強したり、誰かに教えられたりするのとは、その知識の質が異なります。

ですが私自身にも、「わかった気になっていただけ」のこともあります。それがまさに先ほど、酒井さんと林の中を歩いていたときの会話でした。

酒井 「なぜ木があるところで人は涼しく感じるのか」という話ですよね。一般的には、樹木の蒸散作用(植物の気孔を通して、植物から大気中へ水蒸気が放出される現象)によって、温度が下がると考えられていますが、「本当か?」と疑問に思ったんです。

そこで、実際に湿度計を持って林の中に測りに行きました。そうすると、蒸散作用による温度低下はわずかで、むしろ地面の水分が温度低下の要因なのではないか、という結論に至ったんです。

伊沢 私も正直、林の中が涼しいのは、樹木の蒸散作用によるものだと信じ込んでいたので、この意見にはハッとしました。

私は小さな田舎町に住んでいますが、家から駅まで2Kmほどあり、いつも自転車で行き来しています。道路の手前側1/3ほどは畑の中で、その先は住宅地から市街地になりますが、住宅地に入った途端急にモワッと気温が上がるんです。考えてみたら畑地には木なんて1本もありません。むしろ住宅地から先の方が庭に立木があったり、道路沿いに桜並木があったりして緑は豊かです。でも、そこには土がむき出しになった地面があまりないんですね。今思うと、以前から身近にあるこんなことに、なぜ何十年も気付かなかったのかと残念に思います。常識に流された思い込みは怖いですね。

ウンコに関してはすでに200以上の野糞跡を掘り返してしっかり調べてきたからこそ、自信を持って確実なことを言えます。だけどその一方で、行き過ぎた樹木信仰に囚われて、講演会などでもいい加減なことを言っていたんです。やはり、何事も自分の目で確かめてみないといけませんね。

酒井 そうですね。まずは自分でやってみるというのは、大事なことかもしれません。

実は私も「フラクタル日除け」なんてものを作りまして、校内にも設置しているんです。これはまさに、人工物でありながら、木陰のような日陰を作り出し、林の中にいるかのような涼しさを生み出すものなんです。

静岡県立大学内に設置されたフラクタル日除け

話し始めると長くなるので手短にしますが、「フラクタル」とは、図形の全体をいくつかの部分に分解していった時に、全体と同じ形が再現されていく構造を指すのですが、数学者の世界では特に役に立たない構造と思われてきました。

ですが、そんなフラクタル構造を活用したからこそできたのが、このフラクタル日除けです。技術や研究は、ある領域では全く役に立たなくても、別の領域で活きてくるなんてことは、いくらでもあるんです。

基礎研究が衰退する大学

酒井 ここまで、自分の頭と体で考える重要性について話してきましたが、それがもっとも尊重されなければいけない大学ですら難しい状況に置かれているのが、今の時代です。

その背景には、大学の独立行政法人化の潮流があります。端的に言えば、大学も「自分で稼げ」と言われている。その潮流により、国や県からの運営費、交付金も減らされています。

大学が自分で稼ぐというのは、一見すると当然のことに聞こえるかもしれません。ですが、そもそも「競争をして金を稼ぐ」ためには、価値の基準があることが前提です。

ですが本来、研究とは「誰もやっていないことをやる」ということ。つまり、価値の基準がないものに取り組むのが、大学なんです。

伊沢 現在の日本の大学では基礎研究がかなりやりづらくなっていると聞きました。実用、つまり「役に立つ」「お金になる」ことを目的とした、応用研究ばかりになっていると。

酒井 ええ、おっしゃる通りです。本来、大学の研究の本懐は、基礎研究です。基礎研究とは、物事の基本原理の解明や、真理の探究などを志向する研究活動。即座にお金を儲けることは意図せず、知識欲や好奇心を起点に進める類のものです。

伊沢 そうですね。じつは私がもっとも信頼している、何かあったら真っ先に相談に乗ってもらう菌学者がいて、それがさっき話した出川洋介さんです。彼が今一番熱心に研究しているのが、カマドウマのウンコの中から見つけた菌で、出川さんはそれを腸内外両生菌と名付けました。それを学会で発表したところ、権威ある菌学者から「そんな研究クソの足しにもならない」と批判されて、「いや、クソの役には立ってます!」と反論したという有名なエピソードがあるんですけどね。

その糞生菌は腸の中にいるときは、バクテリアのように酸素を必要としない嫌気生活をしています。でも、ウンコと共に外に出てくると、酸素を使う好気的な生き方が出来るんです。つまり酸素が無くてもあっても生きられる、珍しい菌なんです。元々は海の中で発生した生物が、やがて進化して陸に上がってきました。出川さんはその菌の研究で、菌類の進化を解明しようとしているんです。

たとえば、マツタケの人工栽培を成功させればお金にはなるかもしれません。しかし、たかがカマドウマの糞生菌であっても、菌類の進化を解き明かすための研究と比べたら、どっちが本当に大切なんだと言いたいですよね。

酒井 本当にそう思います。一方で、“自分で稼がなければいけなくなった”大学で主流になりつつあるのは、未知の探究とは真逆の研究です。界隈では「銅鉄主義」と呼ぶのですが、銅でうまく行った実験を、今度は鉄でやってみる。それを繰り返すような、すぐに役に立つことを前提にした研究がどんどん増えているんです。

もちろん、実用的な研究だって必要です。ですが基礎研究が弱くなると、知識の枠組みを更新したり、全く新しい法則を発見したりといった、物事の根幹を成すような研究成果が減ってしまう。これは明らかに、日本の研究力を落としてしまいます。

19世紀に電磁波の研究をし、大きな成果を残したファラデーという研究者がいるのですが、面白いエピソードが残っています。ある日彼が街で、電磁波を使った公開実験をしたそうなんです。それを見た女性が、「その技術はどう役に立つのか?」と尋ねた。

そうしたらファラデーは、「奥さん、生まれたばかりの赤ん坊がどのように役に立つのかわかりますか」と返したそうで。

伊沢 粋な返答ですね(笑)。

酒井 そうですよね。ですが、彼が発見した電磁誘導の技術がなかったら、電話もスマホも生まれていない。今となっては、それくらいインパクトのある発見だったわけです。

ですが当時は本人ですら、そんな役に立つと思っていなかった。研究なんて、そんなものなんです。役に立つことを目的にするだけでは、見えないものがたくさんあるんです。

酒井さんの研究室。手作りの家具や、ワクワクする工具がたくさん

 ぐるっと回れば、ウンコ色

伊沢 SDGsが抱える二面性や、スケールフリーな構造の価値、教育のあり方など、ここまで本当にいろんな話題を話してきました。改めて酒井さんは、今の時代をどう生きていくのがいいと考えていますか。

酒井 やはり、自然は変わるという大前提に立つべき、というのが私の意見です。変わりゆく環境の中で、どうにか自身の喜びを見出しながら生きていく。それに尽きるのではないかと考えています。

伊沢 そうですね。これからも人間だけでなく全ての生き物が生き続けられて、そして喜びを追求するには、人口を減らすことが何にも増して一番の条件だと思っているんですよ。このまま人間の数が増え続け、そして欲望を追求していったら、この地球は破綻してしまうのが見えています。

だからこそ、私の最近のもっぱらの関心ごとは、死ぬことをいかに受け入れるかということなのです。それを私は、しあわせな死の探究と言っています。

酒井 生態系の構造の話と重なりますが、極端に何かの数が増えれば、どこかで無理は生じますからね。ネズミ溝が構造的に成り立たないのと、基本的には同じです。

結局は、楽しく生きて、楽しく死んでいけばいい、ということですよね。

伊沢 ええ。ただ私が理想とする死に方は、よく言う「ピンピンコロリ」とも違うんです。ピンピンコロリは、元気で長生きすることが前提となっていますよね。ですが私は、ある程度まで生きたら潔く死んで、もっと若い人に後を譲ることが必要だと考えているんです。「死ぬこと=新陳代謝」です。個人々々の死ではなく社会全体で、もっと前向きに捉えてもいいんじゃないかと。

ですから私自身の理想の死に方は、「破産して野垂れ死に」です。所有物は全て後に続く人のために使い果たし、山で野垂れ死にすれば、死体は他の生き物の食べ物になり、自然の循環の一部になれる。つまりそれは、食われて他の命に生まれ変わって、別の生き物として生き続けられると言うこと。死ぬことは人生の終わりではなく、循環して新たな命になるんです。これが私が考えている「しあわせな死」です。

だから私は、火葬なんて絶対にされるものか、と考えています。灰にされてしまわずに、自分の死体もウンコと同じように、他の生き物に還元したいんです。

酒井 確かに「バラバラになって別のものに変わる」という思考でない限り、持続可能にはならないと私も思います。

東洋思想に輪廻という概念がありますが、輪廻には終着点はないですよね。ぐるぐる回って、元がなんだったのか、何に向かうのか、もはやわからなくなってしまう。でも、循環の根幹って、そういうことだと思うんですよね。西洋思想のように、元の原理を追求したり、先の終着点を目指したりしても、循環は起こりません。

だから私は、SDGsもぐるぐる回した方がいいと思っているんです。これまで見てきたように、SDGs自体も矛盾を孕んでいます。それは、始まりと終わりがあるような、直線的な思考では成り立たない。それぞれが自分の喜びを追求した結果、いろんな場所でぐるぐると循環が起きていく。そんな世界観でSDGsを捉えてもいいのでは、と考えているのです。

ちなみに、SDGsを象徴する、あのカラフルなバッジがあるでしょう。あのバッジの色を全部ぐるぐる混ぜたら、ちょうどウンコ色になるんじゃないか。そう思って、本のサブタイトルは、「グルっと回せばうんこ色」にしたんです。

伊沢 いやあ、本当にそうですね。そして酒井さんの、そういうへそ曲がりなところは、私と似ているかもしれません。

私も糞土師を名乗って活動していますが、その最大の理由は、一番軽んじられているところで活動するのが私の生き甲斐だからです。それがウンコだった。だから逆に、野糞をみんながやり始めたら、私は糞土師を辞めちゃうかもしれません(笑)。

酒井 それは伊沢さんも、だいぶあまのじゃくですね。ひねくれ者同士、今日はお話できてとても楽しかったです。

<了>

(執筆・撮影:金井明日香)