相良直彦(菌学者・京都大学名誉教授)× 出川洋介(菌学者・筑波大学 准教授)× 伊沢正名(糞土師)
山に尿素をまくという独自のアプローチで、モグラの便所にしか生えないキノコを発見した、菌学者の相良直彦さん。「生息地浄化共生」という言葉で命の循環を語る相良さんですが、学者として根底にあるのは「人と同じは絶対に嫌だ」という、ごく原始的な思いだといいます。
そんな相良さんと、菌学者・出川洋介さん、糞土師・伊沢正名さんとの鼎談が、プープランドで実現。うんこと死体をめぐる、環境浄化と命の循環の物語を語り合いました。

尿素施与区のイバリシメジ(Sagaranella tylicolor)。5x5m方形区の一部。1971年5月2日尿素施与、1971年5月29日写真、アカマツ・ヒノキ林、京都市。相良さん提供
なりふり構っていられない
伊沢 これまでの対談ふんだんの最年少は、「マナちゃん14歳~」の郷原眞名さんと、「間違う勇気が民主主義を救う」の川中だいじさんが共に中学2年生です。対する最年長は「死はなぜ怖い」の関野吉晴さんで、対談時の年齢が70歳でした。
ところが今回の相良さんは、数ある菌学者の中でも特異な研究をしてきただけでなく、それを大きく更新する88歳という、図抜けた存在です。しかも、普通は免許の返納を考える80歳になった記念に、なんと重機の免許を取得し、今でも一人で百姓仕事をこなすという鉄人振りに、いったい今日はどんな話になるのかと興味津々です。
一方の出川さんは、すでに「菌類に学ぶ平和な世界」前後編で出ていただきましたが、カマドウマのうんこから見つけた糞生菌で菌類の進化を解明しようとするなど、極めてユニークな研究を続けています。そして私が初めて出会ったのは、出川さんがまだ小学生の時でしたが、すでに天才キノコ少年として知られていました。
そんな出川さんにとって、相良さんはどのような存在なのでしょうか。
出川 私は大学生のときに相良先生の著書『きのこと動物——ひとつの地下生物学』を読んで、強烈な影響を受けました。というのも相良先生の本は、研究の書というより、まるで探偵小説みたいなんです。
研究結果が理路整然と書いてあるのではなく、探索や謎解きの様子が紆余曲折を含めて書いてあり、先生の研究のプロセスを追体験できるのです。それが猛烈に面白くて、こんな風に研究をしてみたいと憧れたものです。

出川洋介(筑波大学 生命環境系 准教授)
相良 そうでしたか。私としては、単に「人と同じは絶対に嫌だ」という原始的なきもちでやってきただけです。
あとは、下手な知識を持ち合わせていなかったのも良かったのかもしれません。田舎で育って、勉強が苦手だからこそ我流の発想ができた。案外そこから新しい発見が見えてきたりするものです。
伊沢 そうそう、むしろ学校の勉強なんてできない方がいいんですよね。私も高校中退だし、写真も二十歳になるまでは嫌いだったので、完全に独学。だからこそ、「これはこうだ、こうすれば良い」という既成概念がまったくなかったから、菌類や野糞の素晴らしさに真っ直ぐに気付けたと考えています。
相良 そうかもしれません。なりふり構わずやってきたので、少し恥ずかしい部分もありますけれど(笑)。

相良直彦(菌学者・京都大学名誉教授)
伊沢 実は私も、野糞を始めてから公表できるまで、何十年もかかっているんです。周りにどう思われるか、最初は恥ずかしくて、長年こっそりやっていたんですよ(笑)。そこから糞土思想を自分なりに構築して、自信を持って言えるようになったのは、写真家を辞めて糞土師になり、2007年から08年に野糞跡掘り返し調査をやってからのことです。
相良 そうだったんですね。伊沢さんは、初めて野糞をしたのが1974年と書いていましたね。その頃には私はもう研究者として、自分の放尿跡や野糞跡に僕が研究しているアンモニア菌が生えるということを、データとしてとっていたんですよ。
伊沢 なんと。相良さんは野糞に関しても、大先輩だったわけですね!
確かに、すでに60年代に撮った野シッコや野糞跡に生えたキノコの写真を見せられると、お見それしました!と頭を下げるしかないです。

小便の跡に生えたイバリシメジ(S: Sagaranella tylicolor)とイバリスイライカビ(A: Ascobolus denudatus)。1967年9月13日放尿(相良)、1967年10月9日写真、クヌギ・コナラ林、京都市。相良さん提供(1975年の論文で発表済み)

野糞によって生えたオオキツネタケ(Laccaria bicolor)。1967年6月10日地表に排便(相良、実験区番号380)、1968年10月5日写真、アカマツ・ヒノキ林、京都市。相良さん提供(1975年の論文に「14か所の野糞跡を観察した」と書いてある)
相良 排泄物を大地に還すという点で、私は伊沢さんに負けてはいないと思っているんです。2012年に山仕事中の事故で膝を痛めて、和式にしゃがむのがむずかしくなりましたが、それまでは水洗便所はあまり使わず、糞尿の大部分は汲み取って畑に入れていました。今でも、小便は、たいがい、家周りの果樹に直接遣っています、ちょっとだけ人目を気にしながら……(笑)。
台所から出る生ごみも果樹に遣ったり、池のコイに遣ったり……。コメのとぎ汁も流さないで田んぼや土に入れます。リサイクルを実践するという点で、私は誰にも引けを取らないと思っています。だから、忙しい!
モグラの便所から生えるキノコ(きのこ-モグラ学)
伊沢 対談ふんだんで相良さんにお話を聞きたいと長年思っていた理由は、「モグラノセッチンタケ」について教えていただきたかったからなんです。モグラのせっちん、つまり便所から生えてくるキノコですが、相良さんの研究で有名になりました。このモグラの研究に踏み込んでいったのは、どんなきっかけだったんですか。
相良 出発点は、実験の一環で山に尿素をまいてみたら、見知らぬキノコがびっしり生えたという発見でした。私の先生の浜田稔先生が、「山を一つの生物と考えて、それに刺激を与えてみたらどうか」という考えを持っていて、私はその手段として肥料を使ってみたんです。
何種類か肥料をまいた中で、尿素をまいたところだけに見知らぬキノコが生えた。尿素は分解するとアンモニアになる。だから、そのキノコはアンモニアに反応して生えたわけです。
それで「このキノコは、自然界ではどんなところに生活してるんだろう」と、そのキノコが生えそうな場所を徹底的に調べていったんです。そうしたら放尿跡、うんこが朽ちた跡、死体が朽ち果てた跡、そういうところに生えることがわかってきた。そういうキノコをまとめて「アンモニア菌」と呼ぶようにしました。
伊沢 そこからモグラの巣に辿り着くんですか。
相良 そうです。山を観察していると、地表に何も変化のないところに、アンモニア菌が生えていたことがあった。だから原因は地中にあるんだろうということで掘ったら、巣が出てきた。最初はネズミの巣であると誤発表してしまいましたが、やがてそれがモグラの巣だとわかり、後から訂正しました。

ナガエノスギタケ(Hebeloma sagarae)とモグラ(アズマモグラ?)の巣。アベマキ・コナラ林、広島県芸北町。2005.10.16発掘、写真。折尺上の黒線は10 ㎝間隔。井本敏和氏案内。相良さん提供
モグラは巣のそばに便所を作るんですが、その便所跡に生えるキノコがあることがわかってきた。それがナガエノスギタケとアシナガヌメリです。別名「もぐらのせっちんたけ」です。
アシナガヌメリの方はアンモニア菌なので、尿素をまけば生えるし、人のうんこや動物死体からも生える。ところがナガエノスギタケは、どんなにアンモニアをまいても生えない。モグラの便所にしか生えないんです。不思議でしょう。
ナガエノスギタケは当時、アンモニア菌のナガエノスギタケダマシと混同されていました。その混同のおかげでナガエノスギタケも発掘調査の対象となって、モグラの巣に行き当たりました。
伊沢 私も自分の野グソ跡でアシナガヌメリがよく生えるので、よくわかります。自然の状態では何年かに一回しか見られないくらい珍しいキノコなのに、自分でうんこを埋めた場所を丹念に見ていくと、半分以上の割合で出てくる。
でも不思議なのは、ナガエノスギタケがどうやって地中深くにあるモグラの便所の場所を知るのか、ということですよね。
相良 それはまだわかっていないんですよ。ナガエノスギタケがどうしてモグラの便所を探り当てるかは、今も解明できていない。たぶん、イバリシメジなどと同じように、どこにでも居るんだと思います。
私が力を入れて観察したことに、モグラの「長期定住」があります。きのこが生え続けるので、掘って調べなくてもモグラの営巣が続いていることが判る。きのこ-モグラ学の真骨頂です。
モグラは寿命が3~5年ですが、住者の個体は替わりながら20〜30年という長期間、同じ場所に住み続けるんです。なぜ移転しないでその場所を選ぶのか。私は、自分の排泄物がちゃんと後始末されていく環境を、モグラが何らかの形で感じ取っているんじゃないかと思っています。
モグラの便所では、まず虫やバクテリアが排泄物の初期段階を処理します。その後にナガエノスギタケやアシナガヌメリの菌糸が増殖してきて、木の根と一緒に後始末を完了させ、やがてキノコとして地表に現れる。しかもモグラは便所が満杯になると巣の近くの別の場所に新しく作る。古い場所が元通りになったらまた使う、という循環をしているらしい。だからキノコが生える位置も巣の近くで年々変わっていく。動物と植物と菌類の三者が共存して、モグラが長く住み続けられる環境を維持していると考えます。

モグラの排泄所跡におけるきのこ菌糸と樹木細根の共生。左:排泄所跡(地中20~30cm)には菌糸と根が茂り、その塊からきのこが生える(この例はアシナガヌメリ)。右:そのような根を薄く輪切りにして顕微鏡で見ると、「外生菌根」と言われる共生体になっている;すなわち、根の表面は菌糸で被われており(菌鞘)、その菌糸は細胞間隙まで入り込んでハルティッヒ・ネットといわれる構造になっている(この例はナガエノスギタケ)。相良さん提供
生息地浄化共生とは何か
伊沢 相良さんはその関係を、「生息地浄化共生」という言葉で捉えていますよね。これが私には目から鱗だったんですよ。共生という概念はずっと考えてきたけれど、「浄化」という視点がなかった。
相良 私は田舎で育ったからよくわかるんですが、昔の農村の暮らしでは、食べ物のカスも糞便も、その場で全部後始末していたんです。生ゴミは腐らせて堆肥にして田畑へ、糞便も汲み取って田畑へ。循環がすべて生活の中に組み込まれていた。それと同じことを、モグラと菌類と植物はやっているわけです。
動物と植物と菌類の三者が共同して、生息地そのものを浄化しながら長期の生活を可能にする。それを「生息地浄化共生」という言葉で表現しました。キノコや樹木はいなくても、コンクリートやアスファルトで覆われていない大地であれば代わりの生物はいっぱい居るので、浄化はしてくれます。大地が解放されていることがかなめです。
出川 そういう用語へのこだわりが、相良さんの真骨頂ですよね。
単なる言い換えではなくて、「この言葉で本当にいいのか」と問い直すところから、本質的な議論が始まるんですよね。僕は学生のころ、相良先生の本を読んで「用語というのはこんなに大事なものなのか」と教わった気がします。
伊沢 私も相良さんの著書を読んでいて「これだ!」と思ったのが、ヨーロッパの「人間中心主義」を「ヒト類エゴイズム」と言い換えているところです。私がこれまで使ってきた人間中心主義という言葉はまだそれほど悪い響きに聞こえないけれど、ヒト類エゴイズムと言われると、人間が自分たちのエゴで自然を壊してきたことが一言で強烈に伝わってくる。
相良 人からは「やたら新しい言葉を作りたがる」と言われますけどね(笑)。でも、今までになかったものを見つけたら、それを表す言葉はないのが当たり前。だから作るしかないんですよ。
伊沢 その「ヒト類エゴイズム」が一番むき出しになっているのが、じつは今話題になっている、火星移住計画なんですよ。
地球にはもう、これ以上ないほど見事な生態系が出来上がっている。そこで生きていけばいいのに、わざわざ新天地を求めて、別の星を人間の都合のいいように作り変えようとする。まさに人類のエゴそのものでしょう。
私は最近、米国のある大学が月の土と同じ組成の材料で豆を育てる実験をした、というニュースを読みました。その土だけでは芽も出なかった。しかしそこにミミズ堆肥をたっぷり入れて、菌根菌まで加えることで、ようやく実ったというんです。記事では「これで栽培できる」と成果として書いていましたが、私はむしろ逆だと思った。そこまでしないと月の土だけでは、豆ひとつまともに育たないんですから。むしろ不可能の証明ですよね。
相良 私も1998年に、「宇宙に移住するなんて言うが、排泄物はどうするんだ?」と書いたことがあります。我々の排泄物を後始末できるのは地球だけで、そんな後始末生物がいるのも地球しかない、と直感的に思っているんです。「排泄物は地球に持って帰る」というのでは話になりません。
死体が森をつくる
出川 相良さんは、動物の死体に生えるカビの研究もされていますよね。相良さんが日本ではじめて見つけてトムライカビという素晴らしい和名を与えたカビは、私が専門にしているグループ(接合菌類)の菌の一種で、かねてからぜひ見てみたいと思ってきました。
強烈な腐敗臭が漂う中に、花束を敷き詰めて並べたように群生する様子は、まさに遺体を弔っているかのようで、本当に良い和名だと思います。この属の別種はみな線虫を捕まえて食べているのですが、この種はいったい何を直接の栄養にしているのですか?と、相良先生から質問されたこともありましたが、残念ながらまだ解明できていません。

地表で朽ち果てたハシボソガラスの死骸(写真左)とその上に生えたトムライカビ(Rhopalomyces strangulatus、写真右)。写真、左1979年7月9日、右1979年7月28日。スギ林内路上、京都市。相良さん提供
私は、相良さんの本を読んで、学生時代からずっとこのカビを見たかったのに、なかなか出会えませんでした。ところが学芸員になって博物館に勤めてから、思いがけない形で遭遇することができました。同僚の学芸員が動物園からもらってきたシマウマやキリンの遺体から骨格標本を作るために、バケツに遺体の断片と水を入れて腐らせていたんですが、その水をバシャッと土の上にぶちまけたところに、ドーンと大発生したんです。
さらに上野動物園からもらってきたゾウを解体して山の中に埋めて骨格標本を作る途中の様子を見に行ったときにも、骨から削り取られた肉の残りにまた大発生していました。長年見たいと思っていたカビに、こんな形で遭遇できるとは(笑)。
相良 私がこのカビを最初に観察したのは、人の死体跡だったんですよ。動物死体の観察をするなかで、自分では人の死体にはなかなか巡り合えないので、警察に行って「最近山で死んだ人はありませんか」と聞きました。鑑識からに所轄の署に話を通してもらって、現場を教えてもらった。
伊沢 警察も驚いたでしょうね。でもそういう風に、好奇心に突き動かされて行動できてしまうのが、相良さんのすごさですよね。
私はいま、土葬をなんとか復活させたいと思って動いているんです。便所に流したうんこは下水処理場で最終的に焼却処分され、死体は火葬場で焼かれてしまう。本来なら土に還して循環の輪に戻せるはずのものが、いまはどこにも還れなくなっている。だから私は死んだら、このプープランドで土に還りたいと考えています。
でもプープランドは墓地ではないので、それは死体遺棄という違法行為になってしまい、判れば遺体は回収され火葬されてしまうのが落ちです。だからそうさせないように、もしも私を火葬したら、その者を呪い殺すぞ、という遺書を書いたんです(笑)。人間社会の法律よりも、自然の摂理のほうがはるかに大切だと考えているので。
相良 伊沢さんは、今にも死にそうなことをなんども書くので、もう死んだのかと思っていた(笑)。土葬がいけないというのは私も納得できません。大地に還ればよいのです。イギリスの古い教会の墓地では、狭い範囲で何度も埋葬したので、白骨が地面にころがっていました。
出川 ハクビシンやイノシシなど動物の遺体を土に埋めて、どのように分解されていき、どんな菌が出るかを観察しておけば、伊沢さんが土に入った後に何が生えるかの予習になりますよね。伊沢さんからプープランドでそういう実験観察をしてほしいと頼まれているのですが、未だ実現できていません。
大型動物の遺体の分解には、相良先生が明らかにされてきたようなユニークな菌類達とともに、腐肉も食べる大型肉食動物や、ハエ類、シデムシ、ハネカクシの様な甲虫、ダニやトビムシ、線虫のような微小な土壌動物に至るまで、実に多様な生き物が関与するはずです。このプロセスをじっくり観察して記録する作業は、いろいろな分野の人にも協力してもらい一大プロジェクトになると思います。
伊沢 そしてアシナガヌメリが出てきたら、それは微生物による後始末が終わったサインにもなる。土中のあり様をキノコが教えてくれるんですね。

コナラの菌根を観察する相良さん。今年芽生えた若木なのに、菌がすでに付いている!

プープランドで掘り出したコナラの根と菌根(矢印)
土は後始末の準備ができている
伊沢 今日の話を聞いて改めて感じるのは、相良さんのやってきたことが、そのまま子どもへの自然教育に使えるということです。
相良 森林の落葉層を取って来て、そこに尿素と水を与えれば、アンモニア菌が生えます。それを観察キットにすれば、室内でもできます。
伊沢 尿素の代わりに、子どもに自分でおしっこをひっかけさせたら、もっと面白いかもしれない。
相良 そうですよ(笑)。菌のタネをまくわけではない。土の中でずっと待機していたものが、チャンスを与えられることで出てくる。どこの土にも、うんこや尿を後始末できる菌のセットがすでにいるんです。それが目に見えるかたちで現れてくるところに意味がある。
出川 いいですね。生ゴミのかけらを土の上に置いて、ケカビが生え→アオカビが生え→小さいハエが来訪して物理的にも分解されていく分解プロセスの遷移を観察させるのも、自由研究のテーマとして面白いと思います。土に埋めたらなんとなく「消えてしまった」と思いがちなものが、実は菌や虫たちによりじっくり分解されていくのだということを目で見て実感することができるはずです。
また、駅前の植え込みとか学校の花壇なんかの土を調べると、ヒトや動物の毛髪など、なかなか分解し辛いゴミを分解できるホネタケという菌のグループが意外なほど多く見つかります。人通りが多い場所ほどヒトの毛髪がたくさん落ちるため、それがホネタケの仲間の菌の集積培養の場になっているのかもしれません。都市の中でも、菌類は分解者として働いており、生き物たちの循環はちゃんと動いているんですね。
伊沢 私はね、義務教育の中で試験問題に「うんことは何だ?」という設問を一つ入れてほしいんですよ。動物だけじゃなく植物も菌類もみんな、生きて成長するために食べてうんこをしている。この地球では最初に植物が太陽の光エネルギーを取り込んで、光合成で有機物を作り、酸素といううんこをする。そしてヒトも含めて動物は、それを食べてうんこをして生きている。おまけに太陽の光というのは、太陽が自分にとっては要らないから捨てた、太陽のうんこなんですね。つまり太陽の光から自分までずっとうんこでつながっているし、その自分のうんこが土に還せば他の多くの生き物の食べ物になり、命になる。
そういう地球規模の循環の理解が、一つの問いから広がっていくんじゃないかと考えているんです。さらに野糞をして野糞跡を観察すれば、自分の目でそのことをしっかり確認できるんです。
単に知識を詰め込むだけじゃなくて、体験や観察から学ぶ教育にしていかなければ、本当の意味で自然とつながれる人間は育たないと思います。
私が糞土師として頑張っているのは、人間活動が原因でとんでもない環境破壊を招き、生物の大量絶滅危機の崖っぷちまで来てしまったこの地球を何とか立ち直らせて、すべての生き物が安心して暮らせる世界を取り戻すことです。つまり、「人と自然の共生社会」を目指すのが糞土思想です。
ですから、相良さんから学んだ「生息地浄化共生」と「ヒト類エゴイズム」という二つの言葉を、「人と自然の環境浄化共生」と「人類エゴイズム」と言い換えて、これからの糞土思想の新たな標語として活用していきたいと考えています。今日はありがとうございました。
〈了〉
(執筆・撮影:金井明日香)
