糞土師の独談(後編)

独談の前編・中編では、糞土師誕生までの道のりと、特筆する出来事の幾つかを語りました。その後の糞土師の歩みは、思わぬ災難を経ながら希望の未来へと向かいます。 

よりによって舌癌になる

2015年は正月早々、母の死去で年が明けた。98年に父が亡くなって以来、そのままになっていた相続手続きなど、いろんな事がようやく片付いた頃、今度は自分自身の舌癌騒ぎでてんやわんやの日々になってしまったんだよ。

命の循環を根底に据えた糞土思想を探求しながら、私は死の意義は理解していたし、死への恐れもすでになくなっていたよ。その時が来たら死ねばいいと覚悟を決め、しばらく前から定期健康診断も受けていなかったんだ。実際2012年夏には、自転車で夜道を帰宅途中、後ろから来た車に跳ね飛ばされた。一歩間違えば死、という状況だったけど、それでも恐怖心はまるでなかったんだ。

実は前の年の秋から舌の右側が痛かったんだけど、口内炎だろうと軽く考えてそのまま放っていた。するとある朝目覚めると、枕が血で真っ赤に染まっていた。初めて舌の裏側を鏡で覗くと、そこにはグランドキャニオンのような裂け目が出来ていて、赤い血の河が流れていた。もしかすると癌かもしれない。でも、癌に負けて死ぬなら仕方がない、と考えているうちに、だんだん食べるのも話すのも大変になってきちゃった。しかし、この先決まっているいくつもの講演会だけは、何としてでもやり遂げたかったんだ。

講演会が一区切り付いた5月の連休明けに、長年の禁を破って病院へ行くと、いきなりステージ3の癌宣告を受けた。そして医者は、舌を半分切り取ると言うんだ。そんな! しゃべれなくなるじゃないか。「私にとって舌は命。話せなくなるくらいなら手術はせずに、死ぬまで講演会を続けます」と啖呵を切ったよ。

ウンコ運び出し計画

それに対して医者が言うには、完全に言葉を失うわけではなく、リハビリを続けたら話せるようにはなるとのことだった。ウーン、糞土師活動はまだまだ道半ばにも来ていない。幾つか講演会をやって終わりになるよりも、手術をして、その先の可能性にかける決断をした。そこで真っ先に頭に浮かんだのが、入院中のウンコをどうするかだった。絶対にトイレには流したくない。「牛乳パック法」を実践するときがついに来た!

以前、糞虫研究者から、携帯便器に代わる素晴らしい方法を教えてもらったことがあった。糞虫研究者は採集旅行でなるべく多くの成果を上げようと、糞虫をおびき寄せるために餌となるウンコを、普段から大量に貯めておくというんだ。空になった牛乳パックにウンコをして、ガムテープで閉じておけば、中身も臭いも漏れないという。新たに資源とエネルギーを浪費して作る携帯便器よりも、使用済みの紙パックを再活用した方がはるかに良いよね。

病院から帰宅してすぐに、糞土研究会の会計をしている快便陶芸家、小峰さんに電話をした。「舌癌の手術で入院することになったんだけど、空の牛乳パックを持って毎日面会に来て欲しいんだ。そしてウンコの入った牛乳パックを持ち帰ってもらい、中身を山に埋めてくれない?」 最初はたじろいでいた小峰さんも、さすが出納係だ!ウンコの出し入れも承知してくれた。しかし毎日は難しい。他にも何人かに頼んでローテーションを組んで……と計画を立てている最中に、思わぬ朗報が飛び込んできたんだよ!

夢の「小線源治療」

以前から糞土師活動を支えてくれて、糞土研究会の事務局もやってくれている前田敏之さんが、切らずに癌を治す治療法を探し出してくれたんだ。放射線の出る小さな針を直接患部に刺す「小線源(しょうせんげん)治療」で、これなら回復も早い。ところがこの治療は、ステージ2までの癌にしか使えなかった。しかし私にはこれ以外に選択肢はなかった。そのため小線源治療に入る前に、癌をレベル2まで縮める必要があり、5月末から抗がん剤の、そして6月には放射線照射の治療を始めたんだ。

そんな慌ただしい治療の合間を縫って、6月中に福島、京都、長野で講演を7回と対談を1回、野糞のフィールドワークを2回敢行するという無茶を経て、7月13日に入院した。この治療では、放射線の出るイリジウム針を舌に刺すため、自分自身が放射線源になるから病室から一歩も外に出られず、面会にも厳しい制限があったんだ。あの牛乳パックウンコ運び出し計画は画期的だったけど、残念ながら断念せざるを得なかった。とうとうウンコを土に還すのは不可能になったけど、この時すでに連続野糞記録が途絶えていたこともあって、極端なこだわりは消えていたんだ。7月21日の退院までにトイレでウンコを6回、それほど悩まずに出せたのは助かったね。

それにしても舌癌を疑ってからしばらくは、癌の転移なんかも考えて、下手すればこれで終わりかな、とこれまで以上に死に向き合うことが出来たんだ。交通事故に遭って死に損なった時もそうだけど、ある意味、死の当事者になれた。これは後々、『しあわせな死』について堂々と言えることにも繋がり、今思うと、すごく大きな収穫だったよね。

無謀な講演会再開。糞土師、危機に陥る

舌がしっかり回復するまで、退院後3ヶ月は講演を休むようにと医者には言われていた。しばらくは味覚障害があったり口内炎で辛かったものの、だいぶ回復してきた8月18日、「サンドウィッチマンの東北魂」というラジオ番組に、急な依頼があって出演した。また、29日には試しに短時間のミニ講演をしたところ、そこそこ上手くしゃべれたんだ。もう大丈夫かな、と気が大きくなっちゃってね。それまで治療のために、いくつもの講演会をキャンセルしたのが悔しくて、その分を取り戻そうと医者の忠告を無視し、退院後わずか一月半で本格的に講演会を再開しちゃったんだ。

それも熱くなりやすい性分から、いきなり2日間で兵庫、大阪、京都を回って講演3回とフィールドワークが2回。おまけにその前後3日間は、主催者宅に泊まって深夜までしゃべり続け、暴走しっぱなし。その直後にはNHKの「マサカメTV」で尻拭き葉っぱが取り上げられ、その取材と収録で、なんと10時間も話し続けてしまった。また、横浜の慶應義塾大学では、講演会場の移動こそないものの、1日に3回の講演。その年の暮れまでに全部で20回の講演を強行するという無理を重ね、すっかり舌の調子を崩してしまったよ。

検診で病院へ行くたびに医者に諭され、さらには前田さんからも説教されたりして、翌2016年は7月までは自重したんだ。でも、少し調子が良くなるとまたも懲りもせず、8月からの3ヶ月で16回の講演を強行。そのうち痛みはますます酷くなり、今度こそダメかもしれないと思うようになった。そこで、たとえ話せなくなっても糞土思想を伝えられるように、講演内容を音声付きのスライド動画で残しておこうと、2016年10月末には東京シューレ大学で収録用の講演会を緊急に実施したほどだった。

それにしても糞土師にはウンが付いている。2017年は1月末から講演会を始めたんだけど、舌の調子は一進一退を繰り返しながらもそれほどは悪化しなくなり、この年は全部で51回も講演会をやれたんだ。そして、せっかく作ったんだからと音声付きスライドも何度か使ってみた。ところが、やっぱり直接話したほうが良いと評判はイマイチで、結局これはお蔵入りになっちゃったんだけどね。

他にもこの年は、正月に出た『葉っぱのぐそをはじめよう』が契機となって、TV番組「タモリ倶楽部」に出演するなど、メディア出演も結構あったね。癌からの復活を果たし、これからは順調に進むかと期待したんだけど、その流れを大きく変えてしまったのが新型コロナウィルスだった。

尻拭き葉っぱの最高峰「ギンドロ」の苗が、糞土塾の庭には次々に生えてくる

「しあわせな死」

舌癌になったことで、死への思いはさらに深まってきた。以前は死の恐怖から逃れることを主に考えていたけど、今では「しあわせ」を求める方向へと大きく変わってきているんだ。

それは個々人の死生観よりも、人類全体の死生観への転換でもあったね。死ぬことに価値や「しあわせ」を見出せるようになれば、苦しみも無理もなく人口減少が可能になるんじゃないか。つまり、人口過剰は生態系のバランスを破壊する根本原因なので、それを解消することで危機に陥った地球環境を再生し、将来の世代をしあわせに出来るんじゃないか、と考えたんだよ。 

今の私自身にとって「しあわせな死」を一言で言えば、「破産して野垂れ死に」。生きるために自然からも人間社会からも、私は多くのものをいただいてきた。それらをすっかりお返しして、自然の中の多くの生き物と後の世代に引き継いでもらうことで、私の命を循環させたい。つまり、私のところにやってきた命が、私の人生を形作り、喜びも与えてくれた。だから今度は、その命を他の者に引き継いでもらい、生かし続けてもらうのが、私にとっての死なんだ。これが「しあわせな死」の姿であり、決して死は終わりなどではない、と考えているんだよ。

そのためには死骸は他の動物や菌類に食べられたり、土に還るのが絶対条件なんだ。でも人間社会の中で死んだら、ほぼ間違いなく火葬されちゃうよね。だから山にこもって、誰にも知られずに野垂れ死にするのが望みなんだ。

そして「対談ふんだん」へ

2017年に『葉っぱのぐそをはじめよう』を出版し、次の目標が「対談ふんだん」だった。様々な分野で活動している人々と対談することで、それまで知らなかった世界から新しい価値観や気づきを得て、糞土思想と「しあわせな死」をさらに深めたかった。と同時に、その記事をインターネット上で公開することで、より多くの人々に糞土思想を知ってもらうきっかけにもなると考えたんだ。

その最初の対談相手が、この対談の7回目に公開した「生ききりたい」の、長野淳子さんだった。すでに末期癌で死に直面している淳子さんからは、きれい事じゃない、本物の話が聞けると思ったんだ。でも本人から、死について率直な思いをうかがうことに本当に躊躇し、苦悩もした。夫の亮之介さんには『葉っぱのぐそ』のイラストを描いてもらうなど、長野さん夫妻とは良い関係が続いていたしね。それがこの事で険悪になっては、と逡巡したけど、覚悟を決めて対談をお願いする手紙を出したんだ。そうしたら私の心配をよそに、快く引き受けていただけて、貴重な対談が実現した。この事で淳子さんには、「しあわせな死」の探究にも大きな力を与えてもらえたと、すごく感謝しているんだ。

「対談ふんだん」の危機

この「対談ふんだん」は、企画段階から取材、編集、webサイト作りに至るまで、『葉っぱのぐそをはじめよう』の本作りも手がけた、編集者の大西夏奈子さんの協力があって実現できた。そして私は、糞土思想の探究のためには便利なものに頼らず、生き物本来の力で生きることが大事だと考え、スマホはおろかケータイもメールも無縁な生活にこだわるネット難民だった。私自身が不自由するのは勝手だけど、それに付き合わされる大西さんは大変だったに違いないよね。

例えば対談原稿のチェックは、まずはプリントした原稿を送ってもらい、わざわざ電車でこちらに出て来てもらって、対面での修正作業を何度も何度も繰り返した。また対談取材では、都内だけでなく京都へ姫路へと遠出もしたよ。こうして10名程の方との取材を済ませ、原稿もある程度出揃った。さあ、いよいよ「対談ふんだん」スタートという段になった2020年の4月末、大西さんから突然、「もうこの仕事から下ろしてください」って言われてしまったんだ。

コロナ禍でウンをつかむ

その一方、2020年は新型コロナの流行で、春先から講演会はほとんどが中止や無期限延期になった。それに替わる糞土師活動としても、「対談ふんだん」にかける期待は絶大だったんだ。そんな矢先の大西さんの辞退宣言。さあどうしよう。作業を引き継いでくれる人は一応見つかったんだけど、その必須条件が、メールで原稿のやり取りをすること。これまでと同じように、いちいち出かけていって原稿チェックなんて、今どきあり得ない!と一喝されちゃったよ。

いかに大西さんが貴重な存在だったか。しかもそれに甘えすぎて、とんでもなく疲弊させてしまったことをつくづく思い知らされ、ひたすら詫びるしかなかった。でもこれが後に、新たな展開への大きなステップになるとはね!

私が手軽な利便性を拒絶してきたのは糞土思想を探究するためだけど、それはある程度まで達成できたし、今はそれを広める段階に来たのだ。もうネット難民にしがみつく理由はない。と強く自分自身に言い聞かせ、6月半ば、しぶしぶパソコン操作を習い始めたよ。でも、若いときのような記憶力も柔軟性もすっかり失せて、だいぶボケの進んだ70の手習いは想像以上に厳しかった。

でも今では、いろんな人に助けられながらもなんとかZoomで話が出来るようになり、オンライン講演までやっているんだ。写真家廃業も、連続野糞記録の頓挫もそうだったけど、行くところまで行けばこだわりを捨てたほうがずっと楽になれるし、こんな収穫もあったんだ。その後間もなく優秀な編集者が二人も現れてくれて、何のかんのといろいろあったけど、「対談ふんだん」は無事継続して今に至っているんだから、結構なるようになるものだね。

プープランドで遊ぶ子供。丸太の階段をおっかなびっくり下りる

「対談ふんだん」への批判、そしてそこから見えてきたもの

この「対談ふんだん」を始めて間もなく、複数の方からこんな批判を受けた。対談というものは自分がホストとしての自覚を持ち、相手の本や発言などもしっかり下調べして、目的をハッキリさせて二人で答えを見つけていくものだ。対談はインタビューでもバトルでもない。伊沢さんはいつも同じことばかり言っていて退屈だ。これは対談ではない、「糞土師の○○に会いたい」だ。

確かに私はこれまでずっと、「二人で話せばそれで対談」と軽く考えていたし、この「正しい対談」というものを知らなかった。それにそこまでやれる能力もない。それらの批判には、まさにその通り、と頭を下げるしかなかった。でも、「対談ふんだん」のそもそもの目的は、そういう事とはちょっと違う所にあるんだよ。

まず一つは、これまで関わりがなかったり薄かった、他の様々な分野に、糞土思想を投げ込んで拡散してみること。そして多くの方から新たな価値観を取り入れ、糞土思想をもっと広げ、かつ深めること。もちろん、対談相手にどこまで糞土思想を受け入れてもらえたのか、それは分からない。しかし私自身は、これまで自分の中に無かったものに数多く触れることができて、その目的は十分果たしていると実感しているんだ。また、それとは別に、「正しい対談」を求められたことに関連して、こんなことも考えてしまった。

これは私個人の解釈かもしれないけど、これまでは主に「上流知識人」が、「知性」や「正しさ」で世の中を治めようとしてきた。もちろん権力や欲望などが邪魔してその通りにはならなくても、理想や建前ではそうだったと思う。だから発言力のない「物言えぬ庶民」は、たとえ不平不満があっても、その下で我慢して暮らしてきた。ところがインターネットの発達でその垣根が取り払われ、誰でも自由に、好き勝手に発信できるようになり、その結果ポピュリズム(大衆迎合主義)や排他的な極右政党・政治家の台頭、ヘイトスピーチの蔓延なども生み出した。それが今現在の深刻な社会問題になり、ある意味「知性と反知性の闘い」が起きているんじゃないか、と思っているんだけどね。

「正しさ」ではなく「責任」で闘う

そう考えると、この「正しい対談」からの批判は、知性から反知性への攻撃でもあり、〝こうあらねばならぬ〟というかたくなな教条主義の傲慢ささえ感じられるんだよ。それに対して糞土師は、最下層からウンコを武器に、「正しさよりも責任」の闘いを目指しているんだ。

誰でもみんな物事の善し悪しを判断するときには、正しいか、それとも間違っているかで決めているよね。じゃあ聞くけど、「正邪善悪」ってどうやって決めるの? 例えばお酒やタバコって、好きな人の多くはプラス面を並べ立てるけど、とことん悪く言う人の多くは、それが嫌いだよね。好きか嫌いかで決まる正しさなんて、じつは実態のない幻なんじゃないの? そんな怪しい「正しさ」を振り回すのは大嫌いなんだよ。金城馨さんの本『沖縄人として日本人を生きる』で「正しさの暴力」という言葉を教えてもらったけど、本当にそうだよな、とつくづく思ったね。

この本のお陰で「正しさ」の実態と危険性をきちんと認識できた

私は糞土師になってますますウンコと野糞の価値に確信を持つようになったけど、その言説に強く反発してくるのは、頭の硬い良識人ほど多かったね。それは、自分は正しいと思っている(良識)人は、自分の考えと違うものを悪と決めつける傾向が強くて、他の意見を聞かないんだよ。じゃあ「正しさ」がまずいとなったら、何を基準にして考えたら良いのか。それが糞土思想なんだ。

「食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返しかた」これが糞土思想の根幹だけど、命を奪う食は権利として認めつつ、食べて命を奪い、ご馳走を汚物に変えた責任の塊として自分のウンコに向き合い、その責任を果たすために野糞で自然に命を返そう、ということ。ここで言っているのは、何が正しいかじゃない。きちんと自分の責任に向き合い、責任を果たしていけば、自然も人間社会もスムーズに進むんじゃないかという、基本的な生き方なんだ。

ウンコなんて臭くて汚い役立たずのゴミだ、という自分中心の考え方、ひいては人間中心主義を離れることで、これまでの人類発展の歴史の見直しにも繋がると思うんだ。そして、これから人間はどう生きていけば良いのか、人間社会はどう進んでいったら良いのかという方向性が、糞土思想から見えてくると私は確信しているんだよ。キーワードは「生きる責任を果たす」だね。

糞土塾を始める

70歳、古希を迎えた2020年の秋、いよいよ「しあわせな死」に向けて、人生最後の大仕事に取りかかった。しばらく空き家になっていた、築200年ほどの我が家の母屋を改修して、「糞土塾」を開設する準備を始めたんだ。それは糞土思想を学び、発展させ、次世代に引き継いでもらうのが目的なんだ。

これまでの糞土講演会は、各地で開催をお願いし、全国を回ってきたけど、これからは糞土塾という活動拠点を持つことで、もっと主体的に行えるようになるはず。また、誰でも気兼ねなく野糞が出来る林も併設するので、正しい野糞の実践教育ができるし、糞土思想の根底にある循環や共生を理解するのに必要な、実地での自然学習も可能になるんだ。

居間の天井から下がるガス灯の名残(写真提供:松永明)

母屋は江戸時代に建てられた古民家で、全体で58坪。部屋数も多くて、囲炉裏の煤で真っ黒になった居間の天井には昔の電線が張り渡され、明治時代のガス灯の名残もあって、歴史を感じられるよ。屋根の外観はトタンだけど、元々は茅葺き屋根で、その内部は少なくとも70~80年以上前の状態で残っていた。時代を経た煤竹と茅、藁縄がむき出しの屋根裏は何とも言えない雰囲気を醸し出し、新たに床板を張ってできた30坪ほどの屋根裏部屋は、映画上映などにも最適のイベントスペースとしても使えるんだ。

その一方で、台所と風呂はシステムキッチンとシステムバス、便所は糞土塾の名にそぐわない水洗トイレというチグハグさだけど、現代の生活しか知らない若者も受け入れるにはこれで良いのだ、と割り切ったんだ。その代わり、木々の緑と風通しの良さを生かした古くからの知恵を活用し、エアコンは使わない。糞土塾の敷地は370坪ほどあり、いざとなれば庭には野糞可能な竹藪や物陰もあるんだよ。

プープランド

プープランドの入り口(写真中央のやや右側)は、まるで秘密基地の入り口

自宅から歩いて10分ほどの所に、私が野糞を始めた当初から頻繁に通っている山林がある。そこを野糞の実践教育の場にするために購入し、「プープランド:Poop Land」(poopはウンコのこと)と名付けたんだ。〝野糞天国〟という意味だよ。

プープランドの斜面は5段に分かれていて、下の方はヒノキの植林だけど、上へ上がるにつれてコナラやクリ、カシなどが増えていき、一番上は雑木林。地形も植生も変化に富んでいる楽しい林だよ。ほとんど人が入らず藪化していたんだけど、「週2時間の労働で生きる術」に登場した小宮さんに手伝ってもらい、枯れ木を切り倒し、階段やベンチ、シーソーも造った。さらに、急斜面を利用した滑り台やターザンごっこができる場所、テントサイトなども整備する予定だよ。子どもたちが自然の中で遊びながら糞土思想を学び、自然と共生できる人間に成長することを目指しているわけなんだ。

枯れ木で作った木槌で、丸太の階段を留める杭を打ち込む

野糞が育むプープランドの生態系

この対談の16回目:「菌類に学ぶ平和な世界」に登場した菌類研究者の出川さんが2021年春に久し振りにやって来て、プープランドの土を採集していった。そして5月末、そこからとんでもないものが見つかったとメールが届いたんだ。それはリンデリナ:Linderina macrospora という菌で、出川さんが研究しているカマドウマの腸内にいる糞生菌と親戚の菌であるため、ずっと探していた菌で、世界で5番目の発見だという。

このカマドウマの糞生菌というのは、腸の中では腸内細菌のように嫌気的(酸素を利用しない)な生活をしているけど、糞と共に外に出ると普通のカビのように菌糸を伸ばし、好気的(酸素を利用する)に糞を分解して生育している。出川さんはこれを新たな概念で、「腸内外両生菌」と呼んでいるんだ。

腸の中は水中のような環境で、酸素が欠乏して嫌気条件になると、この菌の胞子は発芽して酵母のように生育するけれど、それが糞とともに腸から体外に出ると酸素のある好気条件下で、元気に菌糸を伸ばして陸上環境によく適応して生活する。水中から昆虫の腸内を介して、菌類が次第に陸上に進化してきた途上にあるのが、この腸内外両生菌ではないか。これが出川さんの考えらしい。もしもこの糞生菌で菌類の進化が明らかになったら、それこそ「ウンコ万歳!」だよね。

リンデリナは1967年に香港で発見され、次いでアメリカ南東部、インドネシア、台湾で、いずれも土の中から見つかった。しかし、カマドウマの糞生菌と非常に近縁なため、リンデリナも何か昆虫や他の節足動物の、腸内と糞とに生える「腸内外両生菌の一種」なのではないかと出川さんは推定しているんだ。でも、まだどの動物の腸内に棲んでいて、どの動物の糞に生える菌なのかが全く分からない。熱帯から暖温帯の菌と考えられ、出川さんは台湾の隣の八重山へ採集に行き、もしそこで採れなければ菌株保存施設から買って調べてみようとさえ思っていたという。それがいきなり、予想もしなかったプープランドで見つかっちゃったんだ。

リンデリナ(写真提供:李知彦 / 筑波大M2)

その後7月、改修工事が終わったばかりの糞土塾に、出川さんは指導している筑波大生や菌類研究者、博物館の学芸員などを連れて、菌類調査にやってきた。プープランドは富谷山の麓にあるんだけど、その中腹には奈良時代に行基菩薩が開山した富谷観音があり、そこのシイ・カシ原生林でも出川さんたちは調査を行った。この両方で調査をした結果、腸内にリンデリナが見つかるかもしれない可能性のある土壌昆虫や土壌節足動物は、プープランドのほうが3倍くらい豊かだったというんだ。

その大きな違いは何かというと、プープランドでは50年近くにわたって野糞をし続けてきたということ。以前の野糞跡掘り返し調査でもそうだったけど、頻繁に野糞をしている林と、それほどではない林とでは、肉食動物のウンコに生えるアシナガヌメリの発生率が2倍ほど違っていた。野糞で林床の小動物など、生物相が豊かになることがここでも明らかになったんだ。そして出川さんはこう言っていた。「さすがプープランド!糞生菌研究フィールドとして最高の場所です!」

そのリンデリナとは別に、1999年の7月、私はここで野糞をしながら、コゴメカマキリムシタケという、カマキリの卵嚢から生える珍しい冬虫夏草を見つけている。これは1951年に初めて奥秩父で発見され、98年に神奈川県で出川さんが採集し、そして3番目の発見がこのプープランドの林だったんだ。

また、7月の菌類調査では、国内で4回しか採集記録のないアザシメジも見つかった。半世紀近くにわたってウンコを還してきたプープランドの生態系の豊かさは、いったいどれほどのものなのだろう。植物や昆虫など、今後様々な生物調査もやろうと考えているんだけど、今から大いに楽しみなんだよね!

プープランドで採集したアザシメジ

糞土師のこれから・・・

インターネットの世界で糞土師の現状は、ハイハイからようやく、つかまり立ちが出来るようになった位のレベル。でもこれからは頑張って、ヨチヨチ歩きだけど多くの方に助けてもらいながら、オンライン講演会なども積極的にやっていきたいと考えているんだ。

気候危機やマイクロプラスチック汚染など、人間の活動が原因で、すでに地球は6回目の絶滅期に入っていると言われているよね。恐竜が絶滅した5回目の絶滅原因は巨大隕石の衝突だから、これは防ぎようがないけど、人間の活動に問題があるなら、絶滅回避の対策はいくらでも立てられるはずだよね。でもそのためには、これまでのような人類の発展だけを目指した人間中心主義を根本から見直して、自然と共生する新しい生き方に転換しないと無理だ。その意識変革を提案しているのが、自然界の命の循環をもとに共生社会を目指している、糞土思想なんだ。

でも、糞土思想を体現する言葉が、たとえば「ヒトの作り出す最も価値あるものはウンコ(=ご馳走=命の素)」とか、「人間に為し得る最も崇高な行為は野糞(=命を返し、命を循環させる)」なんていう、一般常識から見たら腰を抜かすようなものなんだ。だからなかなか受け入れられないかもしれない。でも、だからこそ、もっと分かりやすく伝えていく工夫をしたいんだ。そしてその本当の意味が理解されることで、意識改革は大きく進むと思うんだ。

だからこれからはインターネットを活用し、これまで糞土師の声が届かなかったところまで糞土思想を拡散したい。そして情報を広めるだけではなく、糞土塾とプープランドでの実践活動を強力に進めていきたいんだ。皆さん、ぜひそうした活動に気軽に加わってください。どうぞよろしくお願いいたします。

糞土塾の玄関前で

                                                                                                            (取材・執筆・撮影/小松由佳)