サッカーは心のスポーツ(前編)

安英学(アン ヨンハ / 元サッカー選手・元朝鮮民主主義人民共和国代表) × 伊沢正名(糞土師)

元サッカー選手の安英学(アン ヨンハ) さんは、在日コリアンとして日本に暮らす一人です。現役時代は日本や韓国、北朝鮮でもプレーをされ、引退後はサッカーを通じた子供たちの教育活動などにも力を入れています。異なるルーツを持つ者同士がいかに共に生きられるのか。そのヒントを求めて、民族や国籍を超えて在日朝鮮人としての誇りを持って活動を続ける安さんにお話をお聞きしました。

サッカーは心のスポーツ

伊沢 私は糞土師になってから17年になります。それまではキノコやコケなどが専門の写真家でした。キノコやカビなどの菌類は、死んだ動植物を土に還して、新しい命に繋げるのが仕事なんです。そうしたキノコが自然界に果たす役割にこそ目を向けてもらいたくて、写真家になりました。でもだんだん、写真よりもウンコのほうが人に訴える力があることに気づき、それで糞土師になったんです。生き物が生きるために欠かせない大切なものが食べ物ですが、それとウンコは密接に繋がっていますからね。

安 僕は子どもの頃から食品添加物について本を読んだり、注意するほうでした。コンビニに行っても商品の後ろの原材料を見て、なるべく添加物の少ないものを買うようにしています。息子にもそうさせています。全部オーガニックで、無農薬で、というのは難しいですが、未来がある子どもたちには、なるべく安全なものを食べてもらいたいです。そういう選択は自分で考えて選ぶしかないと思うんです。今回伊沢さんを紹介してもらい、“自分は「糞土師」じゃないからその分野には興味がない”、ではなく、食をめぐる問題につながる共感があります。表面的なことではなく、本質を考える上で、です。

伊沢 安さんは、すでに次の世代のことを考えて行動されているんですね。

安  そうですね。僕はもう、人生の半分以上を生きて、好きなことをやってきました。だから正直なところ、あまり欲はないんです。自分のことより、これから育っていく子どもたちのことをもっと応援していきたいです。

伊沢 じつは今回、安さんと対談したいと思うようになったのは、去年から糞土塾の、特に野良ガーデンという畑の手伝いに来てくれている野村さんがきっかけなんです。野村さん自身、元々海外でもプレーしてきたサッカー選手ですけど、安さんのサッカースクールでも活動していることを聞き、糞土塾活動にも通じるところがあるな、と感じたんです。

ところで安さんは、サッカーのどんなところに魅力というか、楽しさを感じているんですか?

安  うーん、なんでしょう・・。何が楽しいのか分からないのが、楽しいのかもしれないですね。

僕はやっぱり、ボール一個で世界中の選手と繋がれるというのが、サッカーのすごいところだと思うんです。言葉がお互いに全然通じなくても、サッカーなら、言葉じゃない会話ができます。それが、サッカーをやっていてよかったなと思えるところです。

(右側は安さんを紹介してくれた野村和正さん。安さんとはサッカーを通じて交流がある)

伊沢 サッカーは本当に、ボールが一個あれば誰でもできるスポーツですものね。

安  はい。きっと、突き詰められないところが面白いのかもしれませんね。常に完璧なプレーはできない。いつも何かしら課題が出るというか。パスひとつとっても、自分が思い描いた100点満点のパスが毎回は出せない。今でもそうです。でも、だから楽しいのかもしれません。できないことが常にあって、それをどこまでも追求できるからです。それに、みんなでしかやれないというのが楽しいですね。プレーヤーそれぞれの性格まで見極めながら、調和をとってプレーしなければいけません。チームは社会の縮図みたいなもので、ポジションを変えたり、人を変えたり、役割を変えたりしながら、その組み合わせで勝利を目指していきます。試行錯誤が終わらないんです。

そしてもう一つ、サッカーは心のスポーツです。仲間と心が繋がったとき、やっぱりボールも繋がるし、心が繋がっていないとパスもずれるんです。個人競技じゃない、チームプレイの面白さですよね。

伊沢 サッカーは技術だけじゃないんですね。「サッカーは心のスポーツ」、本当にいい言葉ですね。ところで、安さんは生まれはどちらなんですか?

安  岡山県の倉敷市です。祖父母のいる倉敷の田舎で生まれ育って、5歳のときに東京に引っ越しました。それからは東京の朝鮮学校に通いました。もともと先祖のルーツは朝鮮半島の南の全羅南道です。今の韓国ですね。まだ韓国と朝鮮(*)に分かれる前の時代に、僕の先祖は働くため、学ぶため、日本に来たようです。

(*日本で浸透している「北朝鮮」という呼称は正式な国名ではなく、正式名は「朝鮮民主主義人民共和国)

伊沢 今はそこが韓国になっているのですが、安さんの国籍は「朝鮮籍」なんですね。

在日コリアンとして、日本で生まれ育つということ

安  「朝鮮籍」って、国籍じゃないんですよ。そこが複雑なんです。僕の祖父母は戦前から日本にいて、国籍上は日本人として扱われていたようなんですが、日本が戦争に負けた後、朝鮮が開放されました。それから朝鮮半島出身者を区別するために、「朝鮮籍」というものを持たされたんです。だからそれは国籍ではなく、言うなれば外国人登録の記号みたいな感じで「朝鮮籍」というのが残ったようです。厳密には国籍ではないんです。

伊沢 なるほど、そうだったんですね。初めて知りました。

安  でも僕のパスポートは、朝鮮民主主義人民共和国のパスポートです。僕が通った朝鮮学校が、朝鮮民主主義人民共和国の支援を受けて運営されたこともあり、私たちの祖国は朝鮮ですという教育を受けたからです。そのため朝鮮民主主義人民共和国のパスポートを申請して発給してもらいました(*)。在日コリアンって、すごく複雑なんです。

(*安さんは「朝鮮籍」で、「朝鮮籍」とは、植民地期の朝鮮から日本に「移住した」朝鮮人とその子孫を分類するため、戦後の日本で創り出されたカテゴリーで、国籍を示すものではない。また「朝鮮籍」は在日の中で1割ほどしかおらず、圧倒的に韓国籍が多い。海外に行きやすいこともあり、在日3世くらいから韓国籍に変える人が増えた。安さんのように朝鮮籍のままの人は珍しいという。

(*朝鮮籍とは  https://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮籍 )  

伊沢 そうすると、韓国学校というのはないんですか?

安  あります。ただ、韓国は北と南が分かれたときに、在外同胞や在日同胞をそれほど重視しなかったんです。日本の韓国学校の支援もしなかったようなので、韓国学校は日本に一校か二校ぐらいじゃないでしょうか。

一方で朝鮮は、在日の同胞たちを同じ同胞として手厚く支援してきたんです。だから朝鮮学校は、日本に最大時80校ほどあったようです。今はなくなったり合併して、幼稚園から大学まで全部で60校ほどですが。でも、全国各地に朝鮮学校があるんです。そこでもともとのルーツである朝鮮の言葉、歴史、文化、地理、音楽を学んでみんな育つんです。

僕たちってすごく複雑で、在日コリアンとして日本で生まれ育って、でも祖国は北と南に分断されていて、朝鮮学校では朝鮮を祖国として学んでいる。朝鮮に行っても、表向きは歓迎されますが、やっぱりそこにいる人とは同じではないんです。やっぱり、半分日本人だ、みたいに。

伊沢 朝鮮に行っても、そこで差別されるんですか?

安  もちろんそうです。親切にはしてくれるんですが。韓国に行っても、半分日本人だという風に扱われますし。それに日本と韓国には国交がありますけど、朝鮮とは国交がありません。こういうふうに僕達の境遇は、本当に複雑です。でもだからこそ、在日コリアンの連帯感はすごく強いんです。祖国がどこにもないから、自分たちが力を合わせて生きていかなくてはいけないというメンタリティなんです。

僕は在日3世ですけど、1世や2世はいろんなものを奪われてきました。だからこそ在日の次の世代のために、僕たちが大切なものを守らなきゃいけないと思っています。

過去を責め合うのではなく、お互いに歴史を認めていくということ

伊沢 朝鮮が国としてなくなってしまったもともとの原因は、日本がそこを占領して植民地にしてしまったからですよね。その前は朝鮮というひとつの国があったわけです。そういう意味では、日本がやってきたことは罪深いですよね。おまけにその歴史を日本では正しく学んでいない。日本には朝鮮から入ってきた文化もたくさんあるし、それなのに在日の人たちに「帰れ」と言う人までいますからね。

安  そうですね。慰安婦もなかった、強制連行もなかった、徴用もなかった、植民地にもしていない、という話を聞くことがありますが、歴史の認識が十分ではないと感じますし、在日コリアンとしてはさまざまな思いがあります。世代が進むにつれてだんだん薄れていますけど、一世、二世は、今より差別ももっとひどかったですし、財産や土地を奪われたこともありました。在日コリアンであることで日本の企業にも就職できず、パチンコ、焼肉、金融、芸能界、スポーツ界などで、自分の力でなんとか生き抜くしかなかったんです。それも名前を日本人名に変えて。そういう歴史があるので、今度は僕たちが、在日コリアンの次の世代を守らなきゃいけないと思っています。

伊沢 日本ではとにかく今、差別問題がいろいろ取り沙汰されています。安さんのルーツの朝鮮に対しても、日本人はこれまで本当にひどい差別をしてきました。もとの原因を作ったのは日本なのに、その結果日本に連れてこられた人まで差別して、責任を押し付けて、苦しめています。日本人の一人として申し訳なく思っています。安さん、本当にごめんなさい。

というのも、これは野糞をして自然にお返しするという糞土思想とも関連しているんです。人間はこれまで、自然から食べ物でも資源でもなんでも次々に奪い、生かしてもらってきたのに、自然に対してやっていることは一体何なんだという思いがあるからなんです。自然に何もお返ししないで、痛めつけることばっかりやってきました。だからこれからは、自然にプラスになるものを少しでも返したいという、人類の中の一人としての罪滅ぼしなんですよ。それが糞土思想の基本にあります。

自分はとんでもないことをしてきた人間の中の一人なんだから、連帯責任がある。そういう点で朝鮮の人に対する「ごめんなさい」と、自然に対する「ごめんなさい」が私の中では共通しているんです、加害者としてね。自分自身は直接加害していないつもりだけれど、加害者の中の一員です。そのために、差別されてきた側の話をしっかり聞いて、何が本当で何が大切なのかを考えたいと思っています。それで今日は、安さんにお会いして直接お話を聞きたかったんです。

安  なるほど。僕としては、別に日本人に謝罪を求めているわけではなく、お互いにしっかり、正しく歴史を認識したいという思いがあります。それに朝鮮も、日本人の拉致という、やってはいけないことをしてきました。僕はそのニュースが流れたとき、本当にショックを受けました。自分の祖国がこんなことをやっていた、と。おまけに当時僕は、(拉致事件が発生した)新潟でプレーしていたので、一層ショックを受けました。

新潟にも朝鮮学校があって、在日コリアンのコミュニティもあります。そこで僕も含めてみんな、親に裏切られたような、親が犯罪を起こしたような心境になりました。それぐらいのショックでした。でも正直、僕らは当事者ではないじゃないですか。僕たちが拉致を指示したり、指示されてやったわけではない。それでもやっぱり、生まれ育った日本の人々に対しての、大きな罪を犯しているような思いにとらわれました。

日本の方々も、昔、朝鮮を植民地支配したし、朝鮮も、日本人を拉致している。そういうことがあったということをちゃんと認識した上で、お互い謝るとかではなく、二度とこういうことが起こらないようにしていくのが大事だと思っています。過去のことでいつまでも責め合うのではなく、お互いに歴史を認めていく、ということですね。

拉致問題で言えば、僕は、拉致に関与はしていないけれど、祖国が起こした問題だから、これからそういうことがないよう、関係性をしっかりと作って、被害者とも加害者ともコミュニケーションをとれるような雰囲気作りもしていく、というのが大事だと思っています。これからの未来ある子どもたちのために、いつまでも禍根を残すよりも、ちゃんと認め合っていく。そうしないといつまでも前に進めないと思うんです。

伊沢 本当にそうですね。だからこそきちんと歴史を学んで、罪を償い、いがみ合いは終わりにしないといけないですよね。でも日本では、それをやっていないんですよ。うやむやにしちゃって。そういう点で私は、戦後、ナチスの台頭を生んだ歴史の罪を認めて謝罪し、二度とあんなことが起きないように取り組んでいるドイツを、すごく羨ましく思っています。

安  僕はもう、国がどうこうというより、民間レベルでそういうことをしっかり認識して、手を取りあって進んで行けばいいじゃないかと思います。それが僕たちにできることだと思うんです。

伊沢 なるほど、ジョン・レノンのイマジンの世界ですね!

サッカーを通じて仲間になる

伊沢 ところで安さんは朝鮮籍だとおっしゃいましたが、韓国籍にしたらもっと色々なことがスムーズになるわけですよね。あえて朝鮮籍のままにしているのはどういう背景があるんですか?

安  正直、朝鮮籍のままだと大変なことは増えます。でも祖父母が大切に守ってきてくれたものなので、少なくとも僕は最後まで変えずにいるつもりです。変えるときが来るならば、祖国が統一したり、統一までは行かなくともお互いが行き来したり、交流ができて、朝鮮だろうが韓国だろうが、同じ扱いになったときですね。そのときはもう、韓国籍に変える必要もないですけど。国名も朝鮮でも韓国でもなく、「コリア」みたいな表記になったらいいなと願っているんです。

でも実際、国が統一するって現実的に難しいと思うんですよ。社会制度も違いますし。でもせめて、ちゃんとお互い行き来ができて、実際にそれぞれの土地を目で見ることができるようになってほしい。パスポートだけでも、僕はひとつになってほしいな。北も南もないコリアのパスポート。僕が生きている間に、今の若い子たちがそんなパスポートを持って、世界中を自由に行き来できたらいいですね。

伊沢 安さんは、在日コリアンとして、J1で活躍されたサッカー選手です。そこまでのぼりつめただけでも素晴らしいのですが、さらに子どものサッカー教室を運営したり、次の世代のことも考えていますよね。そこが素晴らしいです。これまで、在日コリアンとしての苦労はなかったのでしょうか?

安  まあ僕は在日3世で、1世、2世の方々が生きてきた時代とはまた、違います。それに制度上の問題や、日本人とはまったく一緒ではない部分も当然ありますけど、直接差別されたという経験もありませんでした。やられて嫌だったというようなことが、それほど記憶にないんです。

むしろ僕は、小学校から高校までは朝鮮学校、大学からは一年浪人をして立正大学という日本の大学に通ったんです。そのときに初めて、日本人のチームメイトと一緒にサッカーをして、日本の監督、コーチのもとで指導も受けました。

ただ、初めての環境だったので、最初は戸惑いはありました。日本人と名前も違いますし。日本人のチームメイトとは、差別というよりも、お互いにちょっと慣れない部分がありました。でもすぐにサッカーを通じてうちとけて、仲間になりました。サッカーがひとつの融和剤になりました。

伊沢 サッカーって世界で一番広がっているメジャーなスポーツですよね。もし他の、もっと地域性のあるスポーツだったら違ったかもしれないですね。

(「アルビレックス新潟」でプレーする、現役時代の安さん)

安  まあどんなスポーツでも、お互いに一生懸命やっていたら、仲間にはなると思います。でもやっぱり、サッカーを通じて仲間になるのは早かったです。パスを交換して、お互い体をぶつけて、競い合ったり協力するうち、すぐに心が通いました。

さきほど、“心が通っていないとパスが通わない”という話をしたんですけど、パスを交わすごとに心が通いました。一緒にボールを蹴るごとに絆が深まりましたし。僕もそんなにうまい選手ではないですけど、誰よりも一生懸命やるので、そういった姿勢を見て互いに気持ちも通じるわけですね。ボールと一緒に自分の気持ちも飛んでいくみたいな。僕の気持ちをぶつけて、情熱もぶつけて、そういう中で、仲間たちから信頼を得ることができました。監督やコーチも信頼してくださって、四年生のときにはキャプテンも任せていただきました。

大学時代はすごく貴重な四年間でした。高校まではずっと朝鮮学校で、在日コリアンだけの世界で来ましたから。それが初めて大学で、日本の仲間たちと一緒にサッカーを通じて仲間になれて。それにみんな応援してくれたんです。大学の先生方や食堂や売店のおばちゃん、大学のサッカー部じゃない友達もみんな、応援してくれました。

プロになってからも、新潟、名古屋、大宮、柏、横浜とサッカーチームを渡り歩いたんですけれど、行く先々で皆さんに応援してもらいました。チームメートをはじめ、監督、コーチ、スタッフ、チーム関係者、ファンサポーター。それにスポンサーの方々も、みんな可愛がってくれました。そういう中で生きてきたので、僕はむしろ日本の方々には、感謝の気持ちがすごく大きいです。

伊沢 そうだったんですか。それは本当に素晴らしいですね。ニュースを見ていると在日コリアンへの差別がよく取り上げられていて、在日コリアンの人たちはあちこちで差別を受けてきたというイメージを実は持っていたんです。でもやっぱり、本人に聞かないと分からないものですね。

安  はい、そうですね。僕は日本以外にも、4年間韓国のサッカーチームでもプレーして、釜山(プサン)と水原(スウォン)という街で過ごしましたし、朝鮮民主主義人民共和国代表としても10年間プレーしましたけど、どこに行ってもサッカーを一生懸命プレーする僕をみんな応援してくれたんですよね。日本でも、韓国でも、朝鮮でも。ですので、どこも自分のホームだと感じながらプレーすることができました。

今、僕は引退して、いろんな活動をしてますけれど、そういう感謝の気持ちをテーマに、在日コリアンの皆さん、後輩や、日本の人たちに、しっかり恩返しをしたいと思っています。

伊沢 正直私は在日コリアンの問題について、ネガティブな情報でばかり判断していました。でも安さんのお話を伺って、私自身もずいぶん偏っていたなと思います。

安  もちろん、朝鮮学校に対する補助金の問題などはあります。我々在日コリアンの立場からすると、もう少し理解を示していただきたいと思います。日本の学校ではないので全く同じ扱いは難しいかもしれませんが、子どもたちが学ぶ場ですから、もう少し公的にサポートいただきたいです。

僕もそうですが、朝鮮学校を卒業した子どもたちは、ほとんどが日本でこれからも生きていくと思うんです。中には一部、海外に移住したりする子どももいますが、祖国に帰る選択肢もないので。

日本に対して、感謝の気持を持って恩返しをしていきたい、社会貢献をしたいと思えるような環境づくり、社会づくりを、共にしていけたらと思います。

伊沢 なるほど。さっき話していた、「民間レベルでできることをやる」ということですね。国や政治に働きかけることも大事ですが、なかなか動かないですしね。ところで安さんは選挙権はあるんですか?

安  ないんです。日本に生まれ育ってここに住んでいるんですけどね。仕事も日本でしているんですけど。それでも日本政府は外国籍の人の権利を認めないですよね。でも時代は変わっていくものだと思うので、その準備をしておこうと思います。変わり始めたときに慌ててやるのではなく、今から自分たちができることを進めていけばいいのかな、と。そのときのために備えます。

                                       (取材・執筆・撮影:小松由佳)

                〜サッカーは心のスポーツ(後編)へ続く〜