常識の裏に潜むものに目を向ける(前編)

越智典子(絵本作家・翻訳家)×伊沢正名(糞土師)

絵本作家である越智典子さんと伊沢さんとは長い付き合いになります。その始まりは、糞土師となる前の写真家時代、子供向けの月刊絵本「たくさんのふしぎ」(福音館書店)でキノコの本を作るお仕事を一緒にしたことでした。今回は、写真家時代のエピソードを交えながら、環境問題とその裏側の構造、そして死について、本音で語り合いました。

「たくさんのふしぎ」の撮影でひらけた新しい境地

越智 伊沢さんと仕事をする直前、「生まれる」をテーマに本作りをしました。それで次は「死ぬ」がテーマかなあ、と思っていたら、伊沢さんの写真を使ってキノコの本を書くことになったんです。キノコこそ、命の始まりと終わりに触れられる世界。まさに思い描いていた世界でした。

伊沢 それまでの仕事はとにかく写真を撮りためておいて、それを使って本を作るというやり方でした。ところが『たくさんのふしぎ』では、越智さんが書いた文に、後から写真を当てはめていくというもの。以前とは逆のプロセスで、面くらいました(笑)。しかも一番悩んだのが、「キノコがいない」というシーンの写真。キノコがないのをどうやって撮ればいいんだよ〜って考えこんじゃいました(笑)。

越智 見た目にはいないのに、「いるよここに。いるよここに」ってキノコが呼ぶっていう設定でしたよね。キノコというか、菌糸があることを知らせたかったんですけど、写真を用意する写真家が大変だとも思わずに、文章を書いちゃったのよね(笑)。

きのこ…が、いない。『たくさんのふしぎ・ほら、きのこが…』。写真:伊沢

伊沢 でもだからこそ、新しい境地がひらけました。それまでの撮影技術や考え方が通用しなかったからこそ、殻を破ることができたんです。ランプシェードのようなハナオチバタケの写真。あれが私の写真撮影の原点です。「こんな小さいキノコに負けた。キノコのほうが自分よりも偉いんだ」と下から見上げて撮る。これが私の写真のスタイルなんですよ。

越智 地べたに這いつくばって、小さなキノコより低い位置からキノコを見上げて撮る。ああいう小さい世界を撮る手法を、伊沢さんはあのときすでに確立していましたよね。びっくりしたのは、コケやキノコを、ちゃんとお化粧して撮ってあげることでした。そおっとお顔を拭くように、ハケでキノコを拭いてあげたり。

伊沢 何年もキノコを見てくると、本当の姿が見えるようになってきたんです。目の前でパッと出会ったキノコは、その種のある瞬間でしかない。数多く見ていくと、そのキノコの特徴、表情が見えてきます。だから、なるべくそれに近づけようとしたんです。

越智 私は小さい頃から図鑑が好きで、牧野富太郎の植物図鑑が愛読書でした。それもあって、図鑑はイラストが一番いいと思っていたんです。絵描きさんは、その種の一番の特徴を捉えて描いてくれますから。写真では普通、それが難しいでしょう? でも伊沢さんは、写真でそれができる人でした。

伊沢 確かに研究者は、その種の特徴を掴むのに、絵じゃないとダメだって言うよね。写真はあくまでも個体を表現しているだけ。図鑑は種の標準的な姿を見せるものなんだから、絵じゃなくちゃってね。でもそういう研究者たちが、だんだん私の写真を図鑑に使ってくれるようになってきたんです。

越智 伊沢さんとの取材では、とにかく一枚の写真を撮るのにこんなに時間がかかるのね!と驚きました。まず撮るものの周りを掃除することから始まって、ようやく撮影となったら「はい、レフ板」と手渡されて、監修者だろうが編集者だろうが、いつの間にか撮影の手伝いをさせられ・・・あ、一緒にさせていただきました(笑)。

伊沢 ハハハハ〜、もう使用人だよね。写真はシャッターチャンスってよく言われるけど、チャンスじゃないんですよ。むしろシャッターを押すまでが勝負。一から状況を作り上げていくわけです。

越智 そんな風に「キノコをこう撮ってあげたい」という思いが伊沢さんにはあるから、本当に撮りたい姿が現れるまで、とことん対象に向き合っていましたよね。ありとあらゆることを工夫されていました。ストッキングなんかも使ってね。

伊沢 そうそう!ストッキングはコケや変形菌の撮影で、時間切れで現場で撮り終わらないときは持ち帰って後で写すんだけど、そのままの状態をタッパーの中で保存するのにいいんです。クッション性、湿気を保てること、繊維が抜けて糸くずが出ないことなど、最高でした。また、撮影の邪魔になる木の枝を引っ張って固定したり、三脚の脚に長い棒を縛り付けて大型三脚にすることもあるんだけど、しっかり結べて解きやすいロープとしても、これ以上の優れものはないです。おまけに伝線して捨てちゃうストッキングの有効活用だから、資源の無駄もないし、お金もかからないしね。

越智 伊沢さんがストッキングを使うので、私も知人に「要らないストッキングください」って頼んだんです(笑)。そうするとみんな、「他の人のですけど、どうぞ」ってくださるんです。誰も自分のだとは言わないんですよ(大笑)

伊沢 ストッキングをもらいたいなんて、普通だったら変態おじさんだよね(大笑)。とにかく「たくさんのふしぎ」の本作りで、私の写真撮影の幅が広がって、今までと全然違う領域まで出ていけたんです。

越智さんとはキノコに続いてコケ、変形菌、カビと4冊の「たくさんのふしぎ」を作ったけど、その都度とんでもない難題をふっかけられましたよね。特に変形菌のときは、ほんの数ミリの小さな変形菌が胞子を飛ばす瞬間を、それも見開き2ページの大きな写真で見せなきゃいけませんでした!あれは「キノコがいない」以上のショックだったな~。こんなチッチャイものの瞬間の動きをどうやって写すんだよ、ってね。

でも私は、「写真はこう撮るものだ」という写真界の常識を全然知らなかったから、それを実現するための工夫を無限に広げられたんです。知らないからこそ、新しい扉を開けられたということですね。そんなこと無理だと思ってたら、やろうともしないものね。それを推し進めてくれたのが「たくさんのふしぎ」であり、書き手の越智さんでした。

胞子を飛ばす変形菌。『たくさんのふしぎ・変形菌な人びと』 写真:伊沢

科学的観点から考え、ときには疑う

越智 実は今日、地球温暖化について話したいと言われたとき、その話題はちょっと苦手だな、と思ったんです。温暖化、本当にしてるのかなあ・・・とか思ってるし。私はふだんから科学的なものの考え方が大事だと思っています。同時に、科学の限界についても意識しています。というか、そもそも科学は断定しないものですよね。私も情報収集は熱心にしつつ、あまり信じないようにしています。人間の知恵なんて、しょせん浅知恵じゃないですか。だから、こうだと思ったけど、やっぱり違うというのは当たり前だと考えているので、いろいろ情報を得たうえで、最後は直感的にピンとくるものを、とりあえずの行動規範にしています。

伊沢 最近知ったアインシュタインの言葉に、「宗教のない科学は不完全であり、科学のない宗教は盲目である」というものがあります。科学だけでなく、宗教というか、思想や霊的なものも両方必要なんです。どちらか片っぽではダメなんですね。

越智 そうですね。地球温暖化も、科学でこう言われているからと、みんなでその方向に突き進んでしまう怖さをいつも意識しています。それは本当でしょうかと。今は間氷期だけれど、地球の歴史を考えれば、地球がもっと暑かった時代もあれば、全部凍結した時代もあります。ある日突然、ものすごく大きな火山の爆発が起きて、火山灰で太陽光が遮られ、地球全体の温度が一気に下がるかもしれないし、そんなことが絶対起きないとは限らない。本当に地球が温暖化するとは言い切れないと思うんです。

実は、私が大学生の頃は、これから氷河期に向かうとずいぶん言われたんです。食糧難をはじめ、これからは気温の低下にいかに対応するかだと。えらいことだなと思っていたら、いつのまにか今度は温暖化と言われるようになりました。そのとき思ったのは、どっちに転んでも、自分が慎ましく生きていたらいいということでした。実際、都市部は温暖化しているかもしれないけど、本当に地球全体が温暖化しているかはわからないんじゃないかと思っているんです。

伊沢 ただ、変化があまりにも速すぎますよね。これまでは何百年、何千年で変化があったのが、最近では、ごく短い時間で急激な変化が出ています。

越智 それは確かにそうですね。でも、氷河期に向かうときも激しい気温の上下がある。今はそのピークに立っているだけで、この後ドドッと気温が下がるかもしれないわけで、それは人智の及ぶところじゃないと思うんです。とにかく、みんなが同じ方向を向いて騒いでいる時は気をつけよう、と思うんです。何か裏があるかもしれないから。

以前、ダイオキシンについての絵本を書くために、京都の世界会議を取材したことがあります。ダイオキシンの被害を訴える側も、体に害がないと主張する側も、何かを背負っている印象を持ちました。当時、ダイオキシンが女性ホルモンの働きをして、生物がみんなメス化するから、種が絶えるかもしれないと言われていた。そこで、「ダイオキシンと女性ホルモンとでは分子構造が全然違うのに、どうして女性ホルモンの働きをするんですか?」と研究者の一人に質問したら、「いい質問です。私も知りたい」と言われました(笑)。聞いてみると、そもそもそれ以前に、確実にダイオキシンが女性ホルモンの働きをすると突き止められたわけじゃないんだ、と気がついたんです。

ちなみに大豆に含まれるイソフラボンは女性ホルモンと同じ働きをします。歳をとったら女性ホルモンが必要だから、お豆腐を食べた方がいいと言われたりしますが、「同じ女性ホルモンでも、大豆の場合はたくさん摂取しても大丈夫なんですか?」と専門家に聞いたんです。そうしたら、それについて話題にしないでくれと豆腐業界から言われているから、絵本に取り上げないで欲しいと言われたりもしました。

伊沢 ええ!何それ〜(笑)

越智 結局、ダイオキシンについてはわからないことが多すぎるから、私には書けないし、あわてて絵本にしないほうがいいと思う、とお断りしたんです。でもね、あのときはダイオキシン関係の本がよく売れたみたいで、もしかすると、あの出版社に悪いことをしたかも、とはらはらしました(笑)。数年したら、騒ぎが収まるどころか、誰も話題にもしなくなっちゃって、別段、メス化して絶滅した種の話も聞かない。それでようやく、ほっとしました。その時の経験から、あまりにもみんなが騒いでいることには注意しようって、学んだんですよ(笑)。

ヒイロタケなどの白色腐朽菌はダイオキシンも分解する。写真:伊沢

伊沢 じつは私も講演会ではダイオキシンの話をしているんです。シイタケやナメコ、エノキタケ、多くのサルノコシカケなどのキノコは、枯れ木の材を白っぽく腐らせます。その白色腐朽菌は木を硬くするリグニンを分解する能力があり、ダイオキシンはそのリグニンと分子構造が似ているため、ダイオキシンも一緒に分解しちゃうんです。だから自然が豊かでキノコがいっぱいいれば、ダイオキシンなんて心配しなくても良いんだよってね。

私が気になっているのは、地球上で増え続けている二酸化炭素の問題です。人間が化石燃料を使いすぎて、地球は太古の大気に近づいています。せっかく植物が石炭になって地下に閉じ込めてくれたのに、その過剰な炭素を人間がどんどん掘り出して燃やし、大気中にばらまいてね。温暖化の原因かどうかは別にしても、私はそうした人間の活動が酷すぎると考えています。植物が長い時間をかけて、生き物が住みやすい環境にしてくれたのに。

常識の裏に潜むものに目を向ける

越智 うーん、でも、植物はなにも、人間が住みやすくなるために活動してきたわけではないですよね。地球温暖化をどうしようとか私たちが考えるのも、早い話が自分たち人間のためだと思うんです。ほぼ、人間にとって良かれと思って言っているだけであって、地球全体のことを考えてのことではないでしょう。そうすると、やはり私たちはこの地球に間借りさせていただいている生き物なんだから、そこそこの感じで生かさせてもらえばいいんじゃないかしら。

地球温暖化なんだからこうするべきという思想と、発展するためにこうするべきという思想は、真逆のようで、結局は似ているように思います。どっちの方向であれ、人間が頭で考えて突き進んでいくことの危うさを感じます。例えば、環境に優しいはずの風力発電も、そこから影が落ちるところは、雑草も生えなくなったりね。

伊沢 風力発電では、低周波やバードストライクなどの問題が言われるけど、私はそれ以上に、あんなでっかい鋼鉄の建造物を造るのに膨大な資源とエネルギーを消費して、最後はとんでもないゴミになることこそ気になります。発電で一番いいと思うのは小水力発電です。でっかいダムを作るんじゃなくて、川の流れにちょっとした発電装置を作るというもの。要するに水車ですよね。これが一番いいと思います。

越智 たしかに大量の電気を作って、使うところまで運ぶときにロスがあるというのはねぇ。その場でちょっと作って、ちょっと使うというのがいいですよね。地産地消というか。北欧では、波力発電が盛んで、取材した人が「日本なんて海に囲まれていて最高じゃないですか、なんでやらないんですか?」と言われたそうです。海に浮き輪のようなものをボーンと浮かせて、それで発電するらしいです。プルトニウムもできないし、いいかもね。

伊沢 発電にしても小規模にやったらいいのに、儲かるからってみんな大規模にやるからおかしくなるんだよね。結局、金儲けなんですよ。

越智 必要なものをその場所で調達して、消費して、そこそこの暮らしがいいですよ。

伊沢 そういう意味では、自然保護運動も環境問題も、結局同じで、行き着くところはお金なんです。環境問題は、お金になる新しい仕事として利用されることも多いんですよ。以前、ある環境団体の集まりに呼ばれて講演したときに、活動資金が必要だと言うことらしいんだけど、その会議はいかに収益を上げるかが議論の中心だったんです。その講演の中で私は、風力発電が良いと思うかどうかを全員に聞いたところ、一人を除いてみんな大賛成でガッカリしました。環境運動を引っ張っている人たちでさえこうなんだから、怖いよね。

越智 世間的常識を鵜呑みにするのは、思考停止と同じですよね。常識の裏に潜んでいるものに私たちは目を向けないといけないと思います。本気で自然を守ろうと思って運動に参加している人もたくさんいます。でも結果的に、そうじゃないものに加担する結果になることもあります。今の時代、情報を取るのも難しいですよね。あれだけSNSが発達して情報が溢れているけど、あまりに溢れているからどれを見ればいいか分からなくなる。結局、一番声が大きいもの、数が多いものに目が行ってしまう。消されている情報が、もしかしたら正しいかもしれないと気づいて、一生懸命引っ張ってこないと、正しいものが聞こえてこないんです。

伊沢 そうですね。人間は、良いと思いながら結果的に間違うことがたくさんあると思うんです。だから良い、悪いで判断したら、本当はいけないんです。だから私はウンコと野糞で発信しているんですよ(大笑)。怪しい善悪で考えるんではなく、責任で考えるというのが、糞土思想の根本です。

糞土思想を一言で言えば、「食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返し方」。私たちは食べることで多くの生き物の命を奪っているけど、それは生きるための権利。そしてウンコには、食べて命を奪ったことへの責任が詰まっています。だからその責任を果たすために、野糞で自然に命を返すんです。責任で物事を考え、実践するのが糞土思想です。

良いことをしようと思っても、人間が知らないことはたくさんあって、善悪の判断で行動した結果、あとで問題になることがたくさん出てきています。例えばプラスチックの問題です。人間社会ではこの上なく便利で良いんだけど、腐らないということが、逆に自然環境にとって大変な問題を引き起こしてしまった。

越智 ずいぶん昔、私が20代の頃ですけど、知り合いのお父さんが、土の中ですぐに分解されるプラスチックを開発したんです。そうしたら、会社に要らないと言われたとか。ということは、そういうプラスチックだって作れたはずですよね。

伊沢 そうそう、結局儲からないからなんです。それが何故実用化されなかったかというと、社会も会社もお金で動いているからなんですよね。

越智 おもちゃでも、壊れないおもちゃじゃないとダメなんだそうですね。壊れないと、次が売れなくなるから。そういうものの考え方で世の中が動いているのが寂しいですね。物事が動く方向を決めるのが利益、つまりお金というのがね。なんとかならないものかしら。

伊沢 お金だって、善悪のひとつの判断基準なんでしょうね。お金を儲けて豊かになることは良いことなんだという。でも、お金なんて本当は実体のないもので、物やサービスなどに変えることで、初めて価値が生まれるわけです。そんなお金を一番上に置いて考えるなんて、とんでもないですよ。それよりも自然が豊かということが、生活する上でまず大事ですよね。それに反するのが、現代の土地の所有権で、私はこれが諸悪の根源だと思っています。

野糞を批判される理由が、「地主の許可を得ているんですか?」

伊沢 コモン(共同・公共)という考え方が大事だと思うんです。今はとにかく個人の所有権が強く決められすぎていて、土地やものが社会の中で分断されていると思うんです。私が子供の頃は、人の林でも勝手に入って、山菜やキノコを当たり前に採っていました。本当は自然は誰のものでもない。みんなのものなんですよ。でも今は、法律でしっかり個人の所有権を規定して、人の土地に入っちゃいけないし、入ったら犯罪になってしまう。なんだかね〜。

私は毎日外で野糞しているから、当然他人の林でも勝手に野糞するわけです。そして野糞を批判する理由のひとつに、「地主の許可を得ているんですか?」というのがあるんです(笑)
    
越智 そっ、それは確かに・・・。許可、得にくいですよね・・・(笑)

伊沢 こっちはね、土地を肥やすためにウンコという純良肥料を与えているのに、それをなんの許可がいるんだよって思うんです(大笑)。私はむしろ、法律や遵法精神というものに疑問を持っているんです。例えば、地主が林を皆伐してメガソーラーを設置し、元々そこにいた多くの生き物を全て殺したり追い出しても、それは合法なんです。法律はあくまでも人間社会の揉め事を解決するためのもので、他の生き物のことなんて配慮してないですよね。

私は良識や、人権を掲げることにも否定的なんです。それはつまり、人間中心主義に繋がると思っているからです。私は自然対人間で物事を考えていて、人間がこれまで他の生き物に対して何をしてきたかを考えちゃうわけです。

越智 でも思うんですけど、人間だって自然の一部ですよね。生き物はみんな、ほかの生き物や自然のことを考えて生きている訳じゃなくて、それぞれの生き物が自分のことを考えて生きている。だから、自己中なのはみんな一緒だと思うんです(笑)。ただ、たまたまお互いにとって持ちつ持たれつのように、これまで進化してきた。そうじゃなかったら自分も生きていけないからそうなったんです。そうやって人間も進化してきたのに、技術を手にしたことでこれまでとは格段に違う存在になってしまいました。そうなってしまった自分たちを、これからどのように、これ以上ひどいことをしない段階まで引き戻せるか。その知恵が必要な時期ですよね。人間なんてそれほどのものではないんだという考えに立って、どこまでやれるか。やらせていただけるかという気持ちで模索しなければと思います。

伊沢 そうなんです。自然の中で謙虚に生きてきた先住民的な生き方を目指したいんです。でもそれは現実的には難しいので、私の理想は江戸時代です。機械文明ではなく、農耕文化と手工業の時代ですね。

越智 でもやはり人口が多すぎますよね。この人口のままで江戸時代の暮らしは難しい。

伊沢 確かにそうです。だから私は人口を減らすために、納得して安らかに死を受け入れられるように、「しあわせな死」を探究し、提唱しようとしているんです。

                            (取材・執筆・撮影/小松由佳)    

「常識の裏に潜むものに目を向ける(後編)」へ続く〜