死はなぜ怖い? 前向きな「しあわせな死」って?

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サルは死ぬのが怖くない?

関野 死についてですが、私は死が怖いです。ただし抽象的な死が怖いんです。危険な現場でまさに死に直面している瞬間というのは「ああああ……」って、案外怖いと思っていない。むしろ、ぼーっとしているときに死のことを考えると怖いと感じる。

なぜなら、まだやりたいことがたくさんあるから。50年後、100年後の世界を見てみたいじゃないですか。来世を信じていないということも大きいですね。それから死は周りも喪失感に巻き込むんですよね、本人だけの問題じゃない。

関野 30年前に私が外科医として大腸がんの患者さんを手術した当時は、がんの末期を本人にまだ告知しませんでした。外科の医師は3人1組で患者さんをフォローするので、一番若かった僕が「本当のことを言ってください」と、ある患者さんから聞かれました。

その患者さんは戦時中、人間魚雷の回天の乗組員だった方で、「そのときは全然怖くなかった。でも今は怖いから、手術で助かるのか正直に教えてください」って。状況や年代によって死の恐怖心はどんどん変わるのだと思いました。

伊沢 私も2015年にステージ3の舌がんになり、転移して死ぬかもしれないと考えてちょっと焦りました。糞土思想はまだ途中までしかできていなくて、なんとかしたいという欲があったんです。

弟子を作りたいと考えた時期もありました。欲があると人はなんとか生きたいと考えますよね。でもその後、なるようになればいいと思うようになってからは楽になりました。

関野 死を怖がっている生き物は人間だけみたいです。人間は700万年の歴史がありますが、初期猿人は死を意識していなくて、死の概念が生まれたのは私たちホモサピエンスとネアンデルタール人でした。

その証拠にイラクのシャニダール遺跡では、ネアンデルタール人が穴を掘って埋葬し、花をたくさん手向けていたという痕跡があるんです。埋葬は死を意識したということであり、それが人間の宗教の始まりだったと言われています。この説には否定派もいますが、死はそれほど新しい概念であるということですね。

伊沢 動物の場合はどうですか?

関野 チンパンジーにもゴリラにも死はないんです。ニホンザルの場合も、死んだ赤ちゃんをお母さんがずっと抱いていることがあります。赤ちゃんがおっぱいを吸わないので、やがてそのうちどこかに置き忘れてしまうのですが。

死を考えるのも、過去と未来があるのも人間だけ。サルは木から落ちて骨折しても後悔しません。でも人間だと「あのとき木に登らなければ」と後悔する。後悔するのは人間だけです。本当に特殊な動物ですよね。

伊沢 私、サル並の動物ですね。あんまり後悔しないんですよ。

関野 じゃあ不安はありますか?

伊沢 不安はある程度あります。

関野 サルは不安もないんです。なぜなら未来という概念がないから。もちろん直近の未来の感覚はあるけれど。農業で種を植えて1年後に実るように、今から世話するということはない。

唯一の例外はピグミーマーモセットっていう南米最小のサル。彼らは木をひっかいて、翌日また戻ってきて、出てきた白い樹液を食べるんです。つまり将来を予見して行動するんです。

人間の中にも特殊な例外がいて、アマゾンに住むピダハンという人々です。彼らは過去と未来の概念がなくて、お墓もないし先祖崇拝もしない。それ以外の人間には過去と未来があるんです。

関野さんお勧めのピダハンの本

伊沢 困ったもんですね。人間は未来(死んだ後のこと)がわからないから死が怖いという話がありましたが、ウンコになって考えれば、自分の出したウンコの行く末を知ることで、死後の世界もわかるのではないかと思います。

というのは、生き物として役立たなくなってカスになったものが死骸なので、物としてはウンコと死骸は同じだとも言えます。もし私が山の中で野垂れ死にすれば、ウンコと同じで他の動物に食われ、菌類に分解され、やがて植物になっていく。そう考えるようになってからすごく楽になって、自分の死が怖くなくなりました。

生きていたら他の生き物を食べて命を奪い続けなくちゃいけないけれど、死んだらその罪も終わります。私は自分の死期を悟ったら(ノグソがもうできなくなったら)、こっそり山にこもって即身成仏をしたいです。

でも自分自身の死は見据えられても、考えなくてはいけないのは周りの人のことですよね。周りの人も納得いくような死に方が見つけられたらいいなと思うんです。

関野 ちなみに孤独死はどう思いますか? アパートの密室で誰にも知られず亡くなる場合があります。

伊沢 ウンコになって考えるというのは、人間であることを捨てたということなんですよ。野生動物と同じに考えたら、孤独死であろうと何だろうといいんじゃないでしょうか。ただ、人間社会の中で死ぬと後が厄介ですけどね。ところで、先住民の死生観についてもお聞きしたいのですが。

関野 死生観は、民族によって差があります。例えばアマゾンのヤノマミは火葬しますが、残った骨を大事に保存して法事をするんです。雨季が明けると他の村からも客を呼び大きな祭りをして、死者の骨を粉にしたものをバナナ粥に入れ、肉親たちで回し飲みします。

そういうふうに焼いて食べてあげないと、行くべき天上の世界へ行けなくなり、地下の世界へ落ちると言う。そのとき彼らは1週間くらい泣き続け、肉親は髪を剃って喪に服します。つまり喪失感があるんです。ところがピダハンは、先祖崇拝をしないし墓もない。今目の前にあるものしか信じないからです。