うんこ虫の生きざまから

舘野鴻(絵本作家)×伊沢正名(糞土師)

ウンコを食べ、ウンコで子どもを育てる、ウンコが大好物の虫がいます。その名も、オオセンチコガネ。絵本作家で生物画家の舘野鴻(たての ひろし)さんが、4年間オオセンチコガネに向き合って制作した絵本『うんこ虫を追え』(月刊「たくさんのふしぎ」福音館書店)が、2022年6月に発売になりました。

今回は、舘野さんと伊沢さんの対談が実現。「対象の生き様まで表現する」「食べないことには調査は終われない」など、ウンコを軸にお二人の共感が止まらない対談になりました。

卵から死までを観察する

伊沢 舘野さんとの最初の出会いは、相模原の博物館での講演会「うんこはごちそう~命をつなぐ生態系のホントのはなし」でしたね。親しくしていた学芸員の方が、私の講演の後に舘野さんとの対談を設定してくれたんです。

その時初めて舘野さんが描く虫の世界に出会ったのですが、直感的に思ったのは、「この人は本物だ」ということ。何がすごいって、その緻密さです。

舘野さんは、虫をとにかく精緻に観察して、普通なら平塗りしてしまうような部分も、細い筆で丹念に描き込んでいきますよね。しかも、その昆虫が暮らす自然の情景まで。 

舘野さんの描く細密画。(上:つちはんみょう 下:しでむし)

舘野 ありがとうございます。最近では「ちょっと描き過ぎかな」、なんて思うこともあるんですが(笑)。

伊沢 そもそもなぜ、こんなにも緻密な絵を描くようになったんですか?

舘野 絵を描くのであれば、対象に限界まで近づいて理解しようと努力するのが礼儀だと思うんです。それが絵描きの本分なのかなと。

だからこそ、虫が卵から孵って、育って、死んでいく全てを観察した上で、絵を描いています。

そうやって虫を見ていると、それまで見えなかったものが見えてきます。ああ、意外と背中はツルッとしているんだなとか、ここには穴がボツボツ空いていて、その一つひとつから毛が生えているんだな、とか、足がこう付いているんだな、とか。

体の構造からその虫の暮らしぶりが見えてくるし、傷や欠損からその虫の「人生」までも見えてきます。さらに生活を追うと驚きばかり。みんな健気に、勇敢に生きています。

そうやって虫のことを隅々まで見て、「どうしてそうなったんだい?」と問いかけながら、見えたもの全てを描いていく。それでももちろん、完全に理解できるわけではないんですけれど。

舘野鴻(たての ひろし) 「1968年神奈川県横浜市に生まれる。札幌学院大学中退。幼少時より故・熊田千佳慕に師事。1986年北海道へ居を移し昆虫を中心に生物の観察を続けるが、大学在学中は演劇、舞踏、音楽に没頭する。その後、舞台美術、土木作業員、配送等の仕事をしながら音楽活動と昆虫採集を続ける。1996年神奈川県秦野に転居してからは生物調査の傍ら本格的に生物画の仕事を始め、図鑑や教科書、児童書に生物画、景観図、解剖図プレートを描くが、細密画の需要が激減した2005年頃より写真家久保秀一の助言を得て絵本制作を始める。生物画の仕事に『ニューワイド学研の図鑑生き物のくらし』、『原色ワイド図鑑 昆虫Ⅰ・Ⅱ』(いずれも学習研究社)、絵本に『しでむし』、『ぎふちょう』、『つちはんみょう』(小学館児童出版文化賞)、『がろあむし』(いずれも偕成社)、『はっぱのうえに』『みかづきのよるに』『うんこ虫を追え』(福音館書店)、『宮沢賢治の鳥』(国松俊英・文/岩崎書店)、原作に『あまがえるのかくれんぼ』(世界文化社)、連作短編集に『ソロ沼のものがたり』(岩波書店)などがある。」

伊沢 なるほど、よくわかります。私も写真家時代は、キノコやコケを被写体として捉えるだけでなく、その「生き様」を表現したいと考えていました。

だから、カメラのレンズをf 22まで目一杯絞り込むんですよ。そこまで絞るとどうなるかというと、画質は落ちるんだけど、被写体の向こうにある背景までピントが合ってくるんです。

そのキノコは、どういう季節に、どんな場所に、どう生えているのか。キノコが生きている姿全てを伝えたくて、そういう撮り方をしていました。 

ウンコが大好物の虫?

伊沢 そんな舘野さんが、ついにうんこ虫の本を描いたんですね。

舘野 そうなんです。うんこ虫とは「オオセンチコガネ」のことで、ウンコが大好物の虫なんです。しかも、宝石みたいにキラキラで美しい。このギャップが最高でしょう(笑)。

2022年6月に発売された『うんこ虫を追え』の扉絵。

そのオオセンチコガネを実際に飼育し、卵から成虫になる様子を描いたのが、『うんこ虫を追え』というこの絵本。4年間の実験と観察の記録です。

伊沢 オオセンチコガネはウンコが大好物ということですが、具体的にはどういうことなんでしょう?

舘野 はい。成虫が哺乳類のウンコを好んで食べます。これは分かりやすいですよね。

でも、幼虫はうんこ虫といえるかどうか微妙です。私の観察では、成虫は50cmもの地下深くにシカやウサギ、牛や馬などの草食動物のウンコを運び込んで塊を作り、その脇に卵を産みつけます。この塊を「育児塊」と呼んでいます。

オオセンチコガネの幼虫は、その育児塊を食べて成長していきますが、その頃にはもうウンコは分解してしまい、まるで枯れ草の塊。試しに、臭いがなくなってただの枯れ草のようになった古いウンコを固めて幼虫に与えたところ、そのまま成長してしまいました。

しかしその後の実験では、やはり育児塊には少しウンコ成分が入っていた方がよいという傾向が見られました。

伊沢 なるほど。納得出来るまでひたすら実験を繰り返すところが、さすが舘野さんですね。

ところで、センチはセッチンで、漢字で書くと雪隠、つまり便所のことだから、オオセンチコガネは「大便所黄金虫」ということになりますね。

舘野 ええ。オオセンチコガネは、よく飼育もされているメジャーな虫なのですが、卵から成虫になる過程は、あまり解明されていなかった。この絵本では、その卵から成虫に育つまでの様子を主軸において紹介しています。

でも、なかなか卵を産んでくれなくて悩んだり、ウンコの塊を作る時に掘る穴の深さが気になったり、そもそもどんなウンコでも食べるのか?という疑問が生まれたりと、本当に試行錯誤の連続でした。

オオセンチコガネを観察していると、次から次へと疑問が湧いてきちゃうんですよね。話し始めるともうキリがないので、気になる人はぜひ絵本を読んでみてください(笑)。

絵本では、舘野さんが試行錯誤しながら実験に取り組む様子が描かれる。

伊沢 いやあ、すごい根気ですよね。やっぱり舘野さんはとことん対象に肉迫しているなあ。

舘野 いやいや、伊沢師匠には及びません。でもやはり実験の中でも思い出深いのは、自分のウンコ、いわゆる「オレフン」を、オオセンチコガネに与えた時ですね。

それこそ最初は牛のウンコとかを使っていたんですが、実験の必要性から自分のウンコで飼育することにしたんです。

そうしたら「オレフン」を、モグモグと嬉しそうに食べているんですよ。自分が出したウンコが別の生き物の役に立っている。不思議な一体感を感じました。

伊沢 私も、自分の野糞跡を掘り返して調査をした時は、本当に感動しました。自分のウンコが、こんなにも多くの生き物を生かしていたんだ、と。その実感を得ると、人生観までひっくり返ってしまい、初めて「ついに本物の糞土師になれた」と自信を持つことができました。

舘野 それに伊沢さんは、野糞掘り返し調査の時に、掘り返したウンコを実際に食べていますよね。

伊沢 いや、飲み込んではいないので、はたして食べたと言えるかどうか……。でも、じっくりと味見はしましたよ。あの経験も、大きかった。

「口にしたから何だ」と言われるかもしれないけれど、こればっかりは屁理屈ではなくて、実際に体験した人にしか分からない感覚です。

舘野 もう、めちゃくちゃ分かります(笑)。食べないことには終われない。この身体感覚ですよね。

実は私も、伊沢さんに背中を押されて、オオセンチコガネの蛹を食べる経験をしました。自分のウンコを食べて育ったオオセンチコガネを食べて、自分のウンコとして出す。この圧倒的な一体感は、何にも代え難い。「これでやっと絵本を出せる」という感覚でした。

ウンコオーラが出ている?

舘野 オオセンチコガネを育ててもう一つ気づいたのは、ウンコにも死があるのでは?ということ。

オオセンチコガネって、出してから日が経ったウンコは、もう食べてくれないんですよ。せいぜい、4、5日かな。

考えてみれば、出したてのウンコには生きた腸内細菌やその死骸、はがれたばかりの腸壁や消化できなかった食べカスなどが入っているわけだし、フレッシュなウンコは栄養満点ですよね。でも日に日にウンコパワーが失われて、食べてもらえなくなっちゃう(笑)。

伊沢 ウンコが好きな虫は、野糞をしようとお尻を出した瞬間に、もうそこに来てますよね。ハエなんかも、お尻の近くで今か今かと待っていますよ(笑)

舘野 ウンコをしたい人からは、ウンコオーラが出ているんでしょうね(笑)。でも、虫は私たちには見えないものを感じ取れますから、あながち冗談ではないんですよ。人間から見れば、虫はみんな超能力者みたいなものですね。

絵本でも紹介しているんですが、オオセンチコガネに近い虫に、センチコガネという種類の虫がいるんです。似ているようで、育児をするためのウンコの塊を作る場所や、卵が産み付けられる位置が異なるほか、幼虫の食べ物も違う。

オオセンチコガネの幼虫は草原の枯れ草を食べ、センチコガネの幼虫は枯れ草も食べますが、主に木の落ち葉を食べていました。葉っぱの種類をどう見分けているか不思議に思ったのですが、彼らは目で見て判別しているわけではありません。

そこで考えられるのは、草本類、木本類特有の枯草菌の匂いで嗅ぎ分けているのではないかということ。

まだ仮説レベルですが、いずれにせよ虫が私らのレベルでは検出できない要素を頼りに、さまざまな情報を得ていることは確かです。

五体満足は、全部中途半端?

伊沢 そう考えると、感覚というのは興味深いですよね。オオセンチコガネとセンチコガネは、視覚が弱い分、嗅覚がものすごく発達しているのかもしれない。

一般的に私たちが一番良しとしている五体満足は、逆に全部中途半端なのかもしれません。

舘野 わかります。私がいつもお世話になっている虫屋さんは、先天的に左手がないんです。よく一緒に虫採りに行くのですが、これがすごい。

私は両手はあるし体力もある方なので、網を振り回して片っ端から虫を捕まえるだけ。ですがその彼は、「この虫はこの辺の草のこれくらい枯れたところにいるだろう」という推理をして、経験と感覚で網を振り回さなくても目当ての虫を捕まえられるんです。

伊沢 おお、すごい方ですね。

舘野 片手がないことを気遣って、「手伝いましょうか?」なんて私から声をかけることもよくあったんです。その度に、「大丈夫です、一人でできますから」なんて優しく断っていただいていました。彼にしてみれば、片手がないのは当たり前のことでした。

今思えば、思い上がったことをしていたなぁと恥ずかしくなります。私も結局、両手を使える人の基準でしか、物事を考えられていなかったんです。その虫屋さんは、自身の感覚や経験を使えば、私の助けなんて借りなくても何も不自由なかったのに。

伊沢 誰しも、自分の常識の範囲内でしか考えられないし、行動できないものですよね。

舘野 そうなんですよね。でも、こういうすれ違いも、きっと大事なんだろうと。後から間違っていたとわかったけれど、やってみたからこそその間違いに気づけたという意味では、勉強になりました。

私も2月に左手首を派手に骨折しまして、まだ不自由なのですが、これも新しい視点を得る機会になっています。

伊沢 私にも印象に残っている話があるんです。私は7年前に、舌癌を患いました。病院で癌を告知されたんですが、そんな場面、普通は人生で最もショックを受けるシーンですよね。でも私は、嬉しかったんですよ。

舘野 なんと! 嬉しかったんですね。どういうことですか?

伊沢 死の恐怖を乗り越えることは、ウンコや野糞の価値を高めることと並ぶ、糞土思想の大きなテーマでもあるんです。自然界の循環に身を任せ、死を受け入れることができれば、揺るぎないしあわせを得られますから。

そんなことを考えていた最中に、癌を宣告されました。その際に医者から、舌癌になるような心当たりはあるか、と聞かれたんです。即座に私は、「講演会で良識や人権批判をして憎まれ口をたたいているから、舌禍が降りかかったんでしょう」と答えたんです。座布団一枚!ですよ。

でも、医者はそのジョークに笑ってくれませんでした(笑)。「死は怖いもの=癌宣告はショックなもの」という常識に則れば、まあ笑えないですよね。でも私としては、死の恐怖を克服できて、ジョークまで言えたことが嬉しかったのです。 

あなたはどう?と問いかける

舘野 2009年に出版した『しでむし』の絵本を描いていた時は、私も死についてセンチメンタルに考えていました。

シデムシは、動物の死体に卵を産みつけて、死体を栄養として成長する虫。今思うと、自分も死が怖かったから、シデムシにも心を惹かれたのかもしれません。ですが最近では、もう少し違った見方で死を捉えられるようになってきました。

今は未来のために働きつくして、次の世代に生きる場をきれいに譲るというような、ポジティブなものとして意識しています。

伊沢 いいですね。とはいえ、『日本の野生植物・コケ』の取材で写真を撮っている時は、「もうこの種類を見られるのはこれで最後なんじゃないか」と思いながら撮影していました。どんどん環境が悪くなってきているのを、肌で感じていましたから。

舘野 わかります。私も、開発によって人知れず消えていく地下の小さな世界と人の世界を重ねて、自然環境とどのように共存すればよいのか?と問いかける絵本を作りたいと思いました。それが、2020年に出版した『がろあむし』なんです。

これは、土の中で暮らすガロアムシの一生と、人の土地改変を描いた絵本。地上の森の伐採や街の開発によって、地下間隙で暮らすガロアムシたちの生息環境が消滅するという物語です。

でも、虫は強い。黙ってその運命を受け入れます。街の開発への反対運動だってしません。その潔さと勇敢さ、私にはマネできない。

「虫はこんな風に生きています。あなたはどうですか?」そう問いかけたのが、この絵本なんです。

伊沢 本当に力強いですね。この絵本で感動したのは、虫だけではなく、周りの広い範囲の風景を含めた緻密な描写です。ものすごくリアルに表現されていますね。

舘野 実はこの絵本を描くのに、10年かかっているんですよ。たとえばこの絵本では石も描いていますが、それなら石のこともきちんと調べて、理解してから描きたいんです。

たとえばこれは、相模川の上流にある花崗岩。なんでこの部分が割れているんだろう、といったことも調べられるだけ全部調べました。

『がろあむし』の絵本の中のワンシーン。

伊沢 すごい、石のことまで! じつは、このあたりは花崗岩の産地で、国会議事堂は隣町の稲田で採れた花崗岩で造られたんですよ。

さっき駅から私の家に向かう途中で、石や岩のことを盛んに聞いてくるなぁと思ったら、そういうことだったんですね(笑)。

舘野 そうなんです(笑)。それにしても、自然というのは面白いですよね。原発事故によって立ち入り禁止になった福島の区域は、得体の知れない植物が伸びていて、猪が「ヒャッホー!」なんて言いながら走り回っているんでしょう?

そんな彼らは、自らが放射能を浴びていることなんて知らない。なんだか申し訳ない気持ちになります。

「自然を破壊し続けていいのか」という問いかけももちろんありますが、私たちが思っているよりも自然は強い。「自然を舐めるなよ」という気持ちもあります。

先ほども話題に上がりましたが、ここ数十年で絶滅する種が急速に増えていますよね。特に日本各地にあった草原環境は急速に少なくなってきています。そこに住む消えゆく生きものたちの遺影を描くような絵本を作りたいと思っているんです。

曼荼羅のような綺麗な絵本にしたいなあと。その絵本は偕成社から出す予定ですが、オオセンチコガネが主役です。

伊沢 そうなんですか。その絵本、早く仕上げて下さい。

それにしても、自然環境の変わり方があまりにも急激。これは明確に、人間の行き過ぎた活動のせいだと思います。

それをどう改めたら良いかと言えば、簡単な話で、人間も自然の一部として生きていけばいいんです。食べて野糞をして、循環の中で生き物として素直に生きればいいだけ。

それなのに、近ごろ流行のSDGsや「地球を守ろう」といった話は、なんだか大袈裟で胡散臭い気もします。偉そうに人間として生きるよりも、むしろ自然の一部として生きることを目指して、私は「人でなし宣言」までしちゃったわけなんですが(笑)。

舘野 やっぱり師匠はすごいなあ。次の偕成社版のオオセンチコガネの絵本は、ぜひ「伊沢正名に捧げる」とさせてください。

伊沢 そんな、とんでもない。……でも、光栄です(笑)。今日は楽しい対談をありがとうございました。

<了>

取材・執筆・撮影:金井明日香