「地球永住計画」に学ぶ、足もとに広がる地球の奇跡的な素晴らしさ

人間だけが生態系の繋がりから外れている

――「地球永住計画はGJ未来編である」と関野さんは仰っていますが、どういう意味でしょうか。

関野 最初のGJはアフリカを出て南米最南端まで行く人々の旅路で、新GJは日本列島へやってきた人々のルートを辿る旅でした。

ゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々はどこへ行くのか」をやっていたわけですが、メインテーマは「どこから来たのか」のほう。僕が猿の研究者と話したり、先住民や少数民族と付き合ってきたのは、我々は何者なのかを知るためでした。

関野 だから今度は、「我々はこれからどこへ行くのか」を、地球永住計画でやりたいと思ったんです。中でも重要なのが子どもたちへの教育で、地球永住計画では教室を出て、野外で遊んだり学ぶ活動も行っています。

地球永住計画のサブタイトルは「この星に生き続けるための物語」で、どうしたらこのかけがえのない地球で生きていけるのか。でも主語がないんです。何だと思いますか?

伊沢 人間ではないのですか?

関野 みんなそう思うのですが、主語はすべての生き物なんです。玉川上水を調べる理由は、狸や虫の視点で我々を見たらどうなるかを知るためです。玉川上水に生息する鳥や虫や動物などが、どう繋がりあっているのかを調べるんです。

たとえば糞虫を観察してみると、自分の体よりはるかに大きなウンコをあっという間に分解してしまう。シデムシは他の生き物の死体を食べている。みんな本当に頑張っているんだなあって見えてくるんです。

それ以上に、みんな繋がっていることが見えてくる。動物学者がまずやることはウンコを洗うことで、ゴリラ学者の山際寿一さんは「何トンのウンコを洗ったかわからない」と仰っていました。

伊沢 ウンコを見れば何を食べているかわかるんですね。

関野 玉川上水の狸のウンコには種も含まれていて、ウンコを栄養にしてケヤキやナラの芽が出てくる。狸は食べて出すことで自然に返しているわけですね。昆虫がいればカエルが来て、ヘビが来て、鳥が来て、みんな繋がっている。その視点で人間社会を見ると、人間だけ離れているんですよ。何の役にも立っていない。

伊沢 そう思います。

関野 人間は食べ物も全て自然からもらって世話になっているのに、人間は自然のために何をしているか? エコのためにゴミの分別をしているとか、再生可能エネルギーを使っているとかは、虫や鳥などにとって何の意味もない。むしろ風車が羽に当たると痛いくらい(笑)。

要するに人間は自然を必要としているが、自然は人間を必要としていない。そこでGJ未来編で考えたいのは、いかに自然に近づくかです。その答えを、伊沢さんはノグソに見出しています。

僕もアマゾンではノグソばかりしていたんですが……ほとんど犬に食べられちゃいましたけど。その犬もノグソをするので最終的には大地に戻りますね。

伊沢 ノグソを人間社会に広めようとしても、どうしても批判が多いので、ついつい闘いという意識になってしまうのですが、私も教育が一番大事だと思います。子どもたちは柔軟だし、ウンコも面白がるし。

そこで今日は関野さんにお願いがあります。地球永住計画の中に、糞土思想を取り入れていただきたいんです。去年11月に姫路の小学3年生のクラスで2時間のウンコ授業をさせてもらったら、子どもたちの食いつきがすごくて熱狂授業になったんです。

ウンコは子どもにはむしろ良い教材だなと実感して、地球永住計画のパンフレットに「地球永住がっこう」を見つけたときに、ここが俺の居場所だ!と思ったんです。

関野 地球永住がっこうでは、今までも色々な講座をやっているんですよ。

伊沢 まずは葉っぱノグソの野外講座をやりたいんです。講演会でよく言われるのが、「枯葉はもろくて破れやすく、冬は無理でしょう」。でもそれは完全に乾いた状態です。雪や雨や夜露で湿ればしっとりして、生の青葉より拭き心地が良いんです。たった1枚の葉っぱでこれまでの常識を吹っ飛ばし、自然の奥深さも学べるんですよ。

雪をかぶったホトトギスの枯葉(写真提供:伊沢正名)

関野 水ではいけないんですか?

伊沢 いや、私も仕上げに水を少し使います。紙をやめて自然素材で、ということなんです。そしてある程度期間を空けてからノグソ跡掘り返し調査をすれば、間違いなく命と自然への畏敬の念が湧いてきます。

関野 ぜひ地球永住がっこうでやりましょう。

伊沢 嬉しいです、どうもありがとうございました。

<了>

(構成・対談写真/大西夏奈子)