最期は獣に食べられたい(後編)

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服部文祥(サバイバル登山家)×  伊沢正名(糞土師)

 

前回に続き、サバイバル登山家の服部文祥さんと対談を進めました。

遺体を焼却するのは残念

伊沢 現代は人が亡くなると遺体を火葬しますが、昨年アメリカで死体を堆肥化してもいいという法案が通りました。あれは面白いですよね。

服部 人体にわざわざガソリンをかけて燃やすことは無駄ですよね。肥料にして畑に撒くのはなかなかいいですね。アメリカの法案は面白いと思います。

伊沢 日本でやっている散骨や樹木葬は形だけのものです。所詮は火葬で、単に墓に納めないというだけですからね。

服部 自然へ還りたいという気持ちはあるわけですよね。そんな人たちは、もし別の選択肢が提示されたらより本質的な方向に修正できるのでは?

伊沢 服部さんのように自然の生き物と直接命のやりとりをしている人は、正しい方向というものがもう見えているわけですよ。そういうものをどんどん広めていきたい。しかし現代人は上っ面の綺麗事に邪魔されて、本質的なことが見えにくくなっている。だから儀式にしか過ぎない樹木葬で満足できるんでしょう。

服部 例えば命を得ることに関しても、昔は自分で殺していた。でも今は殺しの体験のようなものをやらなくて済むように、しかも見せないようになっていますね。

伊沢 あれが良くないです。

服部 でもどこかで自分は関わりたくない、見たくないという感情があるのも事実です。それに応えて、こういう社会システムができあがっている。

伊沢 それを綺麗事だと私は思うんです。

服部 まさに。きれいに蓋をしていますね。

伊沢 子供の綺麗事じゃなくて大人の社会的な綺麗事ですよ。それを良いことだと推し進めているのが、多くの良識人や人権派なのだから厄介です。

 

「人権」という概念のおかしさ

服部 人権は、私の世界観でも「敵」です。かなりの強敵ですね。

伊沢 どうしてそう思われますか?

服部 人権というものがそもそもこの世に存在していない。ヒューマニズムという言葉自体がおかしいでしょ。だって言葉は人間しかわからないのに、動物との対比で話していて、一体誰に言っているのかなって思う。鹿やイノシシに対してヒューマニズムを主張するなら、ケモノたちが理解できる「ことば」じゃないと、意味がない(笑)。

人権というのは人間の約束事ですよね。生きる権利があるってことになっているけど、人間社会の中ならともかく、自然界にそんなものはございません(笑)。生きるために各自が自由に努力することは平等に許されている、というあたりが正解であって。人権教育はおかしな世界観の元凶ですね。

伊沢 自分さえ、自分たちさえ良ければいいという人間中心主義ですからね。でも、たとえば「人権」が人間社会での身分差別のようなものに対しての主張であれば、それはそれで良い面もあると思います。

服部 みんな、互いを尊重しようというところかな。

伊沢 そうそう。でも命や死の問題になると、人権ほど面倒なものはない。 

服部 人だけ優先的に生きる権利があると思っていますからね。

伊沢 そうなんです。社会的弱者に分類される人というのは今も存在していて、そういう人には人権は有効ですし、まだ良いと思うのですが。

服部 なるほど、その通りです。

伊沢 死のところでそれを考えると……。

服部 でもみんな信じているよなあ。

伊沢 学校や社会で叩き込まれちゃいますよね。

服部 多くの人が病院へ行けば、ケガも病気も治ると思っていますしね。そんなことあるわけないのに。