日常のなかに死と生が存在することの穏やかさ

旅立つ1週間前に残したメッセージ

伊沢 あのぼんぼりはなんですか?

亮之介 亡くなる1週間前くらい、淳子がまだかすかに話ができるぐらいのときに、何か話したそうだったので口元に耳を近づけたら、「これからは、天に向かってよく考えて、よく考えたことを使って描いて行けば大丈夫、そう、天にはムンがいるよ」と言ったんです。

ムンというのは2人の間で使っていた彼女の愛称です。それがセンテンスとして彼女が話した最後の言葉でした。その言葉をぼんぼりに描いて葬儀のときに飾ったんです。このメッセージの影響で、俺は天をよく見上げるようになりました。

伊沢 そうですか、すごいなあ。淳子さんが見守っているっていう感じですね。

亮之介 自分が大変なときに、よく俺のことまで考えられるなあって。

伊沢 淳子さんが亡くなる前に対談させてもらったとき、唯一の心配事はこの家に長野さんが今後も住めるかだと気にしていました。寂しさなどはありますか?

亮之介 ありますよ。コロナで友達も来なくなったじゃん、ははは。今まで友達に支えられていたのにね。オンラインの会話も悪くはないけど、ちょっと違うよね。だからこの時期に身内を亡くした人はどうやって心を慰めるんだろうって思ってしまう。

 

沖縄での散骨と蝶々

伊沢 庭には散骨しないんですか?

亮之介 してないなあ。そういえば、淳子は、愛猫が眠っているあそこの柿の木の下に一緒に埋めてほしいと言っていたんだけどね。実は昨年末に、沖縄の海に散骨に行ったんです。

伊沢 淳子さんは沖縄に通っていたんですよね。

亮之介さんが新しく作った縁台で

亮之介 そうそう。三線を習っていました。三線仲間の親しい友人が沖縄に嫁いで、その彼女が住む島にたびたび行っていたんです。俺もしょっちゅう通っていた島だから、そこのきれいな海に散骨しようと思ったんです。

今回もその友人宅に1週間ほど泊まって、毎日昼間は野良仕事をし、夜はお酒を飲んでいました。その宴会で、奄美出身で沖縄在住のイラストレーターの伊東さんと出会った。

その翌日は東京に帰る日だったのですが、すごくいい天気になって、それじゃあということで、伊東さんも一緒に散骨に行くことになった。伊東さんは数年前にお父さんの洗骨をやったそうなんです。

伊沢 風葬ですか! 今どき貴重ですね。

亮之介 お父さんの棺桶を死後十数年後に開けて、骨を海で洗うんだって。今では珍しい儀式になったみたいですけどね。で、散骨について俺は具体的なことはノープランだったのですが、ごく自然に、伊東さんが司祭のように段取りを仕切ってくれたんです。

まず海の水をコップに入れてそこに骨の粉を入れて海に撒けばいいよって。俺は友人夫婦と一緒に、まず海に向かってお祈りをしました。その間に伊東さんが持参したギターを演奏してくれて、何だかすべて計画していたような素敵な儀式でした。

その帰り道、伊東さんの車で走っていたら窓から蝶々が入ってきて、しばらく車内を飛んでいたの。彼の地元の奄美では死者の魂が蝶々になると言われているそうで、伊東さんは「ほら、淳子さんが来たねー」と当たり前のように言う。

伊東さんの奥様は「長いこと運転してるけど車に蝶々が入ってくるなんて初めてよー」とびっくりしてる。ちょっとすごい話じゃないですか?

伊沢 すごいですね。絶対に偶然なんかじゃないですよ。

亮之介 うちの庭にも蝶々の道があるんだけど、蝶々を見るたびに「ああ、来た来た」って思うね。だから今日の「しあわせな死」の話で言えば、死が特別なことではないことがしあわせなんじゃないかなって思う。

伊沢 しあわせって心の持ち方の問題ですよね。蝶々の話も、淳子さんがまた会いにきてくれたと思うと嬉しいもんなあ。

亮之介 たしかに肉体はなくなったけど、魂というか、記憶がいろんな形に変化していく。蝶々になったり猫になったりして現れるような気がして、すると魂は消えたわけではないという意識があって。

伊沢 記憶というと過去になるけど、淳子さんの存在が今もあるんじゃないのかな。姿を変えて、まだ亮之介さんの周りに存在しているような。

亮之介 たぶんそう思うことで、無意識のうちに自分自身の心の安定を求めているのかなと思うけどね。でも宗教や哲学ってみんなそうじゃないですか。そう思うことで生きる力になる。