入場料=ウンコ。前代未聞のアートが始まる

鴻池朋子(アーティスト)×伊沢正名(糞土師)

人間の文化の原型である狩猟採集の再考や、芸術の根源的な問い直しを続けているアーティストの鴻池朋子さん。青森県立美術館(青森県美)での「美術館堆肥化計画」で、伊沢さんのイベントをきっかけに意気投合した二人が、美術の題材としてのウンコの可能性や、新たな展示のあり方について語り合います。

ウンコは優秀なアート題材?

伊沢 鴻池さんとの出会いは、青森県美の「美術館堆肥化計画」の中で、2021年11月に五所川原市で行った私の講演会を聞きに来てくれたのがきっかけでしたよね。改めて、なぜ興味を持ってくれたんですか?

鴻池 青森県美の学芸員の奥脇嵩大さんが、「面白い組み合わせかも」と繋いでくれたんです。実際に講演の後に話してみたら意気投合して、その夜は3人で遅くまで話し込んでいましたよね(笑)。

鴻池朋子(こうのいけ・ともこ)1960年秋田県生まれ、埼玉県在住。玩具、雑貨の企画デザインに携わった後、98年よりアーティスト活動を開始。絵画、彫刻、アニメーション、絵本などの手法を駆使したインスタレーションや、おとぎ話研究、考古学、人類学などとプロジェクトを重ね、芸術への問い直しを試みている。主な個展に「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人」(東京オペラシティアートギャラリー、2009)、「根源的暴力」(神奈川県民ホールギャラリー、2015)「鴻池朋子展 メディシン・インフラ」(青森県立美術館、松丘保養園2024)など多数。

伊沢 そうそう。あの飲み屋での会話は楽しかったですね。私があの講演会で映写した野糞跡掘り返し調査のウンコの写真を見て、鴻池さんが「ウンコを題材にするのは素晴らしい」と言ってくれたのが印象的でした。題材として、どうしてウンコは優れているんでしょう?

鴻池 アートの題材や画材は、その作家の身体感覚に近いもの、身近なものが好ましいと考えているんです。たとえば紙や絵の具という画材を買って使えば、貨幣による交換を挟むことになります。そうすると、自分と画材の距離が遠くなってしまう。

それが伊沢さんは、自分から出たものがそのまま題材になっている。究極の近さですよね。しかも陰湿な感じではなく、からりと元気に使っているところが、また良い(笑)。

伊沢 私は人が作り出す最も価値があるものとしてウンコを見ていますから、鴻池さんの「からりと元気に」というのは、まさに我が意を得たり!の最高の評価ですよ。

今年の青森県美での野糞跡掘り返し調査の写真展では、リアルウンコ写真も展示。

鴻池 ええ。古くからの芸術表現の一つで、実際にウンコを汚いものとして使い、社会に問題提起するような作家もいます。それとは真逆の使い方ですよね。

さらに伊沢さんが面白いのが、ウンコというアウトローなものを題材にしながらも、本人が意外とちゃんとしていること。きちんとした身なりで、ウンコ臭がするわけでもない(笑)。

反骨精神には溢れているんだけれど、闇雲に反抗するだけじゃない。きちんと社会の枠組みに則った上で何かを伝えようとする姿勢に、誠実さを感じたんです。

伊沢 鴻池さんにそう言ってもらえるとは、嬉しいです。野糞を真剣に50年間もやってきたからこそ、誠実にうんこと向き合えているのかもしれません。

それから、外見だけいかにも!っていうのが、私は大嫌いなんです。中身で勝負したいんですよ。

というのも私が本物の糞土師になれたのは、今青森県美で展示している、野糞跡掘り返し調査をしたおかげだと考えているんです。これは、’07年から’08年に掛けて150以上の野糞跡を掘り返し、2年近く掛けて行った調査です。

調査をする前は、ウンコは土の中でバクテリアに分解されて、徐々に土になっていくだけだと、想像していたに過ぎませんでした。ですが実際に掘り返してみたら、獣でも虫でもカビでも何でも、様々な生き物がどんどん食べにくるし、植物の根はウンコに向かって伸びてくる。さらに芽生えやキノコまで生えてくるんです。臭いだって、エビ・カニ臭や香辛料臭、更には美味しそうなキノコ臭や、スギやヒノキのような爽やかな樹脂臭にまで変化するんです。

「ウンコはご馳走」と口では言っていたのが、本当に生き物たちがウンコで大宴会を開いている様子をつぶさに見てしまったんです。単なる思い込みが打ち砕かれた経験が、ウンコを謙虚に観察する目を培ったのかもしれません。

美術館はなぜ息苦しいのか

鴻池 ウンコ掘り返し調査をやろうと思い立ったきっかけはあったんですか?

伊沢 それが、最初は仕方なくしぶしぶ始めたんですよ。2007年5月のことでした。’08年に上梓した『くう・ねる・のぐそ』という本の原稿をほぼ書き上げて、そろそろ編集作業に入ってほしいと頼みに行ったんです。ですが編集者はなかなか編集を始めてくれなかったんです。

それどころかその編集者は、「ウンコは3ヶ月もすれば分解されて土に還ると言っているけど、伊沢さんは写真家なんだから、それを写真に撮って実際に証明してほしい」と言い始めたんです。おそらく自分が忙しくて編集の時間が取れないから、時間稼ぎをしたかったんだと思います(笑)。

ですが確かに「ウンコは土に還れば植物の養分になり、森を造るんだ」と言いながら、実際の分解過程を見たことがないし、文献などで調べたこともないのは無責任ではないか。そう感じて覚悟を決めて調査を始めることにしました。

すると編集者は、「うんこの上にガラス板を乗せて、それをガラス越しに撮れば良いだろう」なんて気楽なことを言うんです。でもそれじゃ土の中での分解とは全然違います。さあどうするか。

いろいろ考えた末に、分解に一切人為的な影響を与えないように、3ヶ月間毎日野糞をし続けて、出してからの経過日数を変えて、それぞれ一度だけ掘り上げることにしたんです。でもその内に、90じゃ半端だからと100まで増やしたりして、だからすごい日数が掛かってしまったんです。でも今思えば、あの編集者の一言が本当にありがたかったと思います。

鴻池 そのような経緯だったんですね。予想外の展開とか、自分の意思とは別の方向に、面白いことが見つかることは結構多いですよね。

私はアートの世界にも、そうした“寄り道”的な要素をもっと取り入れたいんですよ。


例えば美術館って、ちょっと息苦しくないですか? 作品にも触らせずに、収蔵庫に大事にしまい込んでしまうし、そもそも大前提で目が見える人だけを対象としたつくりになっていますし。

「アートはみんなのもの」とか「表現は自由だ」と言っている美術館が、こんなにも内に閉じていいのだろうか、と。美術館は、より私たちの生活と距離が近くて、さまざまな身体を持つ人を受け入れるオープンな場所であってほしいと思うんです。

伊沢 私も正直、美術館には堅苦しい印象を持っていました。以前とある美術館で、「五感で感じるウンコ」という展示をやりたいと話を持ちかけたことがあったんです。もちろん生ウンコというわけじゃなくて、分解後やそれを模したものでです。ウンコの実体を知るためには目で見るだけでなく、その感触に触れて、臭いを嗅いで、舐めて味を知るという、実際には五感じゃなくて四感ですが。

しかしナマ物を持ち込むのは美術館ではNGということで、あっさり断られてしまいました。お客さん自身がウンコを通して何を感じるか、というのを試みたかったのですが。

鴻池 そう、まさに観客がどう感じるかが大事。「作家がどこで生まれて〜」なんて、見る人にとってはどうでもいい情報だし、観客によって外界を感じ取るセンサーは全て異なるんだから、好きなように感じてもらえればいいんです。

ですが、今の美術館は「作家がこういう意図で、このメッセージを伝えています」というように、作品よりも言語が主体で、作家が正解を持っているような伝え方になっているでしょう。それがどうにも居心地が悪くて。

とある美術館のイベントで、「自分の作品について紹介してください」と言われたことがあるんです。でも私は言葉で何かを伝えるために作品をつくっているのでもなく、「なんでそんなことを」と嫌になってしまいました。

それで、作品解説の代わりに割れんばかりの声で秋田長持唄という民謡を歌っちゃったんですけれど(笑)。

伊沢 えぇ~、そんな場で歌っちゃったんですか?! さすが鴻池さん(笑)。


私も元々はキノコやコケの写真家だったんですが、その当時は自分をアーティストだと思ったことなんてなかったんです。キノコやコケのそのままの姿を環境や季節、生き方も含めて伝えることが大切で、自分がいかに介入しないかを心掛けて、それらをできるだけ正確に描写する技術を磨きました。それはむしろ職人技で、一時は自分を写真職人と称していたくらいです。

でも逆に糞土師になってからの方が、アーティストっぽくなってきた気がするんですよ。実際、青森県美でもウンコ写真だけで壁一面に展示できたわけですし。

何かを伝えたい、表現したいと思えばそれ自体がもうアートなのかもしれないですね。鴻池さんの話を聞いて、ますますその気持ちが強くなりました。

鴻池さんのアトリエの様子。

展示の入場料は、ウンコ?

伊沢 そうした背景で企画したのが、鴻池さんの今回の「メディシン・インフラ(薬草の道)」展というわけですね。

メディシン・インフラの詳細はこちら

鴻池 ええ。「メディシン・インフラ」は、私と縁のあった場所に作品を展示してもらい、最終的に青森県美にたどり着くというプロジェクト。今年の7月13日から青森県美で展示をするのですが、美術館まで北に向かって作品を点在させる予定なんです。

合理的に一直線に美術館に向かうのではなく、もっと動物的感覚で寄り道をしてもらう。新幹線や飛行機や高速道路を使って、早く簡単に摩擦を少なくして目的にたどり着くような、形骸化した観光インフラを使うのではなく、その人だけのケモノ道のような旅の小径があるかもしれない。その途中に、狩りで動物の活動ルートに“罠”を仕掛けるみたいな感覚で、アートを置いていくんです。

鴻池さんが見せてくれた、展示カ所を記した地図。

伊沢 面白い。そんな展示の仕方があったなんて、これまでただの一度も考えたことなかったです。それに、すでに鴻池さんは作品を美術館の外に飾っていますよね。

鴻池 大切なものほど外に持ち出して、一緒に旅をするように太陽や風に野晒しにする方がしっくりくるんです。

たとえば、皮を用いた「皮トンビ」の作品(大きさ約W12×H5.5m)は、香川県の高松市美術館→越前の岡本神社の森→静岡県立美術館の森→相馬市の裏山、と2年間くらいかけて展示し、そのせいで50cmくらい縮んだし、表面もカピカピになっている。

外という過酷な状況においてはじめて、作品から手応えや摩擦が生まれてくるような感じがします。その変化を通して、観客が感じ取れるものがあるのではないかと。仮に同じ展示を空調が効いて湿度もコントロールされた美術館でやったとしても、何かの説得力が弱いんです。

鴻池さんの作品『皮トンビ』

今回の「メディシン・インフラ」でも、作品を野晒しにしてその変化を見たいなと思っています。その展示場所の一つを、ぜひ伊沢さんの「プープランド」にしたいと相談したんです。

伊沢 いやあ、本当に光栄です。プープランドは、誰でも思う存分野糞ができるようにと考えて用意した林ですが、それがアートの展示場所になるなんて。鴻池さんに出会わなかったら、全く思いつかなかったです。

でもウンコがアートの題材だったら、野糞をすることも、ウンコの分解過程も、そして野糞が林を豊かに育てていくことなんて、まさにアートそのものですよね。

ところで、プープランドにはどんな作品を飾っていただけるんでしょうか?

鴻池 2mほどある大きなヘラジカの角に、子どもの脚がついたようなフォルムの作品です。制作には、FRPという樹脂や発泡スチロールを使います。

FRPと発泡スチロールは、’64年の東京オリンピックから’70年大阪万博あたりの高度経済成長期にたくさん使われ始めた、「THE・人工物」の代表格で、軽くて強く自然素材を真似するのには最適な「偽物」的な素材です。

でも私たちの生活がその人工物に頼って生きているのは現実だから、変に素材を木や石などの自然物に置き換えないでつくりました。

伊沢 なるほど。人間の文明や便利な人工物を全否定しない、という姿勢には共感します。じつは私も自然志向でありながら、素材で言えば、コケや変形菌などを撮影のために持ち帰るときに、ストッキングが非常に重宝したんですよ。でも新品を消費するのはいやだったから、一時期は変態オヤジと思われるのも気にせず、「伝線して捨てるストッキングがあればください」と言い回っていたりして(笑)。

ストッキングなんて使い捨てだし、土にも還らない素材ですが、クッション性や蒸れず乾かず、そして糸くずが出ないという絶対条件を備えているし、おまけに野外撮影時にロープとして使うと最高なんです。こういう風に、私も利便性が良いものは良いと認めて使っちゃってます。100点満点を目指さなくてもいいんですよね。

鴻池 そうですね。この作品も人工物であるから、プープランドの森に置くと最初は違和感があると思うんです。でも、FRPでさえ元々は地球上のものから出来上がっている。問題はその材料ではなく、人間はなぜ自然を侵犯してまでも「物(作品)をつくるのか?」ということなのかなと思います。

そして、月日を経て作品が雨風に侵食され、鳥や動物たちが糞をし、苔がつき土の栄養が入って、何か変化が起きるかも。そういう予想外な組み合わせが、面白いエネルギーを生むのではないかと期待しているんです。


作品も自分で閉じると、弱くなっていきます。他人が介在したり、誰かの知恵をもらえたりすることで、作品に強度が出てくるんです。ちょうど肥やしになるような……。

伊沢 そうか、良いアイデアが浮かびました。「メディシン・インフラ」展の観客が青森へ向かうときに先ず、プープランドの林で野糞をしてもらうんです。そして何日後かの帰りがけにまたプープランドに寄ってもらい、自分のウンコを掘り上げて、その様子をしっかり観察してもらう。こうすれば、自然の中ではいかにウンコが素晴らしいかをよく理解できます。しかも自分自身のウンコで! 

これこそ糞土思想を広める、最高の方法になりますね。その入口に、鴻池さんのこの作品があるんです。

鴻池 あ、この展示の入場料をウンコにする案はどうですか? この作品を見るためには、あなたもここで野糞をして肥やしにしないとダメですよ、というような(笑)。

伊沢 それは名案! ウンコはヒトが作り出す最も価値ある物、と言い続けてきましたが、ついに入場料としてお金の役割を果たせたら、こんなに本質をついていることはありません。じつは今書いている本の中に、「お金はうんこだ!」というのもあるんです。ついにここまできたか、という感じですね。

鴻池さんと話していると、自分では思いつかなかったアイデアがどんどん出てきて、本当に楽しいです。展示が始まるのを楽しみにしています。

〈了〉

執筆・撮影:金井明日香

鴻池朋子より 作品設置完了のご報告:2024年8月2日
 
ついにプープランドへ作品を設置してきました。この「メディシン・インフラ プロジェクト」に協力してくださっているギャラリーMoMoの杉田さんの大きな車で、茨城県桜川市にある伊沢さんの”ウンコの森”まで作品を輸送し、伊沢さんと杉田さんと私の3人で、大きな大きな角のついた子どもの足の作品を担いで森へ入りました。(作品サイズ 左脚2,640×1,250×520、右脚2,640×1,760×1,750mm)
 
一年ぶりに再訪した森を、伊沢さんの後をついて一周し、私がまず作品の設置に選んだ場所は、伊沢さんがゆくゆくはそこでご自身の体を埋めて土に還したいと考えている、つまりお墓となる場所でした。ここはすぐに決まりました。場所がとっても素直な感じがしたからです。
 
柔らかい木漏れ日が差し、サーっと気持ち良い風が森の下から吹き上げてくるなんともいい場所で、未来のお墓のランドマークとして、ポンとそこに右足の作品を置きました。3人で納得。
 
そして左足の作品は、この森のはずれの境界線近くに置きました。プープランドの広葉樹が終わり、植林した針葉樹がすぐそばに見えてくる場所です。ここを抜けると、昔からの古く小さなお墓があり、さらにその先には70年代の高度経済成長期から山を掘削し続けている巨大な採石場が見えてきます。
 
私たちの都市の建築材料となるために何個も山が食べ尽くされていくような景色を見る一方で、伊沢さんの広葉樹の森は小さな生命たちが、着実に私たちのウンコによって活き活きと生まれ続けている。ここも瀬戸際のような場所です。プープランド生態系という概念とも違う、もっと現実的で、今を生き延びていくために、生き物が自分の糞を使って生み出した至難の方法、新しい循環を見るような凄さを感じました。
 
ところで、今回の私の作品の素材はFRPという強化プラスティックです。これもやはり高度経済成長期から盛んに使われ始めた人工的な材料です。中の骨組みにしている鉄骨やボルトも見えます。作品をつくる、ものをつくる、ということは、人が自然に手を加えることで、そもそも作品とはとても不自然なもの。ウンコは森の栄養となりますが、作品はゴミにこそなっても一つも栄養になりません。それでも、人はものをつくる。
 
いろんなことを3人で森で語り合いながら、清々しく設置を終えました。
この森はなんてタフで逞しいんだろう。こんな勇気が湧いてくる設置ってなかなかないです。
 
 
 
 
(後半5枚の写真は鴻池氏より提供)
 
鴻池さんのプロジェクトについては、こちら
メディシン・インフラプロジェクトについては、こちら