死はなぜ怖い? 前向きな「しあわせな死」って?

私たちが次世代に残すゴミ問題

関野 ゴミも大問題になっています。プラスチックや金属のように、放っておいてなくならないものを作り始めてからです。宇宙ゴミが今話題になっていますが、次世代のことを考えると2つ問題があります。資源は有限なので、使い続けたらいつか尽きるということと、ゴミができること。特に地下資源。それで私たちは悩む。

伊沢 循環できないんですね。こういう糞土師言葉があるんです。「人が作り出す物でもっとも価値ある物はウンコ。人間が為し得るもっとも崇高な行為はノグソ」。命の根元まで行ったら、ウンコとノグソぐらい素晴らしいものはない。

でも人間社会ではこんなとんでもないものと疎まれるわけで、私はそこをひっくり返そうとしてやっているんです。共生や循環って、私たちのすぐ足元にあるんですよね。でも地球がこんなにひどくなったから、火星に移住しようとかバカなことを考えたりする人が出てくるんですよ。

関野 僕はなぜずっと地球のマイノリティーである先住民たちとつきあってきたかというと、同じ文明の中で全く違う考え方を持ち、他の動植物に迷惑をかけていないような人々だから。ちょっと遅れてるんじゃないかと言われている人たちが、全然違うんですよね。

アマゾンで感じたのは、彼らは私たちと違うものを3つ持っている。まず、慎ましい。なぜならバナナは収穫したら蓄えられないから、食べられる分しか採らない。大きい家も建てません。大きい家を建てるようになったのは、住みやすいからではなく大きな威信を示せるからです。エスキモーなんてもっと狭いですからね、寒いから家が大きいと暖房効率が悪くて。

そして、時間がゆったり流れている。それから、優しい。競争しないからです。私たちは早ければ、大きければ良いという価値観があって、大量生産大量消費、大量破棄につながるんですが。

人の欲望が新たな死の概念を作り出した

関野 死期を決めるサインは3つあります。心臓が止まる、瞳孔が開く、呼吸が止まる。法的には医師が決めます。しかし最近、新しい死の概念ができました。脳死です。これは普通の医者に判断ができない。それなのに脳死が加わったのは自分たちの都合です。臓器移植ができるから。そうやってどんどん人間の都合で死期まで作り変えていく。

伊沢 欲望ですよね。自分が生きたいという欲を満たすために。

関野 僕は特に欲望のかたまりなんだけど(笑)。僕は文明批判的なことを言うこともありますが、夏は涼しく、冬は暖かい暮らしをしているし、行きたいと思えば地球の裏側まで飛んでいけるし、そういうことをしながら文明批判ってずるいなとも思う。

私たちは文明を作ったけれど、そこには負の側面があり、自然破壊、大気汚染、人間関係の荒廃が生まれる。すべて人間の肥大した欲望が引き起こすものです。動物もアマゾンの人々も、もっともっとと欲深くやらないのに。

僕は本にサインを頼まれると「ほどほどに」と書きます。皆がほどほどになればいいと自戒をこめているのですが、つい欲が出てしまう。

伊沢 私も糞土思想と言って文明批判をしていますが、実際は文明の恩恵を受けています。私の理想は山にこもって自給自足です。しかしそれだと自分1人で終わってしまい、世の中が変わらないんですよね。私は、人類がここまで地球を壊してきた罪を償って、人類全体で少しずつ地球を直していかないといけないと思っています。

私個人は2〜3割改善すればいい。それを多くの人に広める。一人ひとりが少しずつでもいいから、自然と共生する生き方を広めるというのが私の糞土師活動なんですよ。自分が正しいから広めるのではなくて、いかに罪滅ぼしをするか。

私だって地方へ講演会行くときは飛行機に乗ることもあります。でも多くの人に糞土思想を知ってもらったらもっと効果が上がるんじゃないか。人類全体の中で少しずつ底上げできればという考えでやっているんです。