菌類に学ぶ平和な世界(前編)

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今関先生との出会い

伊沢 私がノグソを始めたきっかけは、1973年の秋に手にしたキノコのガイドブックで、動植物の死骸やウンコを分解して土に還すことで新たな命につなげるという、菌類の重要な働きを今関先生から学んだことです。さらにそのことが私の人生を決定づけました。だから今関先生は、私が最も敬愛する「育ての親」です。

 そして出川さんは、菌類ほか自然全般に関して私の最高の相談相手ですが、最初の出会いはまだ出川さんが小学生の時でしたよね。81年に今関先生に誘われて参加した、神奈川キノコの会の丹沢合宿観察会で、当時一番のキノコ図鑑:保育社の『原色日本菌類図鑑』をすべて覚えてしまった天才少年として紹介されました。そして、今関先生から孫のようにかわいがられている、と…。

 だから今日は、今関先生の子と孫の、いわば義理の親子対談です(笑)。

 まず、出川さんはどのようにして今関先生と出会ったのか、その辺から聞かせてください。

出川 ちょっと僕、今思い返すと怖いものが好きで、小学3~4年の頃、キノコと能面と鎌倉のお墓(やぐら)に興味を持っていたんです。お隣が中国人の家で、回覧板を届けに行くと怖い舞楽面とかが掛かっていて…。普通にかわいい花やチョウとかよりも、キノコはなんか怖いじゃないですか。

 キノコに夢中だった小学生の時に、伊沢さんの本(あかね書房『キノコの世界』)を買ってきて。当時あまりキノコの写真の本がなかったけど、その中のビニールのゴミ袋の上にキノコが出ている写真がすごい衝撃で。なにこのキノコって、インパクト大きかったなぁ。

『キノコの世界』ビニールに生えた粘菌:ユガミモジホコリ

伊沢 あれは、近所のゴミ捨て場で撮った変形菌(粘菌)の写真です。それにしても出会う前に、私のデビュー作の本を読んでくれていたなんてすごく嬉しいし、縁も感じます。

出川 今関先生との出会いは… キノコの会ができるというのを父親が新聞記事か何かで見つけて、神奈川キノコの会の設立総会に両親が連れて行ってくれたんです。その時に、自宅の庭で見つけたトタテグモに生える冬虫夏草(クモタケ)を持って行ったら、珍しいキノコを見つけて、小学生なのに偉いねってちやほやされて。

 もうね、うまいんですよ、おだて上げるのが。せっかく珍しいものを見つけたんだから、是非、これを調べて会報にレポートをまとめなさい、みたいな。実際の指導は博物館の学芸員がやってくれたんですけど。

 感謝しているのは、両親があんまり介入しない人で、最初の総会以降は会に一人で行っていました。毎月あるキノコの会に行くといろいろ教えてくれたり、たまに年に1~2回ガチガチに緊張して今関先生のお宅に伺って、お話を聞いてっていうこともありました。ちょうどおじいちゃんと孫みたいに。図鑑のこの先生がって、すごい緊張だけど嬉しいし、レジェンドの一言ひとことを、理解できなくても全部鵜呑みにしていました。

 先生はアマチュアにもすごく丁寧で、「自分は今関先生に育てられた」と言う人はたくさんいますよ。

伊沢 私もキノコに興味を持って写真を撮り始め、それから1年も経たないときにヘタクソなキノコの写真を何枚か入れて、先生に手紙を出したんです。でも、こっちはどこの馬の骨とも知れない青二才だよね。それなのに、菌学会会長も務められた大先生がすぐに丁寧なお返事をくれて、もう大感激! これで完全に菌類の世界にのめり込んじゃった。今関先生のような人は…ちょっといないよね。

 私も含めて普通人は腐るのを嫌がるけど、実は非常に大切なことなんだ、と先生の明快な文章で教えられたのが何よりも大きなショックでした。良い意味でね。

出川 菌類の分解者としての役割自体は古くからの考えだけど、そのことを今関先生は一般の人にも分かり易く伝えてくれました。よく「3本足の哲学」と今関先生は言っていて、例えばこの世の中に動物と植物だけしかいなかったとしたら、植物が光合成したものを動物が食べて終わりだけど、分解者の菌類がいることで動物の死骸や排泄物が分解されて、また植物ができるようになる。足が3本あると自然界の生態系は成り立つけれど、2本では安定しないでしょう、と。

 設立記念講演の時に一緒に行ったうちの親も、「あ、なるほど」と思える上手い言い方で、先生の人柄がにじみ出るんですよね。

伊沢 そうそう。今関先生は単なる菌学者ではなくて、偉大な教育者であり、さらに哲学者でもあったんですよ。例えば忌み嫌われる腐ることについて、単に菌類による分解というだけではなく、死んだものが土に還って新たな生に蘇る、命の循環として説いてくれたんです。そしてそれが、私がキノコの写真家になろうと決意した最大の動機です。