サッカーは心のスポーツ(後編)

安英学(アン ヨンハ / 元サッカー選手・元朝鮮民主主義人民共和国代表) × 伊沢正名(糞土師)

前回に引き続き、安英学(アンヨンハ)さんとの対談を続けました。

次の世代のために繋げていくこと

伊沢 時代の先をイメージして行動するって大切ですよね。この「対談ふんだん」を始めたのも、そこなんです。これまで糞土思想は自然と人間が共生するにはどうしたらいいかを考えてきたけど、この対談ふんだんでは自然とだけでなく、人間同士もどうやったら共生できるのか、自分自身も知りたいし、その事をより広く深めていくための対談なんです。本当に、話を聞くたびにいろんな人から新しい気づきを与えてもらっています。

私は今72歳。この先何年あるかわからないので、必要なことは今やっておかないといけないなと思っています。出来る限りのことはやったんだと、満足して最期を迎えたいですね。

安 僕も同じ思いです。引退してから僕は、日本全国にある朝鮮学校を回っています。学校を訪問して子どもたちと話をして、僕が子どもの頃からサッカーを続けてたくさんの人に出会ったこと、大きな夢を持ってきたこと。そして今、引退してなお、いろんなことをやっている話をしています。いつも子どもたちには、「君たちにしかできないことがあるから、自分の好きなこと、得意なことを見つけて君たちにしかできない役割を果たしていってください」と話しています。それからみんなでサッカーをして、給食を食べたり、学校の状況や現状も見せてもらって、先生方のお話も聞いて。地域の在日コリアンの同胞と夜、焼肉食べて、お話を聞いて。僕は政治家ではないですけど、朝鮮学校でお世話になった人間として、今そういうことをやっているんです。少しでも恩返ししていけたらなと思って。

伊沢 今のところ、訪問しているのは朝鮮学校だけなんですか? 日本の学校は?

安 日本の学校も、たまにあります。たまに僕を知っている方から講演の依頼をいただきます。日本の子どもたちはほとんど僕のことは知らないですが、両親から聞いたりして歓迎はしてくれます。でも一緒に話したり、サッカーをしているうちに、やっぱりすぐ打ち解けます。こうやって僕のような在日という存在を、日本の学校や日本の子たちに知ってもらうことが大事なんじゃないかなと思っています。

僕は歴史の話をわざわざしないですけど、在日として日本で生まれ育つ子どものことや、朝鮮学校のこと、そこで育ったみんなが、それぞれ夢を持ってがんばっていることなど、そういうことを伝えるだけでも、在日コリアンへの先入観や壁がすごく低くなるのかなと思うんです。今後日本の子どもが在日コリアンとどこかで出会ったときに、もしかしたら、昔、そういう人が学校に来て話をしてくれて、ボールも一緒に蹴ったな、という思い出があれば、すんなり相手を受け入れやすいじゃないですか。

朝鮮学校は北は北海道、南は九州まであるんです。どこの学校にも朝鮮学校を支える会があって、日本の方々が応援してくれているんですよ。

(朝鮮学校を訪問する安さん)

伊沢 朝鮮の人が、じゃなくて、日本人が?

安 はい、日本の地域の方々が、朝鮮学校を支える会っていうのを作って応援してくれるんです。団体で物心両面のサポート、応援をしてくださっています。どこの学校にもそういう人々がいらっしゃるんです。本当にありがたいことです。

滋賀にも朝鮮学校があって昨年行きました。朝鮮学校のことは「ウリハッキョ」っていうんですよ。朝鮮語で「ウリ」は「私たちの」、「ハッキョ」は学校です。「私たちの学校」という意味ですね。滋賀では朝鮮学校を支える日本の方々も、学校を「自分たちの学校」として「ウリハッキョ」と呼んでくださいます。日本の方々まで「ウリハッキョ」と言うのは珍しいんです。それぐらい一心同体で応援してくださっているということですよね。感謝の気持ちでいっぱいです。そういう日本の方々がいなかったら、朝鮮学校ももう存続していないと思うんですよ。横浜にも朝鮮学校があって、入学式をお祝いしてくださる日本人の集まりがあるんですよ。

体育館の入り口で、日本語で「入学おめでとう」、ハングルでも同じ意味で「イパッチュッカヘヨ」と書かれた「のぼり」を持って立っていてくださり、新入生の入学をお祝いしてくださるんです。6年前、僕の息子が1年生のときに、初めてそれを目にしたんです。僕がもし日本人だったら、在日コリアンを差別することはしないと思うんですが、ここまでは応援もしないだろうと思うんです。こうやって休みの日に集まって「のぼり」を持ち、学校の子どもたちをお祝いしてくださる。なんてありがたい方たちだろうと思います。

伊沢 それは知りませんでした。この事はニュースになっていますか? 本当はこういう動きこそもっとメディアで紹介されたら、どんどんお互いに融和していくはずですよね。差別についての報道は多いけれど、お互いに良い活動をやっている報道は少ないですよね。

安 それでも時代は間違いなく変わっていきます。だから我々は、若い人たちのために準備をしておきたいですね。

伊沢 やはり次の世代のために繋げていくことですね。私もこの糞土塾を子育て世代や若い人にどんどん活用してもらい、子どもたちがすくすく育っていくような場にしたいんです。

私はあと何年元気でいられるかわからないですから、元気なうちに環境を整えておきたいんです。この糞土庵もプープランドの林も野良ガーデンの畑も全部しっかり整えて、次の世代に譲りたいと思っています。そのために私が死んだ後も、ここを引き継いでもらえる人が現れるのを待っています。それが私の最後の夢です。

先入観や偏見のない「場づくり」

伊沢 それともう一つ、私は「しあわせな死」というのも考えているんですよ。「死」と聞くと、もうおしまいというイメージでみんな嫌がるでしょ? でも私はそれを積極的に肯定したいんです。私がやっている糞土思想では、うんこは食べた後の残りカスで死物ですが、自然の中で野糞をすることで、他の生き物の食べ物になります。まず糞虫や獣などの動物が食べて、菌類が食べて分解すれば無機養分になって、それを植物が食べて成育し、それをまた動物が食べるという循環があります。そうやって永遠に命は続きます。ということは、死体もウンコと同じ死物ですから、生態系の循環に乗せれば命だって永遠に続くはずです。

死ぬと自分の人生は終わるかもしれない。でも、命ってうまく受け渡せば、永遠に循環していく。それが私が考えている「しあわせな死」の大本にあるものなんです。死んだっておしまいじゃない、命は他の生き物に引き継がれて、まだまだ続くんだよ、とね。糞土思想は表面上はウンコと野糞の話ですが、その裏には命の在り方や死生観にまで踏み込んだ深いものがあるんです。

これは私が書いた本です。ここではまだ糞土思想は出来上がってはいないのですが、どうぞ読んで下さい。こっちの『うんこはごちそう』は子ども向けです。

安 息子が喜びそうです。ありがとうございます。

伊沢 これは、葉っぱでおしりを拭くための『お尻で見る葉っぱ図鑑』です。お尻を拭くのに使える葉っぱをここに持ってきました。触ってみてください。ね、柔らかいでしょ。

安 おお、柔らかい! なめし革みたいです。

伊沢 そうなんです。紙に負けないですよ。しかもこれ、枯れ葉です。枯れ葉も湿気が少しあれば、ちゃんとお尻が拭けるんです。

(湿り気のあるギンドロの枯れ葉の柔らかな感触に、思わず微笑む安さん)

安 一度に何枚ぐらい使うんですか?

伊沢 それは好きなだけです。私は一枚じゃ危ないので、裏打ちして2枚重ねています。それで2〜3回拭くと、けっこう綺麗になリますよ。

安 伊沢さんは葉っぱを一枚一枚試されたんですか?

伊沢 そうです。尻ざわりとか、拭き取り力とかね。8年かけて数千のデータを取って作ったのがこの本です。安さんのお子さんはいくつなんですか?

安 今、小学校6年生です。子供はうんこが好きですよね。でも、息子がいきなり葉っぱでお尻拭きだしたら、母親がブチギレそうです(笑)。

(プープランドには手作りのブランコやシーソーなどの遊具もある)

(枯れ枝をバッテンに立てた野糞跡の目印が、プープランドの林のあちこちに!)

 

伊沢 みんな最初は引くんですよね。私の講演会は、大体ウンコに興味がある人が来るんです。ところが大学の講義とかに呼ばれて話すと、全然興味のない人が圧倒的に多いので、みんな最初は引くんです。でも最後にレポートを書いてもらうと、「こんな話は初めて聞いた。もっと小さいときに聞いていれば良かった。」というような声が多くて、けっこう響いているようです。それまで興味がなかった人にも聞いてもらうことが大切だと思うんです。

安 そうですね。大人たちの古い価値観からではなく、子どもたちがのびのび成長していけるように僕も考えているところです。

伊沢 つい先日、千葉で講演会をやったんですが、参加者の一人から、最近自分の子が通っている保育園でシャボン玉遊びが禁止されてしまったと聞きました。新型コロナの流行もあるようですが、シャボン玉をぷーっと膨らますとシャボン玉の中にその子の吐いた息が入って、それが飛んでいってパっと割れたら、みんながその息を吸うじゃないか。危ないからやめろ、という保護者からのクレームがあったというんですよ。

安 それは、過激な考え方ですね。

伊沢 そういう本当につまらないクレームに押されて、全体がルール化してしまう。一人でも批判があったらその意見に屈して、じゃあシャボン玉遊びをやめましょうとなってしまう。なんでも禁止、禁止ですね、もう。ほんのちょっとのリスクを避けるために大きなプラスを次々にダメにしているんですよ。それが今の日本社会の姿ですよね。そこをどうやったら破っていけるのか、ずっと考えています。

だから私はあえてウンコを武器に、みんなが嫌がるけど実はこんなにすごいんだぞ、とやっているんです。理解者は増えてきていますが、限界は子育て世代くらいまでで、あんまり歳がいくと先入観が強くて難しいですね。今日、安さんと対談したいと思ったのは、Jリーガーとして活躍されただけではなくて、子どもサッカー教室をやっていることを知ったからなんです。安さんが次の世代に何かを伝えようとしてやっていることを、もっと知りたいんです。 

(「ジュニスターサッカースクール」にて、子どもたちにサッカーを教える安さん)

安 僕はサッカーも子どもも好きなので、引退する前からサッカースクールを始めようと思っていました。それでまだ現役の間に始めたんです。これからもサッカースクールはずっと続けていきたいですね。コーチは別に置いて、直接の指導は任せますが、僕は必ず顔は出します。僕は指導を見ながら、子どもたちの表情を見たり、一緒にコミュニケーションを取ったり、一緒にプレーしたりして、彼らに必要なものが何かを考えます。

ゆくゆくは、在日コリアンの子どもたちと日本人の子どもたちが、一緒にサッカーをする場を作りたいですね。子どもたちは、大人が「仲良くして」と言わなくても、ちゃんと自然に仲良くなるんです。たまには喧嘩もしますけど、国籍やルーツに関係なく、人間対人間で向き合っているんです。しかも、年齢が幼ければ幼いほど、早ければ早いほどそうです。ですから僕の役割は、そういう場を作ることです。大人になって違うルーツの人に出会うより、子どものうちに出会って仲間になっておけば、彼らの間には差別とかないんですよ。もはや偏見もないし。場って本当に大事ですよね。しっかりした場があれば、差別とか偏見とかは生まれないと思います。お互い出会って触れ合って交流をすれば。そしてまた、そこにサッカーというものがありますしね。スクール以外でも、そういう活動をサッカーを通じてできたらと思います。

伊沢 先入観のない場づくりは本当に大事ですよね。ウンコに対する嫌悪感だって子どものときは別になんとも思わなかったのが、だんだん世間の常識に染まってしまい、そんな汚いの触っちゃだめだ、となるわけです。先入観がない子どものうちに、ウンコの本当の価値と野糞の気持ちよさを知ってほしいですね。

2011年の東日本大震災では、災害時のトイレ問題が一番大変だと知りました。私もボランティアに行こうと思いましたが、どうせやるんだったら私はトイレ問題の解決が一番だと考え、「ボランティアで正しい野糞の仕方の講習をします」って連絡したんです。でもぜんぜん返事がなく、完璧に無視されたんです。トイレが使えなくてみんな困っている状況でも、野糞は受け入れてもらえない。トイレ問題で人の命がかかっているというのに、そこまで世間の価値観は凝り固まっているのかと、本当にガッカリしました。

(糞土塾近くの野良ガーデンにて。写真中央は、安さんを紹介してくれた野村和正さん。安さんとはサッカーを通じ交流がある)

(野良ガーデンの畑は長期間の耕作放棄で荒れ果てていたが、土作りが始まった)

安 違和感が少しでも少なくなるように、野糞のネーミングを変えるのはどうですか?

伊沢 はい。そういう声があちこちから出ているので、最近考えたのが「マイフン」です。糞を土に埋めるということで「埋糞」ですが、英語風に「my fun」とすれば、楽しい喜びにもなってしまいますよね。

安 いいですね。そういう感じですよ。野糞と聞くと、みんな「おぉ、マジか」といった感情は持ってしまいますよね。我々男性ならもうなんでもいいんですけど、若い人や女性はやっぱり、かわいらしいネーミングのほうがいいんじゃないですか。ちょっとかわいい「のぐそっち」みたいな。そういうひと工夫があったら、野糞は随分ハードルが下がるのかなと思います。

それからディズニーランドのようなテーマパークでも、みんなその雰囲気になりきっていますよね。ディズニーランドに行くと、みんな人格が変わります。乗り物に乗っているとお互いに手を振ったり、みんな笑顔で優しくなって。そういうのをディズニーランドの外でもやったらいいのにと思います。空気作りというか、場作りというか。それを日常にそのまま持っていくというのは難しいですけど、やっぱり場があれば、人は変わるんだと思うんです。

(野良ガーデンの端の林内にある、野糞トイレ用の目隠し)

(野糞トイレのウンコ穴。分解熟成したら畑に撒いて循環させる)

「負けてもいいから、失敗してもいいから、手抜きしないで全力でやろう」

伊沢 場ということで多少関係があるかもしれませんが、安さんは今まで、日本のチームでも韓国でも、そして朝鮮の代表選手としてもプレーしてこられましたね。こうしたそれぞれのバックグランドが違うチームでプレーする上で、どんなことを心がけてこられたんでしょうか。

安 基本的には一生懸命やることです、どこに行っても。

僕は、プレーが特別うまいとかではなく、最後まで諦めない姿勢や、気持ちを見せてプレーする選手でした。倒れてもすぐ立ち上がったり。そうしていたら、みんな認めてくれましたね。その気持があれば、どこに行ってもやっていけると思いました。

プロの世界なので、一生懸命やるだけでは評価されないときもあります。でも、試合に出られないときでも、控え組の練習だからと手を抜くんじゃなく、2軍に落とされても常に全力でプレーしていると、やっぱり仲間たちが見ているんです。そういうところをファンだって見ています。そういうのが大事だと思います。どこの国とか、何人とかは関係なく。そういう姿を僕は応援してもらいましたね。そして僕が教えるスクールの子どもたちにも、それを教えています。

「負けてもいいから、失敗してもいいから、手抜きしないで全力でやろう。勝ち負けより、それが大事だから」と。それを負けたからとバカにする子は、俺は許さないから、とも厳しく言っています。負けても最後まで一生懸命やったら、最高に格好いいじゃないですか。ボールに届かなかったけれど、最後まで体を投げ出してプレーしていたり、そういうところはちゃんと見逃さないで褒めてあげます。たとえボールに届かなくても、一生懸命やったのはいいことなんだと。

伊沢 いやー、今日は安さんと対談できて本当に良かったです。

朝鮮学校のことや子どもたちへの接し方、特に「サッカーは心のスポーツ」という言葉には感動しました。今まで私は、スポーツにこれほどの素晴らしさや力があることを理解していませんでした。予想を遙かに超える素敵なお話でした。野村さんも、本当にありがとうございました。

                       <了>

                             (取材・執筆・撮影:小松由佳)