知識より、自分の感覚を信じよ。

1000万トンのウンコが、コンクリートに

伊沢 『土中環境』では、土の中で水と空気が循環することで、良い土壌環境が作られると書かれています。水の重要性について、かなりの分量が割かれていたことに、個人的には驚きました。

高田 水は人間でいう血液と同じで、水分だけでなく空気も運びます。水の循環は森が気持ちよく呼吸するために不可欠な存在なのです。

森林の表層土壌で形成される水脈ラインのイメージ図(『土中環境』より)。

 もっと言ってしまえば、水は生命の根源。人間は遺伝子を組み替えたりクローンを作ったりすることはできても、生命そのものを作り出すことはできません。水には、それができる。「水には、人間にはない力がある」と素直に認めて、大切に汚さずに使うという姿勢を持ちたいものですよね。

伊沢 マタギやアイヌ伝統の話を聞くと、水がいかに神聖なものとして扱われてきたかわかります。マタギは狩りで山に入ると川の傍に小屋を建てるけれど、便所だけはわざわざ川から離して作るし、アイヌの人も川にオシッコなんてしない。昔の人は水の偉大さを感覚的にわかっていて、それを守るために、水を神聖なものと位置付けてきたのでしょうね。

高田 興味深い話があるんです。埼玉県の秩父の山中にある三峯神社に、江戸時代の築地の漁師たちが魚を納めていた記録があって。築地の漁師は、秩父の山々が東京湾の魚を育んでいること、全ての生命が巡っていることを、経験的に知っていた。だからこそ、山を守っている人たちへのお礼として、魚を持っていったのではと。

伊沢 それは面白いお話ですね。一方でいまの土木工事では、人間の都合ばかり考えて、何でもかんでもコンクリートで固めてしまう。冒頭でも、山の傾斜地をコンクリートで固めたことで水脈が遮断され、山全体が荒れ果ててしまったというお話がありました。私はコンクリートこそが、環境を壊す元凶だと思うのですが、高田さんはどうお考えですか?

高田 伊沢さんの言う通り、いまの土木工事には、「土地を育てよう」とか「自然を総体的に見よう」といった視点が、完全に抜け落ちています。川が氾濫すれば、川幅を広げて両脇をコンクリートで固めてしまえ、と。自然を「コントロールする対象」としか捉えておらず、これは本当になんとかしなければいけない。

 驚きのデータもあるんです。実は、日本の土地に使われているコンクリートの量は、アメリカ全土のなんと32倍。

伊沢 え、そんなに?! それは驚きですね。

高田 ただ、コンクリート自体が絶対的な悪者かというと、そうでもないんです。たとえば亀裂の入ったコンクリートブロックの上に土を置いて、落ち葉をかぶせて、しっとりと雨が降るような環境に置けば、コンクリートは美しい苔に覆われてきます。どちらかというと、コンクリートそのものより、人間の使い方に問題があるんです。

 実際に昭和初期までは、粗朶(そだ)や粘土とコンクリートを組み合わせて河川堰堤を作り、環境を大きく破壊しない形で、川の水量を調整していた技術がありました。まさに、昔からの知恵と現代の技術を調和させた方法です。

伊沢 なるほど、コンクリートも使う側の姿勢次第では、自然と調和し得ると。ただ、トイレに流されたウンコは、今では燃やされて灰になって、最後はコンクリートの原料として固められているんです。ウンコの元は食べられた生き物ですから、人間はウンコを通して、生き物をコンクリートに変えていることになる。

 つまり人間はウンコをトイレに流すことで、生命の循環を止めるどころか、抹殺しているんですよね。ウンコを作るための膨大な量の生き物が、コンクリートに固められてしまう。これはやはり、とんでもない大問題です。

ダーチャフィールドに設置された、バイオトイレ。微生物などが分解することで、ウンコを自然に還せる。土の通気性を良くし、炭ともみ殻を撒くことで、ニオイもしないしハエも湧かない。

高田 ウンコを土に還さない限り、人間は生き物を一方的に搾取しているだけということですね。

伊沢 そうなんです。人間が1日に、どれくらいの量のウンコをするか、ご存知ですか? 実は35日間連続で、自分のウンコを毎日計測したのですが、平均すると240~250gでした。

高田 すごい、考えたこともありませんでした。どうやって量ったんですか?

伊沢 大きなホオノキの葉っぱに野糞して、持って行った秤に載せて量りました(笑)。1日240gなら、1年間で80キロ以上。自分の体重以上のウンコを、1年間で出しているんです。日本の人口で考えれば、1年間で日本人が出すウンコの総量は、約1000万トン。この命の元である1000万トンのウンコを、私たちは一生懸命燃やして、コンクリートにしているわけです。こんなことをやっていたら、どうしようもないだろうと。

せっかくなので、バイオトイレの前で記念撮影。