環境問題は善悪より責任

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判断基準は善悪より責任

伊沢 私が糞土思想で訴え続けているのは「責任」についてなんです。善悪で物事を考えていたら絶対解決しないと思うから。良いか悪いかは、実はその人の個人的な好みでしかない。だから私は善悪で判断するのをやめて、いかに責任を果たすかを考えるようにしています。

人類の文明の発展も、ずっと良いことをやろうとしてきた。しかしそれは人間にとってだけ都合の良いことで、自然にとっては悪いことも多い。それをもういい加減やめたくて、私は良識や人権さえも批判するんです。人間だけの利益にしかならない価値観から離れて、考え直してみようと訴えたいんです。

今井 私は、今の人間社会はそこまではいけないと思います。そういえば私の祖父は子供の頃、味噌などを買いに行くとき小さな器を持って行って、量り売りしてもらったそうです。家の器だけで買い物ができた時代が羨ましいです。

伊沢 以前はそれが普通だったんですね。しかし現代社会は、何かあったときに責任を取らされるのが嫌なんですよね。食べ物屋さんは味の良さを気にしますが、何より怖いのは食中毒。だから添加物を入れたりパックで包んで菌が入らないようにする。量り売りだと雑菌が入ったらと不安になると思うんです。今はクレーマーがすぐ文句を言う風潮があまりにも強すぎて。

今井 その責任は個人と企業、どちらにあるのでしょうか?

伊沢 両方がそれぞれ責任を持っていると思います。大事なのは、むしろ傷んだかどうかを自分で判断できること。たとえば匂いで判断できるのに、今の社会では匂いが悪者になっていて、体臭さえ嫌われますよね。その反面、変な香料をガンガン使って香害を引き起こしたりして、人間社会全体がおかしくなっていますね。

今井 「ノー」ではなく「イエス」の声を集めることによって、企業が動くかもしれないという考え方もあります。クレーマーは「ノー」を訴えますが、「こうしてほしい。こうしたらもっと企業イメージがよくなるよ」と提案を伝えたら、企業が動いたという実績があるんです。

例えばアメリカでは学生がある企業に対してお客様アンケートで「イエス」の声を書いて集めて届ける提言活動を積極的にやるそうです。プラスチックの過剰包装問題にしても、不必要だという声を私たちが届けないから企業は消費者の考えを知らないままで、不安になってしまうというのはあると思います。

伊沢 それを広げていくしかないですよね。それが基本だと思います。

今井 私はFFFを通じて神戸市の議員の方と直に話す機会があるのですが、話のベースが資本主義や権力という内容になりがちです。例えば正義という言葉を出すことはありますが、気候変動に取り組むことが正義であっても、野党が反対していたら与党は違う考えを持たないといけないとか。

正義や責任と離れたところで物事が進んでいくのが現実で、それは悲しくなります。でもコミュニケーションを続けていくためには、そういう文脈で話さないと突破口が開かなかったりもします。糞土思想から学べたことは色々あるのですが、行政を動かす言語という意味では、善悪や正義は欠かせないかなとも感じています。

伊沢 一気に変えるのは難しいですよね。でも今の行政には責任という概念が抜けていると思うんです。まだ善悪で終わっている。だから善悪の先に責任があるということを知ってもらいたくて、わかりやすく身近なウンコで理解してもらおうと活動しているわけなんです。今日は今井さんと、このような形でお話できて嬉しかったです。

今井 今日は勉強になりました。京都までお越しくださり貴重な機会をありがとうございました。

(了)

(構成・写真/大西夏奈子)