正しさという暴力

金城 馨(かなぐすく  きんじょう  かおる・関西沖縄文庫 )×伊沢正名(糞土師)

今回の「対談ふんだん」の舞台は大阪市大正区。区民の4分の1が沖縄にルーツがあるとされるこの場所で、沖縄文化の保存・地域交流活動を行っている「関西沖縄文庫」代表の金城馨(かなぐすく  きんじょう  かおる)さんとお会いしました。多文化共生が叫ばれるこの時代、私たちはどのようにすれば互いの文化を尊重しつつ、共生していくことが出来るのか。その考えをお聞きしました。

 

(大阪市大正区の一角にある「関西沖縄文庫」)

沖縄人として見えてきた世界

伊沢 金城さんの著書『沖縄人として日本人を生きる〜基地引き取りで暴力を断つ〜』(解放出版社)を読ませていただきました。その中で非常に共感したのは、「正しさという暴力」、そして「共生するために壁が重要だ」という言葉でした。これは沖縄がずっと差別されてきたからこそ、当事者として見えてきた世界じゃないかと。今日はこの二つをテーマにお話を聞かせてください。

金城 差別された側が、みんなそうした感覚を持つとは限らないけどね。ただやはり差別されたくないという思いはみんなありますよね。差別されたときの行動として、私は三つあると思うんです。

一つ目が、差別する人に対し、差別を止めさせること。二つ目は、差別する人がそれを止めないんだったら、その人に合わせてしまうこと。差別への同化、迎合によって、差別されていることを感じないようにしてしまうということですね。その場のごまかしとして、生き延びるために必要な方法として、相手に合わせたほうが楽なわけですよね。

そしてこの二つ目が嫌だったら、別の世界を作るか、あるいは沖縄に帰るということです。しかし沖縄に帰ることは、生活するためにここに出てきた理由とズレるわけですよね。生活していけないから、沖縄には簡単に帰れないわけです。

そうなると、今いるこの環境で別世界を作っていく、つまりここに沖縄人のコミュニティを形成するというのが三つ目の方法なんです。日本人がほとんどいないので、沖縄でのような暮らしで、言葉も沖縄語で日常的に通じますからね。ただ圧倒的多数の沖縄人は、差別への同化迎合、つまり「合わせる」ということをしています。

伊沢 金城さんはいつ頃から、差別へのこの三つの方法を考えてきたんですか?

金城 最初は差別をなくすための闘いをしました。職場で差別された仲間がいたら、みんなでそこに出かけていって追及したりね。70年代の後半頃からですね。団体交渉という、解放運動に近いような活動でした。しかしなかなかうまくいきませんでしたね。

伊沢 部落解放同盟と沖縄出身者の活動では、やはり沖縄のほうが弱いですか?

金城 とにかく沖縄のコミュニティの力は小さいですね。リーダーたちがね、ここは沖縄じゃないんだから、沖縄、沖縄と言うなという考え方を強く持っていました。

まず大正の頃、二十歳前後の若い青年たちも中心になって、大阪で「関西沖縄県人会」が1924年に結成されました。労働者としての階級的意識が高い人たちが動いたようです。大正デモクラシーもそうだし、1922年の部落解放運動の水平社宣言にも少なからず影響を受けたでしょうね。在日朝鮮人がコミュニティを形成したのもこの時期です。

そういう時代のなかで、沖縄出身者も大阪でコミュニティを作り、「同胞」という機関紙を発刊して支え合おうとしていたんです。

伊沢 そうやって移住が進んでいったんですね。

金城 いえ、沖縄からは移住ではなく、出稼ぎに来ていたんです。出稼ぎに来て、それから帰れなかったのが実際のところだと思います。

沖縄に帰る家がなかったり、後継ぎではない次男三男だったり。むしろ一番大きな理由は、ここで子供が生まれたこと。さらに孫が生まれるともっと難しくなりました。子供が小さい時だったら、沖縄に帰ろうと言っても親の言うことを聞きます。ところが孫の代になると、もう話を聞かないですよね。

一世たちが出稼ぎに来て、歳をとって面倒を見てもらっている頃に、子供や孫が沖縄に帰るのが嫌だと言ったら、もう帰れなくなるわけです。子供たちにとっては、ここが故郷になってしまうわけですから。でも一世たちは沖縄がずっと故郷なんです。差別などで日本人に迎合しても、沖縄がなくなっているわけではないんですよ。

伊沢 ちなみに金城さんは何世になるんですか?

金城 自分は2.5世というややこしい言い方をしています。通常一世と一世から生まれたら二世でしょ。ところが一世と二世との間に生まれたから2.5世かなと。そういう計算の仕方です。私のお袋は紡績女工として沖縄から出てきているから一世なんです。ところが親父はその前に出てきている一世の子供で二世なんです。

伊沢 話は変わりますが、金城さんは沖縄の平和運動にも長く関わってこられましたね。基地反対運動を見ていると、うわべだけの活動もあれば、本当に自分ごととして問題を捉えている活動もあるように感じられます。

金城 平和運動を見るとき、私は真面目か、不真面目かを基準にしています。真面目な人は悩みます。不真面目な人は悩まないんです。平和運動をやっている人の多くは不真面目だと思います。イデオロギーの持つ「正しさ」という概念の中で考えることをしないんです。異なる意見を受け入れないんです。

真面目ということは、考えなければいけないわけで、しんどいと思いますよ。自分が目指したいものから矛盾が生じるし、それを誤魔化さないというのはエネルギーがいることです。

「正しさの暴力」と「間違いの共有」

伊沢 金城さんの、これまでの常識とは違う視点、特に「正しさの暴力」や「共生するために壁が重要」という提言はすごいなと思いました。

金城 「正しさの暴力」という言葉は、私が最初に発したわけではないんです。一緒に勉強会をしていた仲間の言葉です。最初は「正しさ」と「暴力」が何故結びつくんだろう、面白い言葉を使うものだと思っていました。しかし考えれば、正しさは確かに暴力になり得るんです。

それでその後、「間違いの共有」も考えるようになりました。正しさが暴力としての方向性を含むなら、その間違いをみんなで共有したらいいのではないかと。

正しさは強制する力に繋がります。つまり暴力装置です。しかし間違いは強制する力に繋がりません。だから間違いを意図的に共有したらいいのではないかと。例えば先人たちが、差別に対して迎合して同化してきたことは間違いだったと思います。だからその間違いを共有し、正すということをすればいいんです。 

伊沢 私も何故野糞を始めたかと言えば、野糞が正しいからではないんです。し尿処理場反対運動を知ったときに、みんな自分で汚いウンコを出しておいて、その処理を人に押し付けていることに疑問を持ったんです。そして自分自身もトイレにウンコをしていたから、実は私も加害者だったと気づいたんです。だから、自分のウンコに責任を持つための野糞なんです。

反省から生まれたんですよね。正しさじゃなく、間違っていたという思い。そういう意味ではこれも、「間違いの共有」かもしれませんね。

金城 そうですね。でも本来は、そういう「間違いの共有」って力をいれなくても、普通に出来ることだと思うんです。

伊沢 はい。ただ、その間違いは自分だけではなく、人類全体も間違ってきた。だからそれを、みんなで少しでもいいほうに正したい、というのが糞土師活動なんです。

金城 人間は多くがおそらく間違いながら生きてると思いますけどね。間違っているんだったら間違いを正せばいいんだけど、正しいものが見つかるかどうか。わからないですね。

伊沢 人間は生き物としておかしくなっていると思います。自然の中で慎ましく生きてきた先住民的な生き方、そのレベルを理想にしたらどうでしょう。文明社会じゃなくてね。

金城 西洋人が「未開」だと呼んだものこそ価値がありますよね。「文明」と言っている人たちのほうが「未開」じゃないですかね。むしろ「文明人」と言われている人たちのほうが野蛮なことをしていると思いますね。

伊沢 そうそう。他の人のところに乗り込んでいって破壊したりね。しかもそれを正しいと思っているわけでしょう。「正しさの暴力」って、本当にたちが悪いですよね。

金城 文明に生きていると、さらに拡大していくために、その正しさを広げなきゃいけないわけだからね。わざわざ違う土地に行って、宗教観など価値観の違う人たちに自分たちの思想を「これが正しい」と言って押し付けてね。宣教師とかね。これは野蛮ですよ。

伊沢 だから私はね、人間の権利や正しさを声高に謳う人権派こそ、要注意だと思うんですよね。

金城 私も人権派の人たちとよくぶつかりますね。正しさをすごく主張する人が多いからね。

伊沢 糞土師になって私もそこに気がついたんです。野糞なんて良識から外れてると攻撃されてね。でも、責任を取らずに汚いウンコを出しっぱなしにしているのはお前たちだろう!と言い返すわけです。

金城 正義を振りかざしている人の暴力は本当に厄介だよね。国家の暴力は厄介だけど分かりやすい。国家は常に暴力。でも人権とか平和と言っている人の暴力は手強いですよね。それが正しいと信じ切って、人の話を聞こうとしないから。

伊沢 この本で「正しさという暴力」という言葉が腹にストンと落ちました。お前も私も間違っているんだ。だからみんなで野糞をして、自然に返して一緒に謝ろうよ、というのが糞土思想なんですが、なかなか聞き入れられないんですよね。

金城 これまで私は、平和運動や人権問題に関わっていろんな人と出会ってきました。20代の頃に出会ったのは、私よりも年上で、これまでに多くのことを経験し、行動してきた人ばかりでした。そこでまず、話を聞くこと、相手に合わすということをします。何か違うなと感じても、人と繋がりを持つということは、そういうことだと思います。

しかし人権問題も平和運動も、前進しているとは思えないまま20年ぐらい続いたんです。そう思う自分が間違っているかもしれないと思いながら、それでもやっぱり運動自体が間違っていると思ったとき、このまま迎合を続けることは共犯化するというか、自分の中に暴力を持ち始めるんではないかという恐怖感が生まれました。しかも運動の声はやたらと大きく、真正面で座っているとものすごくしんどくなります。

きっかけとしてこんなことがありました。95年に沖縄の少女が暴行事件に遭ったんです。それは当時沖縄で起きる事件としては少なくなかった。普通はなかなか表には出てこなかったんですが、この時は少女と家族の活動によって事件が表に出ました。沖縄では、八万数千人が集まり、抗議集会が起こりました。当時の知事だった大田昌秀氏は、少女の尊厳を守るという知事の責務を果たせなかったということで、代理署名を拒否するということになりました。基地の平等負担を言い始めるというのもその頃から。

私はその頃、それまで基地反対運動をやっている人たちの動きに疑問を持ち始めていて、沖縄と連帯できているのか悩んでいました。大阪でも、沖縄と連帯するための抗議集会をやることになり、その準備会で、「沖縄との連帯ができていなかったんじゃないか」と問題提起したんです。すると、「連帯を拒否した」と解釈され排除されました。

それを幸いに、95年に関西沖縄文庫を現在のこの場所に移したんです。新しい人たちと出会い、今までの人たちとは出会い直せる空間と時間を作りました。

共生には壁が重要

伊沢 もう一つの「共生には壁が重要」ということを考えるようになったのはいつ頃ですか?

金城 1995年頃からですね。ちょうど平和運動が盛り上がっている時期でしたが、盛り上がっているということに危うさを感じたんです。

盛り上がるということは、あまり深く考えてないから盛り上がれるんです。ものを考えながら盛り上がるのは難しいですよ。そういう時ほど、間違いに陥りやすいから用心するべきです。だから盛り上がらないように、一歩引いて見るんです。ところがそういう考えが、一緒に活動する仲間と意見が合わないわけです。

でも意見が合わないというのは、別に苦痛ではないんです。昔から、意見が合わないことは普通なんだと感じていて、その理由を考えるようにしていました。

それには小学校の教師の影響が大きかったですね。小学校の5年生の頃、ある教師が1時間目から5時間目までかけて、同じ授業をやらせたんです。国語が好きな教師で、文を読み合わせしながら子供たちに議論をさせたんです。結論として自分が感じたのは、これだけ話し合っても意見が合わず、ひとつにならないということでした。

ショックでしたが、これが事実なんだと小学生ながらに感じました。自分と違う考えの人がいる、それが普通なんだと。そういう説明を教師が口でしてもわからないから、子供たちに体感させるために5時間かけて授業をしたんです。その経験が根底にあるので、意見が合わないことは別に普通のこととして捉えています。

人と違うことを嫌がったり、ひとつにまとまろうとしたり、正しさを強要する人がいるけれど、あまり興味はないですね。むしろ間違っていることに対して興味があります。

だから私は何にでも盛り上がらないんです。みんなが盛り上がっているときに私はつい冷めてしまう。どうも私は盛り上がりが足りていないのかもしれません。

伊沢 金城さんの根底にあるものが見えてきました。なるほど、そういう経験があったんですね。教育がいかに大切かということですよね。

金城 そうですね。あの一つの授業からの学びが、その後もさまざまなことを考える上で生きましたよね。今でも同級生の間では、あの教師のあの授業が語り継がれています。

伊沢 頭でではなく、体で学んだ経験だったんですね。糞土塾でも、頭ではなく、自然の中で実際にウンコして体で学んでほしいなと思って活動しているんです。

金城 そうですね、体で学んだことは忘れにくいですよね。自分の中にいつまでもその学びが残ります。高校時代にこんなことがありました。

その頃は社会運動が盛り上がって、運動を起こす側の「正しさ」が盛んに叫ばれた時代でした。そんな中で私自身も、本名を名乗ることが正しいことだと思い、本名を名乗るという目的の集会を行ったんです。そこで在日朝鮮人の後輩に強要して、全校集会で一人立たせたことがありました。彼は最後の抵抗として、マイクを握らされても何も言わなかったんです。そのときに、重く、いやなものが残ったんです。それが、時が経って暴力じゃないかと気づいたんです。

こういう「正しさ」が社会に要求されている時代でしたが、小学校のとき、正しさとはそれぞれ違うんだということを体で学んでいたから、自分の行為が暴力なんだと気づけたわけです。

伊沢 「対談ふんだん」で二回目に登場したマナちゃんなんですが、彼女は小学5年生の時、私の講演を聞いた次の日の朝に早速、葉っぱ野糞をやっちゃったんです。

それは小学校の担任の先生がいつも、「迷ったらやってみよう」とおっしゃっていたからだと言うんです。迷う、ということはやりたいと思う気持ちもあるし、やって失敗したらそれが学びになるんだから、迷ったらやってみるように教えられていたんですね。   

金城 子供って、大人が感じている以上に子供じゃないと思うんですよね。

伊沢 そうそう、はるかにね。それも純粋で、パッと受け入れてくれますよね。大人の方が何だかんだと屁理屈をこねて、なかなか受け入れないです。

金城 私は、子供は真面目で、大人は不真面目だと思っています。子供と大人の違いは、真面目か、不真面目かです。真面目だと、考えるから突っ走らない。よく考えて悩むわけです。しかし大人は悩まないんです。

人間には4種類いると私は思っています。子供じみた子供と、子供じみた大人と、大人じみた子供と、大人じみた大人です。その中で、一番少ないのが、子供じみた大人です。これがほとんど存在しえないんですよ。だから子供じみた大人がいない社会がおかしな社会を作っているんじゃないでしょうか。彼らを増やしたら、社会がもっと面白くなると思いますよ。

大人じみた大人が、圧倒的な多数派で社会をおかしくしてますよね。子供時代から大人じみた子供に変えていってますよね。結果的に彼らのマジョリティが形成されてしまう。せめて子供じみた大人を増やすために、「子供じみた大人フェスティバル」みたいなのができないかなと考えているんですよ。

伊沢 いや〜、それ、いいですね!私も加わりたいです!

金城 これができたら最高に面白いですよね(笑)。でも最近は、エネルギーがなくなってきて、やっぱり60歳になるまでに無理してでも企画したらよかったと思います(笑)。これは思想、性別、全く関係ない。「子供じみた大人」は、つまりみんなバラバラってことだと思うんです。

伊沢 ある意味変な奴ばっかりでしょうね(笑)。でも、それこそ本物の多様性ですよ。

金城 いろんな人たちがバラバラに集まるということは面白いと思うんです。同じ考えの人たちが集まるというのは怖いと思います。それに対抗するためには、「子供じみた大人」がバラバラに集まったらいいんじゃないでしょうか。本当は中学生が面白いけどね。私は人間の中の真面目さと表現力が一番高いのは中学生だと思いますよ。

伊沢 私にとっても、世間を見回して、大人の世界が汚いということを実感したのは中学生のときでしたね。小学生のときは子供の世界にいて、食べ物や遊びなんかで心がいっぱいで、意識して人間社会を見ることがなかったですよね。  

金城 中学生は面白い。話していて一番面白いのは中学生だと思いますよ。高校生になるともう微妙です。高校生は、どういう大人になるかというのを選んでいってるんですよ。

伊沢 私はですね、中学生の気持ちのまま高校生になってしまったし、しかもこういう大人になりたいという目標も見つからなかったから、もう学校にいられなくて、退学しちゃったんですよ。

金城 だから高校というのは一つのハードル、壁なんですよね。大人に向かう通過地点としてのね。進路を決める時期になるしね。

伊沢 その頃から金城さんは、差別の問題を自分ごととして考えていたんですか?

金城 自分ごとというか、逆だと思うんです。沖縄人として責任を持った生き方を当時はしたくなかったから、自分が受けてきた差別を隠すため、在日の問題とか部落差別とかを扱ったと思うんです。自分自身の本来の問題を避けようとしていたんです。

しかしそれは見破られて、講師を頼みに行った先の定時制高校の在日の生徒に、「おまえ沖縄人なのに何やってんのや」と言われた。ちゃんと沖縄の問題をやれ、と。私はびっくりして「いやいやいや・・・」と逃げたんだけど逃げられなくなって、それで沖縄に向き合うことになってしまった。そこで気がつくわけです。自分の中に、沖縄が何もないということに。

伊沢 差別の序列として見ると、当時、在日朝鮮人と沖縄人と日本人は、どういう関係性だったんですか?

金城 朝鮮人の上に沖縄人がいて、その上にヤマトがいるというふうに見ていましたね。沖縄人のほうが朝鮮人より上だということは、日常的に親たちがよく口にしていましたから。

差別されている側自らが、序列を作って誰かをまた差別するのは滑稽で悲しいですよね。私が育った沖縄のコミュニティの隣はすぐ朝鮮人集落で、コミュニティ同士で、どっちがマシかというのを争ってました。変だな、と思ってましたね。

伊沢  なるほど。自分も差別する側に立っていたということをごまかさず、真面目に考えているから、金城さんの今があるんですね。

金城 事実に興味があったということですね。必ずしも、見えているものが事実とは限らないし、でも事実がわかれば解決できるという感覚はありましたね。それに、たとえ間違いがあっても、それが事実だったら事実として受け入れようと。

先人たちがここで生きてきた沖縄コミュニティは、壁を作ってきました。壁を作るということは、とても悩むことですよね。あまり良いイメージがないですし。

しかし沖縄人としてここで生きるためには壁が必要でした。壁がないとコミュニティが分解し、マジョリティの側に吸収されてしまう。つまり壁は、沖縄人の自己防衛のために存在したんです。壁は良くない、邪魔だとみんな思っているかもしれませんが、自分たちを守るためには壁が必要です。

そもそも、自己防衛と社会を変えるということは別問題ではないでしょうか。社会の中で違いがあって、それが差別に変化する可能性があるんだったら、まずは自分たちを守ることをしなければいけない。

自己防衛は排他的だと否定されることもありますが、ここでは文化に壁を作ってきたことで沖縄人としての文化が守られてきました。これは自分たちを守るための権利だと思っています。 

私はそれぞれが自分の壁を持っていたらいいのではないかと思います。ヤマトと沖縄との間に壁が2枚あればいいのではないかと。男性と女性との間に壁があるように、それぞれ違う存在が壁を持っていいと思います。

例えば、正しさが暴力化するのは、壁の外にその正しさが出てくるからです。沖縄人にとっては、私の金城という姓は「かなぐすく」という読み方が正しいです。ただ日本では「きんじょう」が正しい。正しさはそれぞれあっていいと思います。しかし問題は、ヤマト言葉の「きんじょう」を使うことを強要されることです。

つまり、強い人の正しさが弱い人の正しさを潰そうとしているんです。しかし日本人は、その現実を認めようとしません。「きんじょう」はあなたたちが思っている正しさであり、沖縄人の思っている正しさではないんです。

伊沢 実は私も、金城さんのこの本を読んだとき、どちらで呼べばいいのか迷ったんです。

金城 今のところ私は、「かなぐすく  きんじょう かおる」と自分の名を称しています。どちらとも言い切れないという意味でです。日本人になってしまっている自分と、沖縄人でありたい、沖縄人である自分とがいます。実際、「かなぐすく」だけで生きているとも、「きんじょう」だけで生きてるとも思えないんです。だからどちらでもあり、どちらでもないんです。どちらかひとつを選ぶことはできません。

伊沢 日本社会では多様性が大切だと言いながら、一方では価値観をひとつにまとめようとする強い圧力があります。多様性を謳うんだったら、違いを認めないといけないですよ。

糞土思想でも、ウンコは自分にとってはカスだけれど、ほかの生き物にとっては命の素になる。動物と植物と菌類とがそれぞれに違うから、お互いに違うものを利益として得られるんです。自分のいらないものが相手の価値になるし、相手のいらないものが自分の価値あるものになる。だから違うって素晴らしいことなんです。ただそれを、人間社会では今まで見ようとしなかったんです。そこで金城さんのこの本を読んで、人間社会を理解するためのヒントが見えてきました。

それまで自分が考えていた動物、植物、菌類の多様性とやっぱり同じなんだと思ったんです。

金城 人間社会で考えると難しいけど、本来自然界の中の共生はあるんでしょうね。

伊沢 自然界ではそれぞれ違うからこそ共生できて、同じだったらできないんです。まさに人間社会の中で、それをきちんとした言葉で表現したのが金城さんです。

「理解」ではなく、「分からない」を受け入れる

金城 先輩たちが苦しんだのは、沖縄の正しさが日本社会では否定されたということだった。差別が良くないと言いながら差別が存在しているということは、何かが間に挟まって、正しいと思っていることに置き換えられている可能性がある。それが「理解」だと思っています。

他者を理解することが正しいと思い込んでいるから、違いを認められなくなっている。理解という言葉は実は「同化」と結びついていることがあります。「同化」は良くないはずです、それぞれに違うことを受け止めることが必要でしょう。ならば「理解」ではなく、「分からない」を受け入れることが必要でしょう。

伊沢 相手を理解するというのは、その人の立場や気持ちをきちんと汲み取ることなのに、実はそうじゃなかったんですね。特に自分は正しいと思っている人ほど、自分の正しさの枠にはめて相手を見ていたんだとわかりました。

私も常々、ウンコと野糞で訴える糞土思想には、良識人や人権派ほど拒絶反応が強いと感じていましたが、その理由がハッキリ見えてきました。金城さんの本を読んだときに、その洞察力の深さに感服しましたが、こうして直接お話を伺って、まさに「目からウンコ」の思いです。

今日は素晴らしいお話を聞かせていただき、本当に有り難うございました。

 

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                                取材・執筆・撮影:小松由佳