「生ききりたい」(後編)

生きている今、死と向き合う

伊沢 だから死について、自由がなくなって痛みや苦しみが始まる前から、もっと良い解決策を見出さないといけないと思っています。

亮之介 歴史的には宗教という方法論が1つある。輪廻転生のように、現世だけでなく来世もあるとかね。そういう死の苦しみを和らげる、あるいは逸らすのは違うのかもしれないけど、そういう方法論は世界中にある。

でも今は世界的にそういう宗教意識が薄れてきていて、それに代わるのは哲学なのかもしれないけれど、それも薄れていますよね。だから現世利益を追い求めるばかりなら、今生きていることだけが価値があるというふうになるんだろうと思います。

淳子 うんうん。

「五反舎」演劇部「ハナタレ組」で野外演劇の一コマ。亡くなる7ヶ月前(写真提供/村松裕子)

伊沢 そうですね。

亮之介 例えば伊沢さんの糞土思想も、一種の輪廻転生みたいなものじゃないですか。循環の。そういう哲学的なものが、現世で生きることと並行して意識できたら変わるんだろうなと思いますけどね。

伊沢 だからウンコから行く末が見えるような気がしてやっているんですけどね。一見カスですが、野山に置けば他の生き物の食べ物になって命が蘇る。それが自分のウンコで見えるというのがあって、ウンコこそ糞土思想の最大の武器なんです。

淳子 人間はウンコだっていうことをわかっていれば、たぶんそういうふうになるんだけど。

伊沢 仏陀も「人間はクソ袋にすぎない」と言ってますよね。

亮之介 うん。

淳子 そうなの? でもね、高齢者の方が頑張って病院に通って来るのを見たときに、なぜここまで耐えられるんだろうと不思議だったんだけど、生きることに対する本能……。生きたいというのが、生き物の考えとかとは関係なく、本能的なものとしてあるんじゃないかって。

死が目の前にきたとき、それをすっと受け入れるのがかなり難しくて。要するに欲なんだろうけれど、生命が持っている、生きようとする、生きたいという、そういう本能なのかなっていう気もします。

伊沢 ただ他の生き物を見ていると、犬でも猫でも自分の死期を悟るとすーっといなくなるでしょ。

淳子 悟ります。ほんとに猫はいなくなるの。

伊沢 だから生き物の本能とは片づけられないような気がしているんです。むしろ人間特有の文化なのかなって。

淳子 文化なのかなあ?

伊沢 医療がどんどん発達して長生きできるようになったから、生きたいという欲が刺激されて社会全体に広がり、それが文化として定着したとか……。