新たなコスモロジーが世界を救う(後編)

高世仁(ジャーナリスト)× 伊沢正名(糞土師)

中編に続き、ジャーナリストの高世仁さんと「新たなコスモロジー」をテーマに対談を行いました。

日本人のあり方を問いたい

伊沢 ガンジーの一番強い武器は「非暴力」の思想ですが、私の最強の武器はウンコです。高世さんの最も強い武器は何ですか?

高世 そういう意味でいうと、気づきをうながす、ということでしょうか。気づきというのは、ふだんは当たり前と思っていて見過しているけど、あらためて指摘されると「え、そうだったのか!」と目が開かれる、そういう体験を指しています。例えば最近ウクライナに取材に行ったんですが、その報告を通して、いかに日本人の考え方が利己的になっているか気づいてもらおうとしたんです。ウクライナのロシアへの抵抗戦争について話すと、返ってくる答えが多くは「日本に生まれて良かった」というものなんです。つまり、私じゃなくてよかった、なんです。

伊沢 他人事なんですね。

高世 そうなんです。まるで友人が癌になったと聞いて、まず同情するんじゃなくて、「私じゃなくてよかった。」みたいな感じなんですよ。さらに日本人に多いのは、ロシアのような強い国と戦ってもどうせ負けるんだ。人がどんどん死ぬだけなんだから、早く降参したほうがいいという考えです。何故かと言えば、「命ほど尊いものがない」からです。

(ウクライナ取材中の高世さん。 写真:高世さん提供)

(ロシア軍が3カ月占拠した町を解放したあとに発見された集団墓地。約500人の住民の遺体が埋蔵されていた。 写真:高世さん提供)

伊沢 命が尊いと思っているのは私だって同じだけど、「人は生きているだけで価値がある」という人権派好みの言葉。あれが嫌いなんですよ、私は。

高世 今の日本人のエゴイズムからいえば、「命が大事だ」っていう意味は、つまり自分、「私」が死にたくないだけなんですよ。ウクライナの人が戦っているのは、同胞と、これから生まれてくる子どもたちの命のために戦っているわけです。彼らが命を粗末にしているわけじゃないんですよ。

伊沢 そうそう、逆なんですよね。自分の命以上に相手の、他の命を大事にしている。

高世 日本人にとっては、侵略に抵抗するために兵隊に行くことは命を粗末にすることだとされてしまう。そうするとね、ミャンマーや香港など世界中で、理不尽に対して命をかけて戦っている人への共感も、もう、日本人はできなくなっているんじゃないかって思うんですよ。それではリアルな世界を認識できないんじゃないでしょうか。そういうふうに、取材したり、見聞きしたことを材料に、今の日本人のあり方がどうなのかを問いかける、ということをやっています。

伊沢 なるほど。そこで私は、人間にとって一番崇高な行為は何かと考えたら、それは野糞だと答えが出せるんです。自然を生かすために人間が一番できることは野糞じゃないか、と。でも今の日本では、野糞は犯罪扱いされてしまうんです。とんでもないことになっていますよ。

高世 自然の摂理に反する法律は、非倫理的だよね。

伊沢 そうなんです。だからとにかく、法律を破ることも厭わないと思っているわけですよ。野糞は軽犯罪。人の林に勝手に入れば不法侵入。ウンコは廃棄物だから、野糞は廃棄物処理法違反ですからね。それに野外でパンツを脱げば、猥褻物陳列罪か。私は毎日毎日、幾つもの犯罪を犯しているんです。

高世 「政府は貧しい人々の面倒を見るべきか」の問いに同意するかという調査がありました。47カ国中、日本は「同意する」が最低で59%でした。ほとんどの国は賛成者が90%以上ですよ。つまりね、日本人の4割以上は、政府が貧しい人を支援することに反対なんですよ。自分自身が助けないだけじゃなくて、公的な支援をすることすら拒んでいるんです。

伊沢 ひどいよね。そこまで今の日本人が劣化していたとは知りませんでした。

高世 これはもう、冷酷と言わずして何と言うか。結局こういう考え方で、国のために戦えますか?自分の国に誇りを持てますか?

ちなみに、世界価値観調査(WVS)では、自分の国のために戦えますか、という問いに、日本は世界77カ国中、最低の13%でした。ところがこれを見たある人が、これこそ平和国家日本のあるべき姿だと言うんです。

伊沢 だから良識とか人権派というのが、一体何なんだと思うんですよ。

高世 この調査では、「戦えますか?」と女性にも高齢者にも質問しています。別に銃を持って戦うことだけじゃなく、抵抗するかという意味なんですね。抵抗すらしないってことでしょ。それから「自分の国に誇りをもっているか」という質問でも世界最低。そうするとね、結局これは国のことなんか自分たちは知らないよ、ってことなんです。

伊沢 自分さえ良ければ、なんですよ。こういう国民になっちゃったんですよ。日本人が。これじゃ、ウクライナの人の戦いが分からないはずですよね。香港のだってそうですよ。

高世 そうです。2019年、香港では、若い人が遺書を書いてデモに参加していました。自分の命だけ考えていたら、あんなことできないですよね。やっぱり人のため、もっと大きいもののため、同胞のためにという思いがないと。

伊沢 だから私は死ぬことをどう捉えるか、むしろ自分が死ぬことで全体が良くなるような、「しあわせな死」を探究しているんです。

最近歯がボロボロになって、とうとうしっかり食べられなくなってきました。でも治療はせずに、徐々に食べられなくなればこのまま死に向かうんだ、と感じています。そしてその終わりかたが見えてきたことに、喜びも感じているんです。

野糞を続けて、これまではウンコで命を返すことができたけれど、人生の最後で、自分の死体も返すことをしっかりやるぞ、と。これこそ糞土師としては最高の幸せですね。

人生最後のパフォーマンス

高世 昔の、宗教的なコスモロジーがきちんと身についていた人たちも、みんな死ぬのが怖くなかったはずですよ。死んだらどうなるかちゃんとわかっていたから。伊沢さんは同じですよね。

伊沢 だって死んだ後、どうなるかはっきりしているんです。死体は物質としてはウンコと同じです。だから土に還れば、新たな命に蘇ります。そして人間として思索などをした結果できあがった糞土思想も、本などに書き残せば、それも後の世代にまで伝わるんですよね。全てが循環して、生き続けるんです。

高世 自然の摂理に従うわけですね。

伊沢 循環も他の生き物との繋がりも全部、ウンコで答えが見つかったんです。だから歯の治療などもせず、そのまま死んでいくのに任せたいと思います。

高世 それが本来は自然な死に方ですよね。それを今、そこまで徹底できるのはすごいことです。是非、立派に死んでいただきたいな。こういう死に様があるんだよということを、世の中に見せることにもなりますしね。

伊沢 そうです。人生最後のパフォーマンスです。

高世 素晴らしいですよね。ただ、こういう考え方もありますよ。糞土師の活動を続けるために、その目的のために治療を受けるという考え方はどうでしょうか。

伊沢 糞土思想を通して、自然との共生や命の循環は言葉としては見えたわけです。でも理論だけでは足りません。やはり糞土思想は実践哲学なんです。実践があって初めて本物になります。次は、命に対してもそれを証明したいんです。実践の哲学なんだから、死ぬことを語るんだったら、死ななくちゃいけないわけです。だから死ぬことに対して、何も抵抗をしないし、むしろそこに大きな意義と悦びを見出しているんです。

高世 私たちのコスモロジーでは、死をこう捉えています。私たちは宇宙の一部として、いわば宇宙エネルギーとして生まれている。アインシュタインによれば、物質はエネルギーがむちゃくちゃ凝縮したものです。そして私たちの体が物質でできている限り、私たちも宇宙エネルギーの塊なんですよね。宇宙エネルギーから私たちが生まれて、その一部として、今生きていて、死んでからも宇宙の外に行くわけがないので、宇宙の中にいるはずなんです。エネルギーとして、また残るんですね。

エネルギーの一番典型的なものは光なんです。そうすると、私たちは光の国に戻るという言い方をしても間違いではないと思います。私たちは光の国から来て、光の国に帰っていくんだ、と。

伊沢 まさにそうですね。まるで宗教みたいだけれど。

高世 いや、エネルギー的に言うと事実なんです。私たちはエネルギーでできていて、毎分毎秒、植物が作ってくれた有機物からエネルギーを取り出して生きていて、そのエネルギーはもとをたどれば光合成、太陽からきているわけですし。宇宙が一つである限り、私たちの命を構成しているものはどこにも逃げないんだから、個体として死んだ後も宇宙に戻るだけ。どこかでまた会えるよ、と。

伊沢 だから死ぬことも嬉しいんですよね。私はいかにして土に還るか、考えているんです。本当は林の中で野垂れ死にしたいわけですが、今はお墓に埋めないと、単なる不審死体になってしまいます。だからプープランドの一角に墓地を認定してもらい、そこに私の死体を埋めてもらえたら、違法でもなんでもないんですよ。そこまでが私の最後の闘いかな、と思っています。

実際、火葬に疑問を持っている人はたくさんいます。土葬のみをするイスラム教徒だけじゃなく、やっぱり土葬がいいという人もたくさんいるはずです。

高世 火葬が普及したのは人口が増えすぎて、土葬だと処理しきれなくなったこともあるんでしょうね。

伊沢 私は一回だけ、土葬の墓穴掘りから棺桶担ぎ、埋葬まで全部やったことがあるんです。そのときにだいぶ前に土葬された人の遺体を見ましたが、数十年経ってもまだ頭蓋骨が残っているんですよ。それは深く埋めすぎるからなんです。6尺ほど(1.8m)埋めちゃうから。

高世 土は表面近くのほうがいろんな微生物がたくさんいるので、深く埋めすぎるといけないんですよね。面白いです。

伊沢 そうなんです。だから、「土まんじゅう」のようにちょっと埋めるのが一番いいんですよ。深く埋めるからだめなんです。今でも土葬可能なお墓が幾つかありますよね。でも、しっかり埋めて石碑を建てるらしいです。私はそれは反対なんです。江戸時代ぐらいの土まんじゅう式にしてほしいんですよ。

高世 伊沢さんがやっているように、ウンコと死体に対する概念を変えちゃうと、そのうち土まんじゅうの上で育ったものが一番美味しいと言われるようになって、それがひとつのブランドになったりしてね。そうなったら面白いですね。

伊沢 いや、本当にそうなんですよ。私は以前、山菜のワラビを採るときに、一番よく行ったのが土葬のお墓なんです。地下に埋められた死体からワラビが養分をもらってね、それはもう、太く立派に育っているんです。

高世 それを食べるとまさに循環になりますよね。ウンコが汚いとか、そういった概念も変わってきますよね。

伊沢 その通りです。しかもお墓と聞くとみんな嫌がり、誰も入りこまないから競争相手もいない。でも、草刈りして綺麗にしているから、日当たりもいいんです。しかも地下には栄養がある。太いワラビがどんどん出るんですよ。今ではそんな場所がなくなってしまい、残念です。

人はどう生きるべきか。そして、どう死ねばいいのか

高世 伊沢さんとのお話で驚いたことのひとつに、大腸菌の話がありました。大腸菌があると何故いけないのかと。大腸菌は人間自身が持っているもので、そのお陰で消化がより進んでいるわけです。ところが、ウンコが汚いから大腸菌が悪いという逆の論理で、大腸菌がいけないという話になっちゃってますよね。

伊沢 恩人を悪者にしちゃってるんですよ。蝿も同じですよね。蝿を汚いというけれど、蝿がまず最初にウンコを食べて食分解してくれる。その恩人が蝿じゃないか。それをなんで一生懸命殺しまくるんだよ、と。だから今の衛生観念や知識というのは、いかに狂っているかということですよ。

高世 そもそも、何故ウンコに悪臭がつくようになったのでしょう。人間にとって、ウンコは遠ざけるべきという考えがまずあったということですか。

伊沢 自分のウンコは、自分にとってはカスだから遠ざけてもいいんですよ。そのための悪臭かもしれませんね。もう栄養も取った後だし。ただし、次に別の生き物が、ごちそうとして食べてくれるんです。ハエや糞虫やいろんな獣までがそのウンコを食べて生き、そして彼らがウンコをすれば今度は菌類が食べて……と延々と続いて植物が生育すれば、また動物のごちそうになって自分に戻ってくる。食物連鎖という知識は持っていても、それを生かすことがまるでできていない。それは人間が、自分だけの目先の利益しか考えないからではないでしょうか。

高世 昔、取材でインドネシアのある島に行ったんですが、野糞をしたら豚と犬がついてきて、もう我先にと私のウンコを食べましたね。ごちそうだー!という感じで。ウンコを争って喧嘩までしてました。これはオレの獲物だ、みたいな。

伊沢 そういうのを復活させたいですよね。自然とはこうなっているんだよ。人間だけの都合で考えているから、おかしくなっちゃうんだよ、とね。世間一般の正しさというものが、いかにつまらないものか気づいてもらいたいわけです。そのためには価値観をひっくり返さなくては。そこで一番いい気づきになるのが、ウンコと死じゃないかと思っているんです。

高世 地球を持続可能な状態にもっていくには、最終的には、地球人口を大幅に減らさなければいけないと思います。あまりにも人間が多すぎます。何分の一かにしなきゃ、ね。

ただそのために社会設計が必要だと思うんです。今は子ども世代に養ってもらう、若者が働くことでお年寄りが生きられるというシステムで動いているから、少子高齢化がだめだとされますよね。

人口を減らしても、みんながちゃんと食べていけるんだ、飢えることはないんだと保証される社会の仕組みが必要です。だからやはり、まずはコスモロジーを変えて、こういう社会にしていこうという合意を作っていくことですね。

伊沢 本当にそれを、大至急やらなきゃいけないですね。それからもう一つ、死ぬことの意義をどうしていくかですよね。コスモロジーと死、その二つへの考え方が変われば、全然違うはずです。

高世 やはり伊沢さんは、糞土思想をより広げるために歯を治すことはしないで、そのまま少しずつ弱っていくのをみんなに見てもらって死に向かうのですか。

伊沢 そうです。自然の摂理に沿って死ぬことで、死とは単なる終わりではなく、後々まで続く素晴らしい価値もあるんだよ、と実証しないといけないですから。

高世 それ、土葬だけでも十分じゃないかと思うんですけど。それじゃだめですか。

伊沢 なんでも治療をして、医療を受けて長生きしようというのが、人口爆発の一つの要素だと思うんです。そこを絶たないとだめじゃないかと。まずは自分からね。そして積極的に死を受け容れることの意義も必要じゃないかと考えています。

高世 なるほど、それはすごい。自分自身をパフォーマンスにできること自体が、伊沢さんの強みですね。普通は自分の死をパフォーマンスなんてできないですから。

伊沢 「しあわせな死」というものが見えてきたからできるんですよ。だから、しあわせな死を広めたいんです。

高世 確かに今は、朝から晩まで、アンチエイジングとか、どうやって長生きするかとか、年がら年中そういうことに時間と労力を割いていますよね。テレビも新聞広告も雑誌もみんなそうです。100歳まで生きるのなんだのと。

伊沢 それを蹴飛ばすためには、死んで見せることだと思っているんですよ。

高世 中村哲さんも言っていました。そんなに長生きをして、何をするのかってね。

(洪水を防ぐための堰を、中村さんと共に作る地元の人々。アフガニスタンの工事現場より。 写真:高世さん提供)

(一昨年、中村さんの殺害現場近くにできた中村広場。個人の肖像が掲げられるのは、偶像崇拝を禁じるタリバン政権下ではきわめて異例。 写真:高世さん提供)

伊沢 最終的に中村さんは、銃撃されて亡くなりましたよね。実は私は、あのときに本人はほっとしたんじゃないかと思っているんです。というのは、あれだけのことをアフガンでやるというのはすごい苦労ですよね。苦しみがあったはずです。だからすでにもう、いつ死んでもいいところまで自分を持っていっていたと思います。

高世 伊沢さんも似たような経験をされていますもんね。でも確かに中村さんは、完全に死を覚悟していましたね。他の日本人スタッフをみんな帰国させて、自分だけ残っていました。これはもう、死ぬ覚悟だったと思います。

今から考えると、ああいう劇的な死を迎えたことは、中村さんにさらに注目を集めることになりました。今まで中村さんを知らなかったかなりの人が、こんなすごい人がいたのかと気づくきっかけになりました。

そういう意味で言えば、中村さんも、悲劇的だけれども意味のある死に方だったと言えるかもしれません。まあ、そう言えるのは我々ぐらいかもしれないけれど。

伊沢 でも実際、中村さんは、あれだけのものを残したわけですよね。実際にアフガンの人が、自分たちで水路を作れるようになるところまでもっていきました。目指すところまでやっている。完成したうえで亡くなっているから、中村さんは決して犬死にではないんです。しかもアフガンでは、中村さんの偉大な功績をたたえるナカムラ広場までできているんですよね。

私も同じように、「しあわせな死と糞土思想」をちゃんと書き残し、区切りをつけたうえでいよいよ死んでやるぞ、と思っています。

高世 伊沢さんがそこまで言われるんだったら、私も自分の死をどういうふうに迎えるか、考えなくちゃいけないなあ。

伊沢 そうですね。以前の宗教コスモロジーには「人はどう生きるべきか」という命題があるのですから、新しいコスモロジーには「人はどう死ねばいいのか」というのもあって良いと思います。とにかく私は、しあわせな死を広めたいですね。野糞の次はしあわせな死です。

                        <完>

             ( 写真構成:伊沢正名 /  撮影・編集:小松由佳 )