「土葬社会」が動き出す(前編)

埋葬方法として火葬がほぼ100%を占め、土葬は選択肢としてほとんど存在しない日本。自然の摂理に沿って遺体を土に還す土葬は、なぜここまで遠ざけられてきたのでしょう。気軽に土葬を選べる社会は、どうしたらつくれるのでしょうか。

糞土師として命を土に還す思想を実践してきた伊沢正名さん、環境再生の専門家である高田宏臣さん、そして土葬を実現するために出家して僧侶となった山田善杜さんが集い、土葬の価値や、本来の弔いのあり方を根本から問い直します(前編)。

誰でも土葬が実現できる?

伊沢 食べて奪った命を自然に返そうと、私は半世紀にわたって野糞を続けてきました。そして数年前から自分自身の死に向き合う中で、この肉体も自然の摂理に沿って土に還す決意を固めました。しかし今現在の日本では火葬がほぼ100%で、土葬は極めて難しい事態に陥っています。

私の理想は野垂れ死にですが、それは違法な死体遺棄になり、見つかれば回収されて火葬されてしまいます。だから合法的に確実に土に還るために、条例に沿ってプープランドの一画に土葬墓地の認定を受けようと半年間頑張りました。ところがその条例にはとんでもない規定があり、まともに土に還れないことが分かったのです。

だから墓地の認定は諦めて、たとえ違法であってもプープランドに土葬される事を決めたんです。でも、回収や火葬などされないように、「私を火葬しようものなら呪い殺すぞ」と呪いの遺書を書くことにしました。

しかしそれは私個人の企てであり、糞土思想が目指す人と自然の共生社会をつくることにはなりません。望めば誰でも土葬できるような、合法的な方法が必要です。

だから今回の対談ふんだんでは、環境再生の観点から土葬の価値を確かめ、土葬が身近な埋葬の選択肢になる社会をどう実現できるのか、具体的な道筋を立てたい。そう考えて、環境改善における土葬の有用性を調査してきた高田宏臣さんと、土葬墓地を開きたいと自ら出家し尼さんになった山田善杜さんとの鼎談を企画しました。

この鼎談のきっかけとなったのは、実は善杜さんの一言です。土葬墓地を確保するにはお寺として認定申請するのが有利なのですが、善杜さんが、一般人が自ら僧侶となり、土葬墓地を実現する可能性を示唆してくれました。

善杜 鼎談のきっかけになれたとは嬉しいです。私は6年前に一般家庭から出家し、浄土真宗西本願寺派の僧侶になりました。意外と知られていないのですが、浄土真宗西本願寺派の僧侶には、講座を受け得度資格を取得してから10日間京都で修行すれば、一般人でもなることができます。

私が僧侶になった最大の理由は、一人の「死の時間」をもっと有意義なものにしたかったからです。現在の葬儀のやり方では、本人も遺族も友人も「死」の意味を味わう間もなく、形式の中で「死」が流されていきます。その現状に強い違和感がありました。

事前に「死」と向き合う機会があることで、葬儀は人生観や意志を継承する場へと変わる。「死は最大の愛のメッセージ」であり、「土葬はイノチのつながりを体感できる埋葬の形」だと考えています。

僧侶となることで、土葬の実践を含め、私が理想とする生と死の在り方を社会に提案できると考えました。

伊沢さんが出演している映画『うんこと死体の復権』を観に行き、この構想を伊沢さんにお話ししたところ、伊沢さんが「それだ!」と飛びついてくれましたね。

山田善杜(やまだ・ぜんと) 福井県大森山善性寺、浄土真宗西本願寺派僧侶。10代より自然やイノチの循環に関心を持ち、人も他のイノチと共に土に還る存在だと感じてきた。宗教現場6年でお経への関心の薄さを感じ、今必要なのは人のぬくもりだと確信。土葬墓地実現とイノチの循環継承を目的に「地球家族祈りの会」を立ち上げ、血縁を越えて最期を見送り、イノチをつなぐ仲間を募集中。

伊沢 まさに願ったり叶ったりのアイデアをもらえました。これは、善杜さん個人が土葬墓地を開くという話だけではなく、土葬という選択肢を社会に浸透させるためにも非常に有用なやり方なんですよね。

善杜 ええ。まさに今全国で「空き寺」が問題になっています。浄土真宗だけでも、全国におよそ2万箇所も住職がいない寺があるそうで、どこも後継者探しに悩んでいます。そこで土葬希望者が出家して空き寺を継げば、全国に土葬墓地を広げられると、話が盛り上がりました。

伊沢 そのアイデアをもとにして、この鼎談を手始めに、土葬社会を実現する動きを本格的に始めたいんです。ですがその前に、土葬にまつわるさまざまな誤解を解く必要があると考えています。

まず、土葬は法律で禁止されていると思っている人が大勢いますが、合法です。講演会で参加者に問いかけると、大体7、8割の人が土葬は違法だと勘違いしています。厚生労働省によれば、2021年の土葬件数は462件だったそうです。

実際私の住む茨城県の桜川市でも数年前に、あるお寺の先代が土葬で葬られているし、1991年には私自身も墓穴掘りから棺桶担ぎ、そして土葬まで経験しています。

もう一つの重大な誤解は、土葬は不衛生であるとの捉え方。「死体を埋めたら周りの環境が汚染されるのでは」「腐臭がするのでは」など、衛生面でさまざまな批判がなされています。

ですが、土葬そのものが不衛生なわけではなく、正しいやり方で土葬すれば、不衛生どころか環境再生に大きく貢献できるのです。

水源近くに遺体を埋める理由

伊沢 高田さんは土壌の健全化や環境再生の専門家ですが、その高田さんが土葬に強い関心を持ち、土葬風葬研究会を立ち上げ各地で調査していると聞いて、非常に心強く感じています。土葬にまつわる誤解を解くために、環境再生の観点から土葬の素晴らしさを教えてください。

高田 土葬は、今となってはかなり少数派の埋葬方法になりましたが、実は日本でも近代までは極めて一般的な埋葬方法でした。

たとえば沖縄では長い間、土葬や風葬(遺体を風雨や自然の力にさらして風化・分解させる葬送方法)の風習がありました。風葬では洞窟に遺体を入れて、石積みで入り口を塞ぐ。すると3〜4年ほどで遺体は風化して、骨だけになります。その骨を洗い清めてから納骨する「洗骨」という風習も存在しています。

高田宏臣(たかだ・ひろおみ)国内外で造園・土木設計施工、環境再生に従事。土中環境の健全化、水と空気の健全な循環の視点から、住宅地、里山、奥山、保安林等の環境改善と再生の手法を提案、指導。大地の通気浸透性に配慮した伝統的な暮らしの知恵や土木造作の意義を広めている。主な著書に『土中環境』(建築資料研究社)。

私自身、沖縄の土葬墓や風葬墓を見て回ったのですが、その配置を見ると非常によく考えられていることがわかります。というのも、沖縄では崖の下に集落の水場があることが多いのですが、その水源付近に、土葬墓や風葬墓が配置されているんです。

どういうことかというと、土葬・風葬墓があると、遺体の養分を求めてガジュマルなどの木が寄ってきて、大きく育っていきます。その結果、土葬墓の周りはやがて森になり、その森が水を蓄え、集落を支えてくれる。だから、わざわざ水源付近に墓地を作るのです。

伊沢 土葬や風葬は、単に死体を処理するためと捉えられていたのではなく、土や森を豊かにし、人々の暮らしを支える循環の一部として営まれていたということですね。

高田 ええ。現代の感覚では、水源の近くに遺体を埋めるなんて不衛生でありえない、と思うかもしれません。ですが日本本土の中世の土葬墓跡を調査すると、同じような傾向が見られます。

当時は遺体を埋める「埋め墓」と、お参り用の「詣り墓」をつくる慣習があったのですが、「埋め墓」は、集落の水源付近の山域にあり、その麓には生活に使う水場(井戸や湧水)が置かれているケースが複数あります。山頂に遺体を埋め、木々を育むことで、良い水を生み出せる実感を人々が持っていたのでしょう。

実際に私も、通常は大木にならないツツジなどが、土葬墓付近では巨木に育っているのを見たことがあります。土葬墓地には、それほど木、森、水を育てる力があるのです。

中世の土葬墓(両墓)の配置 高田さん提供

もちろん、現代の人間の都合で土葬墓地を無秩序に増やせば、微生物の分解能力を超えて、環境を汚染する可能性はあります。しかし、遺体を土に還すことを前提に設計された土葬であれば、遺体の分解は負荷ではなく、むしろ土地を育て、自然を再生する力になると考えています。

伊沢 環境再生の観点で、土葬が持つ価値がよくわかりました。その一方で、これまでほとんど議論されてこなかったのが、現在の日本で当たり前になっている火葬が、環境に与える悪影響についてです。

自治体(火葬場)の資料では、遺体一つを火葬するのに、灯油を40~60リットル燃やしているとされています。しかもこの日本では年間160万人も亡くなり、そのほとんどが火葬されているんです。そして火葬は1件あたり150〜250kg程度の二酸化炭素を排出すると推定されていますから、地球温暖化に悪影響を及ぼしているはずです。

この数字を見れば、遺体を燃やさずに埋める土葬が、温暖化を食い止める意味でもいかに優れているかが分かります。

高田 本当にそうですね。ただ、土葬であれば何でもいいというわけではありません。命をきちんと土に還すためには、遺体の分解が進みやすい方法を選ぶ必要があります。

まず大切なのは、深く埋めすぎないこと。「遺体は深く埋めるもの」と思われがちですが、深く埋めると土の中で酸素が不足し、分解が進まなくなります。しかも地中の深いところは、微生物の数も少ない。その結果、腐敗が起きて不衛生な状態になってしまう。

一方で地表に近い場所に埋めれば、空気があり、微生物がもっとも活発に働くため、分解はスムーズに進みます。

伊沢 私の地元の桜川市の現在の条例では、墓地は水源や飲用井戸から200メートル以上離す、土葬では遺体は2メートル以上深く埋める、といったことが定められています。これは、死体を汚染物質と考えているからこその発想で、事実に反して全く科学的ではないということですね。

高田 ええ。2メートルも掘ってしまえば、死体を分解できる微生物はほとんどいないのではないでしょうか。

さらに、微生物が過ごしやすい素材で遺体を包むこと。たとえば麻は空気も水も通しやすいため微生物の分解を助けますし、時間とともに土に還る素材です。

そして埋葬後は軽く土を盛り、「土まんじゅう」のような形にします。盛り土にすることで水はけがよくなり、雨水が溜まらない。これも、分解を妨げず、衛生的な状態を保つための大事な工夫です。

“コスパ重視”の葬式でいいのか

善杜 高田さんのお話を聞いて、土葬が自然を再生する仕組みとして、非常に理にかなっていることがよくわかりました。そのうえで私が強く感じているのは、土葬には、私たち人間をどう弔うかという意味でも、大きな意義があるということです。

一般的な火葬では、遺体は高温の火葬炉で焼かれて1時間足らずで骨になります。そして遺骨はコンクリートで囲まれた、まるで“牢屋”のような墓の中に置かれ、何十年も閉じ込められたままです。

長い時間を生きて、たくさんの人たちに愛されてきた人の人生が、こんなにあっという間に終わっていいのか。火葬の様子を見ると、とても悔しい気持ちになります。

プープランドにて。

実際に「墓じまい」の現場に立ち会ったこともあります。何十年も経過してコンクリートの中でポツンと残る遺骨の姿に強い違和感を感じました。

一方で土葬では、人間のイノチは、ゆっくりと大いなる一つのイノチの世界に戻ります。見えないそのイノチの循環こそが尊く、思わず手を合わせたくなる祈りの対象だと感じます。

そして土葬では、遺体は土と一体化し、いずれはお墓そのものも姿を消します。他のイノチたちとつながることで、亡くなった方の恨みや寂しさなどの想念も解き放たれる。土葬が一般化すれば、「お墓は怖い場所」という感覚も薄まるのではないでしょうか。

高田 私の母はもう80代なので、いつ亡くなってもおかしくない年齢なのですが、どうしても母を火葬にはしたくないという気持ちがあります。

自分の大切な人が、あの無機質な火葬炉の中で、あっという間に灰にされてしまう。しかも1日に何件も、同じように淡々と処理されていくわけですよね。その光景をどうしても受け入れられないんです。

善杜 その感覚、すごく良くわかります。そういった感覚を持つ人は、増えていると感じていて。たとえばここ数年、「樹木葬」の問い合わせがかなり多いそうなんです。

一般的に言われる樹木葬は、墓石の代わりに樹木や花を植え、その周囲に遺骨を埋葬する形式なので、土葬そのものとは異なります。それでも多くの人が惹かれているのは、肉体や魂を石やコンクリートに閉じ込めるのではなく、自然の中に還りたいという本能的感覚なのだと思います。

伊沢 結局、いまの弔いは“コストパフォーマンス”の発想に引っぱられているのでしょうね。どれだけ短時間で処理できるか、どれだけ手間を減らせるか、どれだけ管理しやすいか。そこに最適化されてしまっている。全て現在の合理主義の発想です。

ですが自然の中の死は、もっと長い時間軸で営まれています。遺体が自然の摂理で土に還るのにかかる時間とその過程こそ、人の弔いという意味でも価値があるのかもしれません。

前編では、土葬の価値を環境再生と人の弔いのあり方という観点で深掘りしてきました。続く後編では、土葬としあわせな死のつながりや、具体的な土葬墓地の実現方法について、より踏み込んだ議論をしていきたいと思います。

〈後編に続く〉

(執筆・撮影:金井明日香)