「生ききりたい」(後編)

家族を見送ってきたので死は身近にあった

亮之介 身近な人の死を見てきた経験も関係しているかもしれない。淳子は5人姉妹で、お姉さんが早く亡くなっている。あとお母さんも。

伊沢 そうなんですか。どのぐらいで亡くなられたんですか?

淳子 姉はずっと我が家のホープだったんですが、大学を卒業して26歳ぐらいの本当に若いときに。多発性硬化症という体がどんどん固まって動かなくなる難病で、ずっと闘病生活をしていました。

伊沢 そうだったんですか。私の身内だと、お袋が亡くなる前3年間ほど面倒を見ていたのですが、もう90歳を過ぎていたので、長生きしても楽しみがないと本人が言っていて。いつ死んでもいいという覚悟が決まっていたんです。病院や施設に入っていたのですが、だから納得はできた。

淳子 うん。

淳子さんのサプライズ誕生日パーティー。向かって左は友人、右は妹の綾子さん

亮之介 年齢的なものもありますよね。90歳ならね。

淳子 80歳や90歳ならもういいって思うと思うんですよ。でもまあ、なってみないとわからないけど。今、がん研究会有明病院に通っているのですが、ヨボヨボの方が耐えながら杖をついて病院に来ていて、私と同じように抗ガン剤や点滴治療を受けているんです。

もし私がそのぐらいの歳だったら、今自分がやっている治療はやらないだろうなあって思ったり。でもやっぱり今の私は60歳手前で、ついこの前までバリバリ働いてたのが突然こうなったので、再びバリバリ働こうとは思わないけど、もう少し……。

なんていうのかな、働いてきたご褒美じゃないけど、もう少しゆっくり自分の生活だとか、どこか行きたいところへ行くとか。すごく基本的なところで生活を楽しむ時間がないともったいないっていうか。

伊沢 喜びがないと、生きていてもしょうがないと思うんですよね。

淳子 そうですよね。

伊沢 単に命を長らえるためだけに生きるって。しかも病気で苦しんでいたら、わざわざマイナスの人生を歩む必要はないんじゃないかと思うんだけど。そこはどうなんでしょうね。

亮之介 でも伊沢さんは、これまでフリーで仕事をしてきて。

伊沢 喜びをしっかり持っているわけですよ。

亮之介 もちろん淳子だって持ってると思うけど。

伊沢 仕事も終わって隠居して何もしていない状態でも何か喜びがあればいいんだけど、それもなくなったら。ただ病と闘うだけの生き方ってどうなんだろうなあって思うんです。

もちろん趣味があったり、そういうことと並行してやるのだったらわかりますが、それもないってなったら何のための人生なのかなって思っちゃうんですよね。

亮之介 でも80歳や90歳で抗ガン剤をやっている人だって、生きようとしているということは……。

淳子 そうなの、だからね。

亮之介 何かあるんでしょう、きっと。

伊沢 その生きようとするのが、死が怖いから生きようとしてるのかっていうことなんですよ。

亮之介 それはわからないですよ。

伊沢 そう。だから死というものをどう捉えるのか、もうちょっとしっかりしないといけないなって。痛みに勝る喜びがあるならもちろん、一生懸命生きる価値をそこに見出せますよね。

でもそれすら薄らいだ場合です。私のお袋がそうだったので。ただ家にいてその日を送っていて、もう表に出ることもできないし、旅行にも行けない。

淳子 ただね、私あんまりね、人生に目的や目標が別になくてもいいって思うんですよ。