ベジタリアンと縄文人の平和な生き方とは?

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ベジタリアンの「ベジ」は「野菜」ではない

伊沢 安田さんがベジタリアンであると聞いて、それにも私は興味を惹かれたんですよ。当時の私はベジタリアンの人脈がなかったから、新しい方向に広がる予感がしました。

安田 命の循環について考えるとき、お返しするほうの話がノグソで、命をいただくほうの話がベジタリアンで、僕の中では1つにつながっています。

伊沢さんは「食は権利だから食べたら返せばいい」とおっしゃいますよね。その通りだと思うのですが、権利があるからって100%行使しなくてもいいのではないかと僕は思います。慎ましやかにもらって、大きく返してもいいじゃないのかなって。

伊沢 大きく返すの?(笑)

安田 ははは。権利があるからと言って、食べ物である生命を最大限取らなくてもいいじゃないかと。奪う生命をなるべく減らしたいと思うのです。じゃあどこまで食べるかを考えるときに、全く食べないのは無理だから、動物と植物で分けるのがわかりやすいかなって。

だから、動物は食べないで、植物だけを食べようというわけです。でも今は動物か植物かではなくて、自分で命を奪えるか、つまり殺せるかどうかという分け方をしています。僕は植物は殺せるので食べますが、牛や豚は殺せないので食べません。

伊沢 ベジタリアンの人はみんなそう考えるんですか?

安田 いえ、これは僕独自の考え方ですね。

伊沢 安田さんが考えるベジタリアンの定義とは何ですか?

安田 よく間違えられるのですが、ベジタリアンの「ベジ」って「野菜」という意味ではないんですよ。

伊沢 そこなんだよね。

安田 「ベジ」はもともとラテン語で「イキイキとした」という意味なんです。イキイキと生きている人のことをベジタリアンと言い、肉か野菜かというのは二の次の話だと言われているんです。

伊沢 それを聞いて、私の中にあったベジタリアンの概念がガラリと変わりました。

安田 肉を食べないとかではなく、食べたい物を食べるのがベジタリアンなんですが、結果的に肉を食べるとイキイキとしないんです。

伊沢 それは体調の問題で?

安田 そうではありません。僕が言う「肉」というのは、現代社会で流通する工場畜産の、動物の命を尊重せずに出回っている肉を指します。自分が山でとってきた肉はいいと思うんです。

伊沢 「フード・インク」などの映画でも描かれたように、肉が工業製品みたいになってますね。

安田 肉だけでなく野菜もそうですが、命というものを全く考えずに食べることに違和感があります。そういう意味で、今の世の中に出回っている肉を食べることはイキイキとしていないし、精神的に気持ち悪い感じがするんです。

伊沢 ベジタリアンの意味が野菜のベジタブルではないというのが、すごく理解できます。

安田 子供の頃、大人に「命を大事にしなさい。命に重い軽いはない」と教えられましたが、だったら牛や豚をどんどん殺して食べることはいいのかと、そこに僕は矛盾を感じていました。

「栄養が大事だ」とか、「牛は食べられるために生まれてきたんだから感謝して食べればいい」という大人たちの話に疑問を感じていたのですが、それを押し殺していたわけです。

いのしし(画/安田陽介)

安田 僕が20代後半のとき貧乏な大学院生で、経済的理由で肉を食べられなくて山の草をとって食べていたことがありました。必要に迫られた菜食体験だったのですが、やってみてベジタリアンっていいなと思いました。それまでの疑問も解消されるし、体調もいい。

伊沢 プロレスラーでもベジタリアンの人がいるから、肉を食べないと力が出ないというのは違うんでしょうね。

安田 江戸時代の人だって肉を食べずに元気にやっていました。

伊沢 昔は年に1、2度くらいしか肉が食べられなくてもちゃんと生きていた。だから西洋科学で、これだけの栄養素が必要だと聞いても、案外嘘ではないかと思うんです。旨いから食べてるけど。

安田 歴史を学んできて思うのは、現代ほど肉を絶対食べなくちゃいけないと言っている時代は過去になかったということです。もともと人間は肉も食べていたにせよ、基本は植物食なんですよね。