野糞×SDGs教育。ウンコは最高の教材だ

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ウンコで学ぶ道徳の授業?

伊沢 先ほどのように、人間目線と地球目線で意見が異なってしまう場合は、清水先生はどう子どもたちに伝えるのでしょうか?

清水 これからはディベートで勝ち負けを決めるのではなく、話し合って一緒に世界を創り上げていく時代だと考えています。

 その上で意見が違う人との折り合いを付けるには、論理的思考力が必要です。これは、学級会などの話し合いの中で、鍛えていきます。違う意見を持つ人がいるけれど、みんなで楽しむにはどうしようか?と、問いかけるんです。

 たとえば「ウンコは汚い派」と「ウンコは自然のご馳走派」で意見が分かれている場合。学級会で双方からの意見を出し合って、「野糞を毎日はできなくても、1年に1度はやってみる」といった落とし所を探す、といった解決策はありますよね。

 伊沢さんも「毎日野糞するなんて、最初は全然無理だった」って本に書いていましたしね(笑)。

伊沢 はい、私ですら今のペースで野糞できるようになるまでには、何年もかかりましたよ。1年間100%を達成するまででも、なんと25年です。

清水 1年にたった1度でも、野糞する生徒が365人いれば、1人が毎日野糞するのと変わらないですものね。1年に1度しか使わない自分専用のトイレが校庭にあるっていうのも、面白いかも。って、こんなこと考えている校長なかなかいないよね(笑)。

伊沢 そうですね(笑)。それどころか、校長ともあろうものが、そんな不道徳なことを子どもたちに教えていいのかって、バッシングされちゃうんじゃないですか?

清水 物事を多面的に見る視点は、道徳教育の大きなテーマでもあります。そもそも今の教育って、「教えすぎている」んです。

伊沢 教えすぎている、とは?

清水 元々人間って、主体的な生き物。赤ちゃんも勝手にハイハイして、何でも口に入れちゃいますよね。そうやって、「これは食べ物じゃないんだな」と学んでいくもの。

 ですが今は、親も学校の先生も「これはしちゃダメ」「ここから先は行っちゃダメ」というように、何でも押さえ込んでしまうんですね。これでは、子どもが自分の頭で考える機会を奪ってしまう。

 道徳の授業はそもそも、価値を教え込むのではなく、子どもに主体的に考えさせる授業なんです。その点、「汚いもの」と「ご馳走」という両方の側面を持つウンコは、非常に面白いトピックだと考えています。ウンコの処理のあり方を題材に、道徳の授業をデザインしてみるって、どうでしょう?

伊沢 それは楽しいし、嬉しいです。ウンコの分解といったテーマだと、今までは理科の授業かなと思っていましたが。

清水 そうですね、理科も良いですが、まずは思想的に野糞について考えてから、その後に理科の授業で実際の分解の過程を学んだり、実践編として「ウンコクラブ」を特別活動として作ったりできると良いですよね。校庭で野糞をしてみて、その経過を観察するクラブです(笑)。

伊沢 ウンコクラブ!それ、すごく良いですね。ぜひ実現してください。でも校庭で野糞なんて、大丈夫なんですか?

清水 もちろん、子どもに強要はしませんよ。でも学校の敷地内は校長の管理下なので、私がして良いと言えばして大丈夫です。ウンコクラブで、「ここで野糞するのは恥ずかしい」という子がいるなら、じゃあどうすれば恥ずかしくなくウンコができるか、みんなで考えるんです。ここに柵を作ってみたらどうだろう?というようにね。

伊沢 移動式トイレを作る、なんて選択肢もありますよね。

 実は私も校長をやってるんですよ。カマクラ図工室の山の学校というところで、私は「ウン校長」なんです。そこで話す校長訓話は、毎回2時間のウンコ話。それを聞いたある女子生徒の「真面目に野糞をする」という翌日の活動目標で、野糞実践講座もやりました。

 それに参加した子どもたちが竹やササを使って、野糞をするとき見られないように、簡単な囲いを作ったんです。それを「移動式どこでも野糞トイレ」と名付けたのですが、私もそれに入って衆人環視の下でやりました。

清水 それも良いですね。野糞した経験がある仲間ができれば、そこにも共感が生まれてきます。「外だと風が爽やかだったよね」みたいに。

 この共感も、特別活動で育める重要な感情。共感とは、同じ時間、同じ場所で、人と同じ行動をすることで生まれます。共感が生まれると、子どもの居場所ができるんですね。居場所があれば、自分を表現できる。共感が、人間同士の共生を可能にするんです。そういう良い循環ができてしまえば、いじめも起きなくなりますよ。

伊沢 野糞をすれば、いじめがなくなる。これはまた面白いアイディアをいただきました。