火葬されるのはイヤだ
伊沢 縄文人の死生観はどうだったのでしょうか。「対談ふんだん」では、現代のネガティブな死生観とは別の「しあわせな死」を見つけたいという目的があります。
安田 ひとつ言えるのは、循環です。縄文人には魂が帰ってくるという観念があったと思います。お墓に屈葬した理由は諸説あるんですが、胎児の姿に戻してあの世へ送っていたという説もあります。再び生まれて戻ってこられるように。
伊沢 そういう発想もあるんだ。
安田 縄文人じゃないですが、アイヌに熊送りの儀式がありますよね。熊を殺してあの世へ送って、また肉をいっぱいつけて戻ってきてほしいという。だから、死んだら戻って来るという考え方が縄文人にあったと思いますね。伊沢さんは、死ぬときはどうやって死にたいですか?
伊沢 山に入って野垂れ死にしたいです。
安田 ああ、僕も同じです。火葬だけはイヤ。
伊沢 同じですね。
安田 ウンコと同じで、自然に帰せるものを帰さないで燃やして灰にしないでほしいんです。自然に帰りたい。他の動物に僕の体を食べてもらうのもいいです。食べてもらったら他の生き物の命になるじゃないですか。そしたら僕の命が受け継がれていくわけですよね。
伊沢 だから循環なんだよね。安田さんは、そういうことをノグソをする前から考えていたんですか?
安田 はい。その考え方が先にあったので、伊沢さんの本に出会ったときに、「これだ!」と思って。僕の考えていたことをまさに実践されていたので。
ずっとマイノリティーの立場でいたい
安田 ベジタリアンになって一番良かったのは、今の肉食社会だとマイノリティーになるんです。レストランで食べられるものを探すのも不便だし。でもその不便さを味わうことで、世の中には身体障害者やお年寄りや在日外国人のような弱い立場の人がいっぱいいることをいつも思い出せるんです。
優越な多数派のほうに自分が属していると、気づかないことがいっぱいあるし、人への思いやりの気持ちも持てないんですよね。
伊沢 本当にそうですね。私はケータイすら持っていないからよくわかります。私が写真家だったときは、写真家っていい仕事ですねとよく言われていたのに、糞土師になって一気に批判だらけ。
こんなに素晴らしいものがなぜわかってもらえないのかと、すごいショックだった。ベジタリアンの比じゃない、はるかにひどい被差別民ですよ。
安田 ひねくれてるわけじゃないんですが、多数派のほうにはいきたくないんですよね。
伊沢 そうなんだよ。私の場合は、この人は付きあうだけの価値がある人なのかと判断するときに、唯一最大のポイントが自分を否定できるかどうか。
メジャーな世界にいてふんぞり返っているとわからないけど、マイナーな世界に身を置くと常に批判されるし、常に自分のことを見つめて、これでいいのかなって否定や反省をする。
たとえば研究者でも、一流の人って今の自分を否定できるから伸びられる。中途半端な人はなんとか屁理屈つけて自分を偉そうに見せて、ここはまだわかっていないんだということすらわからない。
安田 いや、なるほど。
伊沢 一流の人ほど「私はわかりません」ってはっきり言える。そして、挫折したことがある人ほど魅力があるよね。挫折しっぱなしじゃしょうがないけど、そこをなんとか乗り越えて今生きているという人が魅力がある。
安田 すごく貧乏したか、大きな病気をしたか、大事な人をなくしたか、どれかを経験しないとダメだと言われたことがありますね。そういう経験をしている人は弱さを知っているし、強いと。
伊沢 確かにそうですね。これからもマイノリティーの糞土師でいたいと思います。
安田 マイノリティーでいるほうが断然面白いですね。
<了>
(構成・写真/大西夏奈子)