ベジタリアンと縄文人の平和な生き方とは?

フルータリアンって?

伊沢 フルーツを中心に食べるフルータリアンにも憧れ、実践していたときがあったんですよね?

安田 昔インドを旅したとき、体調を崩して普通の食事ができなかったんです。かろうじて果物は大丈夫だったので、マンゴーやオレンジなどばかり食べていたらすごく元気になって。帰国してもこの習慣を続けたかったけど、日本では経済的に無理やった(笑)。

伊沢 ほんとに日本のフルーツは値段が高いからね。

安田 それで挫折しましたが、経験してみて良さがわかりました。世間ではベジタリアンに対して「動物も植物も同じ命なのだから、植物だって食べるのはかわいそうじゃないか」という批判もあるんです。

それを克服したのがフルータリアンです。果物は植物が作って自ら離して地面に落とすでしょう。その落ちたものをもらうので。

伊沢 というか、果物は子孫を残すためのものだよね。

安田 つまり、植物本体の命は奪っていないですよね。だからフルータリアンは、命を奪う機会をなるべく減らすという意味でいいかなと思っています。

伊沢 食べるのは奪うことだけど、そのぶん命を返せばプラスマイナスゼロで良いだろうというのが私の基本的な考え方です。でも、食べたいだけ食べてもいいとは思わないし、やっぱり生き物の命はなるべく奪いたくない。

山村の土蔵(画/安田陽介)

伊沢 たとえばガンディーは、食べることは罪だからと最低限しか食べなかった。でも実際に取材でガンディーの下で生活体験した人の話によれば、味つけはごく薄い塩味だけで食べる量も少なくて、食事が苦行だったって。

そんな苦しい思いをするんだったら、そこそこ食べて、命を返すことをしっかりすればいいじゃないかというのが糞土思想です。

安田 伊沢さんはそうですよね。でも世間の人は、食べたいだけ食べて何が悪いんだっていうふうに見るじゃないですか。

伊沢 安田さんは、他のみんなにもベジタリアンをやってほしいと思いますか?

安田 増えたらいいなと思います。でも僕の普段のノグソ達成率が90%なのと同じで、完全を目指さなくてもいいと思うのです。ベジタリアンになったから一切肉を食べてはいけないというのではなく、肉を食べない日を週に1日や3日だけ作るとか、ちょっとずつでいいと思います。

食べる食べないの問題より、自分が食べているものが何なのかを認識して、命の本質を見つめる行為が大事だと思います。

伊沢 最後は教育に行き着くと思うんですよ。命の元の食べ物がどのようにして生まれ、そして食べて出した後どうなっていくかなど、命の流れをしっかり教えないといけないなって。

安田 人に対して「やりなさい」と説教がましく言わなくても、その人の心に少しでもひっかかっていたら、いつかその人が何かのきっかけでやるかもしれない。僕がかつて肉食に疑問を抱きながらも肉を食べ続けていて、貧乏が理由でベジタリアンになったように。

だからあまり性急には思っていません。伊沢さんは性急なんですよ、なんとか糞土思想を広げようとして。

伊沢 ははは。だって孤軍糞闘だからね。ベジタリアンは世界中にいっぱいいるけど、糞土師は私1人だけだしいつ死ぬかわからないし。『くう・ねる・のぐそ』だって、それまでノグソを35年してきて蓄積した経験や知識を、自分が死んだら消えちゃうと思って書いたんです。とにかく本にして残しておかないと。