日常のなかに死と生が存在することの穏やかさ

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死後も影響力が生きている

亮之介 亡くなった後も、淳子の縁で新たに出会った人たちがけっこういるんですよ。そういう意味でも俺はお留守番役なんだよね。彼女には死して人を動かすみたいなところがあるんだよね。

三回忌に自宅で開催した個展のために描いた絵(画/長野亮之介)

伊沢 この「対談ふんだん」の最初と5回目に、探検家の関野吉晴さんが登場してくださいました。関野さんが出てくださったことは私にとって大変重要な意味を持つのですが、それが実現したのも実は淳子さんのおかげだったんですよ。2018年1月に私が淳子さんと対談させていただいた直後、淳子さんは関野さんのモルフォセラピーの治療を受けに行って、そこから私に電話をくれましたよね。

亮之介 ああ、そういうことがありましたね。

伊沢 あれが関野さんと私がつながるキッカケだったんです。最初の対談相手の淳子さんと関野さん。そう考えると「対談ふんだん」は、淳子さんが私に託してくれたすごい遺産かもしれない。なんかその辺りで淳子さんが「ふふふ……」と笑っているような気がします。やっぱり存在しているんですよ。

亮之介 考えてみたら、本もそうじゃないですか。夏目漱石だって100年経っても本に考え方が残ってて、今の人がそれに影響されている。だから死後も活躍している。

伊沢 むしろ死んでからのほうが多いですよね。ゴッホだって生前は絵が1枚も売れなかったのに。

亮之介 宮沢賢治だってね。

伊沢 そう考えると、死って何なんだよって感じですよね。

亮之介 そうですね。

伊沢 結局、肉体と精神を分けて考えれば、肉体は始めと終わりがあるけれど、精神は続いていくよね。しあわせってむしろ精神のほうだし、そちらのほうを豊かにすれば、死なんて別に怖がらなくてもいいんじゃないのかなと思う。

私もこの年になりガンにもなって、肉体は死ぬかもしれないけれど、糞土思想をちゃんと残したら気持ちはずっと生き続けると思っています。亡き後も、今生きている人たちに影響力を持って存在していることを、淳子さんの死が実証していると思う。

亮之介 だから日常から生と死を切り離さないことがいいんじゃないのかなと思います。食べ物もそうだし、暮らし自体の全てについて言えるよね。コロナのせいで、家で過ごすことが多くなったでしょう。リモートワークになって、家の中の日常に仕事が置かれることになった。

家でご飯を食べたり料理する人が増えたと聞くけれど、実は仕事よりも日常自体が生の本質だったりするじゃないですか。その中にウンコもあれば生も死もセックスも色々入っていたのが、1つずつ切り離されてデジタル化されていったけれど、今回の奇禍を前向きに捉えて、今一度アナログな日常を再評価するための機運になればいいなと思います。

伊沢 本当にそう思います。淳子さんと亮之介さんから「しあわせな死」の素敵なヒントをいただきました。どうもありがとうございました。

<了>

(構成・写真/大西夏奈子)