最期は獣に食べられたい(前編)

死に対する恐怖

伊沢 そういう、納得して死を受け入れられる思想というか哲学、いや、世界観が必要だと思うんです。人は自然の中で他の生き物と共生することで、命は永遠に循環していくというような……。服部さんは死に対する恐怖はありますか?

服部 登山的には、死を過剰に避けることで、自分の行動を狭めてしまうことのほうが嫌ですね。死を恐れるあまり、自分の可能性も消してしまうのはもったいない。でも死んでしまっては意味がない。バランスが難しい。

伊沢 死を怖がって登りたい山に登らないことのほうが嫌なんですね。

服部 自分が格好悪いと思っている生き方をすることのほうが、死ぬことよりよっぽど堪え難いですね。自分で登れると思い、最大限の努力をしているのに失敗したら、それは自分の見積もりか能力に落ち度があるわけで、結果、墜落して死んでもしょうがないと思ってましたね。

自分がやりたいことをやらずにダラダラとただ生きていくなら、死んだほうがよっぽどマシだと思っていました。加齢とともに考えが少し変わってはきましたが、若い頃は真剣にそう思っていた。もちろん山に入ったら死なないように最大の努力をするので、山に死にに行くわけではない。説明するのがなかなか難しいです。

伊沢 死より、もっと大事なものがあるということですよね。

服部 そうです。自分がイメージする自分になりたい。そこへ向かって努力しないで生きていくことは堪え難い。若い頃は単に「やりたい」という思いで突き進んでいたイメージですけどね。自分が登りたい山に登りたい、なりたい人間になりたいと、焦って自分で自分を追い込むような感じです。自分に追われるように山へ行っていたんですよね。

人からは「死ぬよ、危ないよ、なんでそんなことするの」などと直接言われることもあり、死んでいった仲間を否定されることもありました。でも、そういうことを言う人は格好悪いなと俺は思っていて、そうはなりたくなかった。でも、なぜ人は死を怖がるんでしょうね。延命したりとか。

伊沢 関野吉晴さんとの対談でも死の恐怖の話が出ましたが、服部さんは人間というより、むしろ野生動物的ですね(笑)。

医療が発達したから延命が可能になりました。でもそれで幸福になったのかは、わかりません。江戸時代はあっさり死んでいた。医学や科学技術の進歩が人間をむしろ不幸にしているんじゃないか、という考え方はどうですか?

服部 医療の進歩がトータルとして人類にとってプラスかマイナスかというのは難しい問題で、個人的には懐疑的です。少なくとも全面的には受け入れがたい。歯科と整形外科は人類を幸せにしてくれている気がするので、あっていいと思うのですが(笑)。

自分が滑落して骨折して入院したことがあるのですが、整形外科というのは治っていくほうなのでベクトルが上向きなんですよね。歯医者と産科もそうです。でも他の科は死に向かっていく入院患者の収容施設になっている。健康に向かっていく医療はあってもいいのかな、と。逆に、下に向かっていくベクトルを一生懸命止める医療は……。

医学や医療って、さっき話していた進歩主義的な面白さがあると思います。人の命を救って感謝されて、人の体のことを考えて処置を施して治す。命を救うことに成功した時、アドレナリンが出ると思うんです。ただ、医療の中に悪が多いという伊沢さんの指摘は俺も賛成です。やりすぎちゃっているのではないかなって。

伊沢 金儲けに利用されているのもあるでしょう。

服部 使命感が人を気持ちよく興奮させるという研究結果があるらしいですね。外科医とか、直接人の命を救うのは面白いんだと思います。

これまで200体以上の獣を解体してきた経験から、人間の体を医学的にいじるのは面白いだろうなあ、と予想しているのですが、外科的な手術は、勉強のできる医学生あがりより、構造がわかっていて手先が器用な職人にやらせたほうがいいような気がしますね。