「かわいい、かわいそう」の先を考える

坂東元(旭山動物園 統括園長)×伊沢正名(糞土師)

動物のありのままの生態を見せる手法で人気を博す旭山動物園。もともと「お荷物動物園」と呼ばれていた状況から、動物園のあり方を根底から見直して改革をリードしてきた統括園長の坂東元さんとの対談が実現しました。命の循環とはどういうことなのか、動物の視点から改めて考える機会となりました。

きっかけは「ただのアザラシ」

伊沢 旭山動物園といえば、動物のありのままの生態を見せて人気になった動物園ですね。坂東さんの著書『ヒトと生き物 ひとつながりのいのち 旭山動物園からのメッセージ 』を読んで、確かにこれまでの動物園とは根本的に違うと感じました。

坂東 ありがとうございます。もともと旭山動物園は「お荷物動物園」と呼ばれていたんです。旭山動物園には、パンダやコアラのように、わかりやすく集客できる動物がいません。だからお客さんはすぐに飽きて、都会の目新しい動物を求めていってしまう。

経営難が続き、どうにかしなければいけないけれど、施設を新設したり新しい動物を連れてきたりする費用はない。そんな状況でした。

坂東元(旭山動物園 統括園長)1986年から獣医師、飼育展示係として旭山動物園に勤務。 動物本来の生態や行動を引き出す「行動展示」を考案し、旭山動物園を国内外から来園者が集まる人気動物園に。 2009年から園長になり、2024年3月に退任。 同年4月からは統括園長として運営に携わる。著書に『ヒトと生き物 ひとつながりのいのち 旭山動物園からのメッセージ』(天理教道友社、2014年)など。

伊沢 そこから根本的に動物園のあり方を変えたのは、何がきっかけだったんですか?

坂東 きっかけは一つではありませんが、「アザラシ」は大きかったですね。というのも、2000年代にラッコ人気が爆発し、世の中はラッコブームだったんです。そんなラッコと比較すれば、アザラシは地味でつまらない動物と思われていました。

よく幼稚園の子どもたちが動物園を訪れるんですが、子どもがアザラシをじっくり見ていると先生が急かすんですよ。「それ、ラッコじゃないよ。早く次にいくよ」とね。それが本当に悔しくて。

伊沢 そんな風に言われてしまうんですね。子ども自身の興味よりも、先生の価値観を子どもに押しつけてしまう…。

坂東 そうなんです。子供にはまだフィルターがかかっていないから、アザラシだろうがラッコだろうが、面白いと思えばじっくり観察する。

でも大人が「ラッコはかわいくてアザラシは地味」なんて価値観を植え付けてしまったら、子どもが素晴らしいと思っていたアザラシが「ただのアザラシ」に変わってしまう。本来、命に優劣とかブームなんてないんですけれどね。

そういった現場に出会ったときは、「先生、今ただのアザラシとおっしゃいましたが、どこがただのアザラシなんですか?」と食ってかかっていたものです(笑)。

伊沢 それ、すごくいいですね! それで思い出したんですが、以前電車の中でちょっと不良っぽい高校生が、鎖か何かをぶんぶん振り回してたんですよ。危ないから止めろって注意したら、私の後ろにいたオッサンが「そんなこと言うと切れて何されるか分からないから、やめとけ」って私に言うんです。親切そうに。

だからそのオッサンに向かってデカイ声で言ってやったんです。「大人がそんなだから、子どもがどんどんダメになっていくんだよ!」ってね。そして振り回すのを止めた高校生に、「こんな大人になるなよ」って。

それから、私も写真家時代、写真を通して自然界でのキノコの分解の素晴らしさを訴えてきました。でも、食べる方にばかり利用されてなかなか伝わらず、結局キノコ狩りが増えるだけでした。そうしたもどかしさを感じていたので、気持ちはよくわかります。

坂東 ええ。そんな経験が積み重なってたどり着いたのが、今の展示方法です。ショーケースのような展示の発想から、動物が本来持つ能力や感性を極力引き出す発想に変えたんです。

たとえばアザラシが生き生きと泳ぐ姿を見せたくて垂直の水槽を造ったり、ヒョウがちょうどお客さんの真上で寝るように網を設置したり。ネコ科の動物って、他の動物より高い位置にいたいという習性があるので、自然と上の網に登っていくんですよ。

ポイントは、ありのままの動物の姿を見せること。逆に言えば、動物側はいつも通り行動しているだけなんですよ。「ペンギンのお散歩」も人気ですけれど、言ってしまえば歩いているだけですから(笑)。

それでもみんな、飽きないんです。「かわいい」だけでは飽きるけれど、その営みを見せれば飽きられないんですよ。

かわいそう、だけでいいのか?

伊沢 坂東さんの本の帯にも、「『かわいい』『かわいそう』だけでは共に生きられない。」と書いてありましたよね。それが強く印象に残っていたんです。どんな思いが込められているんですか?

坂東 自然は命のやり取りを通して、全体のバランスを取ろうとします。一方で人間は倫理観や感情を出して、命にかかわらないところで制御しようとするんですよね。

たとえば、増えすぎて生態系を崩しつつあるシカは、北海道では駆除の対象です。道内だけで10万頭以上のシカが毎年駆除されています。

そんななかで、今でも強烈に残っている出来事があるんです。十数年前ですが、ある高校の校庭にシカが出たんですね。麻酔をかけてくれということで、獣医でもある私が呼ばれました。

当初は麻酔をかけて山に返すという話だったのですが、お話ししたようにシカは増えすぎて駆除の対象になっている。であれば安楽殺の方がいいだろうと判断し、実行しました。

でも、それが批判の嵐を生んでしまったんです。その場にマスコミも来ていたのですが、シカが元気に山に帰っていって「よかったよかった」という結末を期待していたんでしょうね。それが、「動物園の園長がシカを殺した」ということで全国ニュースで流れて、信じられないくらいの批判を受けました。

でもそれって、物事の一面しか見ていませんよね。事実として、北海道でシカは毎年10万頭殺されているんです。でも、自分が見える部分だけを見て「かわいそう」と言って、10万頭が駆除されていることや、その10万頭が殺されないことで起こりうる生態系バランスの問題も見ようとしない。

ちなみに、狩猟免許をとった時も批判されましたよ。「動物の命を助けるはずの獣医が、命を奪うのか」とね。でも、生まれて死ぬから命なんじゃないですか。10万頭のシカの犠牲の上に私たちの生活が成り立っていることを、まず自覚しないといけないと思います。

伊沢 「善をもって悪をなす」という言葉がありますが、まさにそれですね。私も糞土師になって皆が嫌がるウンコや野糞が実は大切なんだということを話すと、きちんと話を聞きもせず頭ごなしに批判されることが度々ありました。

実は私がもっとも悪いと批判しているのが、自分は正しいと思い込んでいるそうした良識派や人権派なんです。他の動物のことを気遣っているつもりでも、結局は物事の本質をまるで知らないくせに自分勝手な価値観を押しつけて、自分のエゴを満たしているだけじゃないですか。

だからウンコと野糞への批判には「お前だってウンコしてるだろう。だったらウンコするな!」という一言が一番効果的で強力な武器になるんです。

坂東 なるほど(笑)。

伊沢 良識派は、ウンコや野糞を汚い、不衛生だと批判してきます。でも自分たちも必ずうんこをして、それを他人に処理させた上に、循環もさせずにコンクリートに固めているだろう、とね。

坂東さんにもこんな武器があると良いですね(笑)。

私は、人間が作り出す最も価値あるものが、他の生き物の食べ物になるウンコだと考えています。そして野糞をすることで、それらの生き物に命を与えることができますから、人間にできる最も崇高な行為が野糞なんです。

それを表わした糞土思想がこれなんです。「食は権利、うんこは責任、野糞は命の返しかた」。

食べることは他の生き物の命を奪うことだけど、自分で栄養を作れない人間にとっては生きる権利です。そしてうんこには、食べて命を奪ったことと、それを汚物に変えた責任が詰まっている。その責任を果たすのが、命を返す野糞だということです。一方的に奪うだけではなく、お返しもしないと命は続かないですよね。

坂東 やはり生き物は個体ではなくて、繋がりとしてみてほしいですよね。旭山動物園でもそのメッセージを伝えたくて、たとえばカバは、ゴキブリのケースと同じ空間で一緒に展示しています。

ゴキブリは嫌われる生き物の代表ですが、土づくりには大事な役割を果たしている。土づくりをする生き物がいるからこそカバが存在できる、という繋がりに思いを馳せてほしいんです。

とは言っても、やっぱりカバの方にみんな目がいっちゃいますけれどね。でも芯はブレさせずに、手を替え品を替えしつこく具現化することが大事だと思っています。そうすれば、いつかバチっと伝わるやり方に出会えるんじゃないかと。

死んだら終わりじゃない自然界

伊沢 本当にそうですね。ゴキブリとカバの関係のように、すべては繋がって循環している。

これまでは野糞とウンコを使い、食べ物を通して自然界の命の循環を訴えてきて、半世紀にわたり野糞の実践もしてきました。そこで次に向き合っているテーマが、「死」なんです。

私ももう74歳ですが、最期は自然の中の一動物としてきちんと死ぬことが次の目標なんです。野生動物なら食べられなくなった時点で死を迎えますよね。私もとうとう歯がボロボロになって、まともに食事ができなくなりました。ですが、入れ歯やインプラントなどの治療は一切せず、食べられなくなったら死に向かえば良いと腹をくくったんです。

坂東 世の中としては、そういう方向に向かっている気がしますね。コロナ禍でも、スウェーデンでは重篤化した確か80歳以上の患者には、ICUを積極的に使用しないとの方針を掲げていました。安楽死も欧州を中心に少しずつ受け入れられていますしね。

伊沢 ええ、本当に。コロナ禍でも、とにかく死なせないことを最優先にする日本の医療にも政策にも、かなり違和感を感じました。

坂東 そもそも、自然界は死ぬことでバランスをとっていますからね。

例えばスズメは一回の繁殖で雛が巣立つまでに2400回くらい餌を運びます。その多くがハエなどの昆虫です。

ハエが2400匹いればスズメは巣立ちます。チゴハヤブサは、雛が巣立つまでに300羽の小鳥を餌として運びます。チゴハヤブサが死ぬと大量のウジがわきハエになります。

このように、誰かが主役なわけではなく、互いに命を交換し合ってバランスを取る。これが自然なんですよね。

伊沢 まさにそうなんです。たとえ自分が死んでも、自然のなかでは土に還れば他の生き物の新たな命になれる。そう考えれば、死ぬことだって悪くない、むしろ前向きに捉えられるんじゃないでしょうか。だから私はそれを、「しあわせな死」と言っているんです。

坂東 一方で先ほどお伝えしたシカの駆除では、現状ではシカは産業廃棄物として処理していて、土には還っていないんですよ。

伊沢 土に還すと何か問題が起きるんですか?

坂東 年間10万頭もシカを駆除してそのまま森に放置すれば、たとえばクマがなんの苦労もせずに獲物が取れてしまうことになります。そうすれば冬眠の必要性も無くなり、クマの習性自体を変えてしまう可能性もある。本来は土に還したいとは思いつつ、そうした理由で工夫は必要です。

まあ結局、人間が関与すると何でも生態系をおかしくしてしまうんでしょうね。

ちなみに伊沢さんは、死を迎えた際はどのように土に還る予定なんですか?

伊沢 私の場合は、絶対に火葬されたくないので、今はなんとか合法的に土葬できる方法を模索しています。私が毎日野糞している「プープランド」という林があるのですが、そこを土葬可能な墓地として認定してもらうんです。そのために、今は市役所やお寺と掛け合っているところです。

そんなふうに、私の最期までの残りの時間を、「しあわせな死」をいかに実現するかに懸けています。

今日は、旭山動物園の改革が単なるアイデアではなく、自然の在り方や野生動物本来の姿を深く追求した上でのことだったと知って、すごく嬉しかったです。じつは私はパンダもコアラも全然興味がなくて、動物園にもほとんど行ったことがないんです。

でも、今度北海道へ行ったときは旭山動物園にも伺って、自然のままに元気に飛び回っている動物たちの姿に触れてみたいです。

坂東 ぜひいらっしゃってください。今日はありがとうございました。