ウンコは汚物に生まれるのではない、汚物になるのだ。

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 沖縄は、日本のウンコ?

伊沢 ウンコには、常識を揺るがせる力がありますよね。さらに私は、世の中のいろんなものをウンコで表現できると考えているんです。例えば、「ウンコはご馳走」とか「ウンコは己を映す鏡」、「お金はウンコだ」みたいに。

 そしてつい最近思いついたのが、「沖縄はウンコだ」なんです。

 こう言うとたいていの人は、役立たずで汚いウンコみたいに、沖縄を愚劣だと軽蔑していると思うかも知れません。でも私の言っているウンコって、まるっきり反対なんです。

 今日の子どもたちへの自己紹介で、「オジサンを先生じゃなくて、クソオヤジって呼んで」って言ったように、クソやウンコは私にとって、価値ある誇らしいものなんです。

湯澤 私も「先生」ではない呼ばれ方を考えたいなあ。伊沢さんがクソオヤジなら、私はクソオバサン…(笑)?

 とはいえ、どのように「沖縄はウンコ」という考えにたどり着いたのですか?

伊沢 私が沖縄はウンコだって考えたきっかけは、2015年に大阪で若い女性が始めた「基地引き取り運動」なんです。

 辺野古の米軍新基地建設反対の座り込みに、私もたった一度だけど参加したことがあります。でもそれは、自分は安全な所にいながら正義感を振りかざしているだけで、本当に沖縄の痛みに寄り添っているわけではなかったんですね。

 沖縄は元々小さな島国ながら、琉球王国として独自の文化を発展させて栄えていましたよね。ですが大和に侵略され、琉球処分で植民地になり、太平洋戦争では住民の1/3近くが命を落としました。戦後は日本の捨て石にされてアメリカに占領され、日本に復帰してからも膨大な米軍基地を押し付けられるというように差別され続けました。

 そして今、沖縄の人たちが県民投票や選挙であれほど強く新基地建設反対を叫んでも、私たち大和民族のほとんどは平穏に暮らしながら、決して自分事としないんですよ。そこにくさびを打ち込んだのが「基地引き取り運動」です。

 これまでの反対運動のように、嫌なものを拒否するだけではなく、自分たち大和民族の責任を果たそうと、沖縄の人を苦しませ続けた基地を自分たちが引き受け、その痛みを共有し、この基地問題に自分事として取り組もうということなんです。

湯澤 なるほど、伊沢さんが著書で書いていた、し尿処理場建設反対運動に通じるものがありますね。自分たちで出した糞尿なのに、近くで処理するのは臭いし汚いから嫌だと。

伊沢 その通りです。だからウンコと同じように、自分が嫌な基地を沖縄に押しつけておいて、無責任に知らん振りしていてはいけないんです。沖縄の基地問題とウンコの処理問題、根っこは同じでしょう? それが「沖縄はウンコだ」の真意です。

湯澤 世界でも、同様のことが起きていますよね。かつてフランス領のタヒチでは、フランスによる核実験が行われていました。核実験はやりたいけれど、自国を危険に晒したくない。だったら植民地のタヒチで実験しようと。タヒチもまさに、フランスのウンコを処理させられていたのです。

伊沢 ゴーギャンの愛したタヒチも、やっぱりウンコだったんですね。様々なことがウンコに置き換えられてしまうのには、自分でも驚きます。

 今日の子どもたちの反応を見ていても、ウンコは大切なことを伝えるのに本当にありがたい存在ですよね。ウンコ一つで、葉っぱ1枚でいろいろな常識をひっくり返せる。ぜひ、また一緒に講座をやりましょう。

(取材・編集・写真:金井明日香)