最期は獣に食べられたい(後編)

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真の共生とは何か?

伊沢 ところで服部さんの著書の中で、共生について書かれていた内容が興味深かったです。一般的に考えられている共生というのは、人々が手を取り合って助け合うというもの。でも服部さんは、人間と獣が時には命を奪い合いながら互いが精一杯生きるのが共生だ、と。

服部 大きい獣を殺すのって重いんですよ。

伊沢 重いというのは物理的なことですか?

服部 いえ、精神的なことです。ああ、やってしまった……みたいな感じがあるんです。美味そうだなとか、射撃が上達したなという思いも同時に巡るのですが、やはり大物獣の命を止めるという体験は、精神的にドーンとくる。だからといって自分が狩りをやめたとしても、誰かが食肉処理場で殺している。ただ、こんなことを言うとまた問題かもしれないのですが、家畜と野生って微妙に重さが違う。

伊沢 両者の命が違うということですか?

服部 はい。簡単な言い方をしてしまうと、家畜は「考えていない」ですね。自分で生きるための判断をしていない。うちでは鶏をずっと飼っていたんですが、ある日、新入りのオスが1羽やって来たんです。そのオスは元々鶏舎で飼われていて、配合飼料ばかり食べていた。でもうちで飼っていたメスたちは放し飼いにしていて、エサ以外にも、ミミズやバッタを自分で獲っていました。

伊沢 つまり狩りをしていたわけですね。

服部 そうです。そこに鶏舎で育てられたオスが新しくポンと入った時、メスたちが誰も交尾させてくれなかったんです。

伊沢 アッハッハッハッハ。 

服部 オスが交尾しようとしてもメスがあっという間に走って行ってしまい追いつかないんです。その雄はエサも最初は配合飼料しか食べなかった。すこしずつ慣れていって、庭を歩くようになり、他のメスたちと同じようにできるようになった。それを眺めていて、鶏舎から出たことのない鶏は世界観が狭いんじゃないかなと思ったんですよね。

そして、そんな家畜家禽を殺すのはどちらかというと軽いのではないか、と。家畜は人間が管理している命だから、人間が自由にしていいと、はっきり言う人もいます。その考えを延長すると、人が管理していない野生獣を殺すのは家畜を殺すより罪深いことになる。

伊沢 逆にね。

服部 ある意味では筋が通っていると思うんですよ。野生の動物を観察していると彼らは色々考えているのが分かるし、自分の力だけで生きているわけだから、それを殺すのと家畜を殺すのとでは重みが違う。野生の動物を殺す重さについてはずっと考えていますね。