生まれた時は、みんな重度障害者だ

伊是名夏子(コラムニスト)×伊沢正名(糞土師)

生まれながらに骨が折れやすい障害「骨形成不全症」があり、車椅子ユーザーの伊是名夏子さん。障害者の当たり前の権利を獲得しようと発信を続けていますが、大きなバッシングを受けることもあるといいます。

障害者の視点に立つことの難しさとは。当事者の視点を得たいと、伊沢さんが対談を申し込みました。

障害者は我慢するのが当たり前?

伊沢 伊是名さんに対談をお願いしたいと思ったきっかけは、2年前の炎上のニュースでした。問題を顕在化させるために声を上げる強さに、感銘を受けたのです。

ですが、ニュースは物事の一面しか映し出してくれないし、障害者の本当の苦悩は障害者自身にしかわからないと思うんです。当事者の生の声を聞きたいと思い、今回の対談をお願いしました。

車いすユーザーの伊是名さんが2021年4月、JR東日本の駅で下車しようとしたが、駅にエレベーターが付いていないことを理由に駅員から“乗車拒否”された体験をブログに投稿し、ネット上で炎上。長期間にわたり誹謗中傷が続いている。ブログのリンクはこちら

伊是名 そうでしたか。発信したことがきっかけで、非難を受けた経験はこれまでもありましたが、今回のバッシングは本当に酷かった。

印象的だったのは、障害がある人からのバッシングも多かったこと。車椅子ユーザーやその親から、「駅員への感謝の気持ちを忘れてはいけない」「私は電車に乗る際は事前に連絡している」など、「障害者が、社会に要求しすぎるべきではない」といった趣旨の意見が届きました。

ですが、この件で私が主張したのは、電車に乗って移動することは人として当然の権利です。駅にエレベーターが付いていないなら、話し合いをし、駅員が階段で車椅子を運ぶ等の代替策を講じることは、障害者差別解消法で義務付けられています。

決して無理難題を要求しているわけではないのに、「障害がある人は我慢するのが当たり前」との認識がまかり通っているのは、やはりおかしいと思うのです。

伊是名夏子(いぜな・なつこ)コラムニスト、1982年生。沖縄県生まれ・育ち。東京新聞・中日新聞、琉球新報で連載中。骨の弱い障害「骨形成不全症」で電動車いすを使用。身長100cm、体重20kgとコンパクト。右耳が聞こえない。ハイリスクな妊娠・出産を乗り越え、10歳と8歳の子育てを、総勢10人のヘルパーに支えられながらこなす。早稲田大学卒業、香川大学大学院修了。アメリカ、デンマークに留学。那覇市小学校英語指導員を経て結婚。「障害者は助けてもらうのではなく、お互いに助け合う存在」をテーマに全国で講演。著書に『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)など。

伊沢 本当にそうですね。世の中にはびこるその認識を変えようと思ったら、嫌でも誰かが主張するしかない。今でこそ私は平気でウンコだ野糞だと言っているけれど、信念を持って野糞を始めてからそうなるまでに、30年以上もかかりましたからね。だからこそ障害者の問題で、伊是名さんは声を上げ続けているわけですね。

伊是名 ええ。とはいえ私だって、理不尽な思いをして声を上げるのは、5回に1回くらいですよ。批判されるのは、やはり怖いし疲れるから。

それでも、物を申さずにはいられない程の不条理な制度や仕組みが、今でも世の中にあふれているんです。

たとえば、新宿駅や渋谷駅。開発が進んで、便利になっているように見えますよね。ですが、障害者にとってはそんなことありません。

というのも日本のバリアフリー法では、バリアフリーなルートが1か所だけあればいいんです。だから日本でも有数の大きさの新宿駅ですら、南口にしかエレベーターがないんです。西口に用事があっても、南口を必ず利用しなければいけなくて、車椅子だと遠回りや不便なことばかりです。

伊沢 エッ、あんなに広い駅でもたった1箇所ですか。

伊是名 ええ。むしろ、健常者用のエスカレーターが増えることで、エレベーターに乗る人は余計に遠回りさせられてしまいます。

だから電車に乗るときは、乗り換えアプリに表示される時間の約3倍の時間の余裕を持って、家を出ているんです。

そんな状況を、多くの人は疑問にも思っていない。それどころか、「1箇所あるならいいじゃないか」とか「なぜそんなに急いで電車に乗らなければいけないのか」なんて言われてしまうのです。

車両とホームの間に隙間,段差があるので,車椅子で乗車する時はスロープが必要です

こういったことを言われると、障害者が不便を被る要因が、あたかも障害者個人にあるかのように感じられてしまいます。

ですが本来はその逆で、不利益の要因は個人ではなく、社会。車椅子ユーザーがバリアフリーではない駅で降車できないのは、身体が不自由な私が問題なのではなく、その障害を受け入れない社会自体の方に問題があるのです。

だからこそ、障害者の「がい」の字を、私は平仮名ではなく漢字で書いています。

伊沢 その考え方、私もぜひ伊是名さんにお聞きしたかったんです。じつは以前、ザラツキカタワタケというキノコの名前のことで、良識派を自認している人が「カタワ(片端)は障害のことで差別用語だから、名前を変えるべきだ。」と言ったんです。でも差別の本質には踏み込まずに、言葉を換えれば事足りるようなその発言に、すごく違和感を持ったんです。

私としても、そんなところで平仮名を使っても、なんの意味もないと考えていました。障害を持って生きることの実態が見えてこないし、物事の正しい判断に結びつかないですから。

伊是名 ええ、そう思います。世の中の風潮としては、障害者に不快感を与えないよう「害」という字をあえて平仮名で書こうという流れがあります。ですが、それには私は反対。あたかも個人側に害があり、そのインパクトを抑えようと言っているようにも聞こえるためです。

社会の方に問題があるとの視点に立てば、漢字で「害」と書くのが自然ではないでしょうか。

気持ちに寄り添う難しさ 

伊沢 伊是名さんのお話を聞くと、やはりニュースなどの情報からは見えないものが、たくさんあると気付かされます。

伊是名 メディアで障害者が取り上げられる際には、こういった社会構造を変えるための問題提起は、ほとんどなされませんからね。

むしろ、障害者個人に焦点を当てて、「障害があるのにこんなに頑張っている」などと視聴者が心地よくなるストーリーに仕立て上げられてしまう。いわゆる“感動ポルノ”ですね。

 イギリスなど欧米の国では、障害者の感動ポルノ的表現を避けるよう、メディアのガイドラインが設けられていますが、日本はこの点は非常に遅れているのです。 

伊沢 相手の立場を想像できないからこそ、そういう見方をしてしまうのでしょうね。昨年この対談ふんだんに出ていただいた屠畜の仕事をしてきた栃木裕さんも、牛や豚を殺す仕事に対して、こんな嫌な辛い仕事をよく頑張ってますね、という風に感動ポルノにされてしまうことに憤っていました。みんな自分の物差しでしか世界を見ていないんですね。

だから糞土思想は、相手の立場に立って考えることを基本にしています。食べて生きることは、他の生き物の命を奪うことです。命を奪われた相手の立場に立って、その責任を取ろうとするならば、その命を返すしか方法はない。その手段こそが、野糞なのです。

逆に、食事の前に「いただきます」と感謝の言葉を言いさえすれば、命を奪った罪が償えるなんて考え方は、すごく自分本位だと思います。

伊是名 同時に相手の立場で物事を考えるのは、すごく難しいとも感じていて。

私がよく知り合いから言ってもらう言葉に、「怪我をして、一ヶ月車いすを使っていたら、あなたの気持ちがわかった」とか、「子どもができてベビーカーを押すようになって、電車の乗りづらさに気づいた」といったものがあるんです。

もちろんその人は、「やっとあなたの気持ちに寄り添えた」と思って話してくれるのですが、正直に言うと複雑な思いもあります。

というのも、彼ら/彼女らが不自由な思いをするのは、怪我なら数ヶ月だし、子育てだとしてもせいぜい5年くらい。ですが私は、これまでもこれからも、一生不自由なんです。どこかのタイミングで健常者の生活に戻れる人とは、根本的に違う。その違いに気づいてもらうのは、なかなか難しいのです。

伊沢 なるほど。一方で、伊是名さんが東京新聞に連載しているコラムでは、「私も同じことをしてしまった」と書いていましたよね。

伊是名 そうなんです。私は事実婚をしているのですが、それなら日本では結婚が認められていないLGBTQの方々の気持ちに、寄り添えると思ってしまっていたのです。

ですが、私の場合はパートナーが男性だから、法的な結婚もできる選択肢もあった上で事実婚を選んだに過ぎない。事実婚しか選べないLGBTQの方とは立場が全く異なります。そこにすぐに気づけなかった自分を、すごく恥じましたね。

伊沢 自分の間違いをきちんと認めて、すぐに反省できるところは、伊是名さんの素晴らしいところだと思います。

権利と責任の話

 伊沢 「人は善を為さんとして悪を成す」という言葉がありますが、みんな悪意を持って悪いことをするわけではないですよね。環境破壊だって、「経済を成長させたい」「生活を良くしたい」と行動した結果、取り返しもつかないレベルまで環境を破壊してしまったわけです。

では、どのように「何をして良いか/してはいけないか」を決めればいいのか。その判断基準が非常に重要になると思うのですが、伊是名さんはどう考えていますか?

伊是名 それをやる「権利」があるのかどうか、を重視して判断していると考えています。たとえば、人を騙すような性格が悪い人だって、自由に電車に乗る権利はあります。

伊沢 権利ですか。それは私にとっては新しい視点ですね。

伊是名 権利を意識せざるを得ないのは、障害者の立場だからかもしれませんね。健常者と同じように生きる権利が、障害を理由に保障されていない場面が多いですから。

私が強調したいのは、権利には理由がいらないということです。「なぜ人を殺してはいけないか?」と問われたら、「人には生きる権利があるから」と答えるだけでいい。もちろん、他人を不幸にするのに自分の権利を振りかざす、というのは違いますが。

全国各地の学校,大学で講演活動。障害のある人の生活や権利について、伝えています

伊沢 なるほど。「権利には理由がいらない」というのは、私には目からうろこで、とても興味深いです。というのも、多くの人は善悪で物事を判断していると思うんです。

ですが善悪は結局、主観でしかありません。自分が好きなものが善いもので、嫌いなものは悪いとなってしまう。それは、判断基準としてはあまりにも脆いのではないか。

だから私は、「責任」を判断基準にしています。何かをやる前に、この行動の結果に自分は責任を取れるのかを考える。そして、責任を取れないことはやらない、ということです。

伊是名 なるほど、責任ですね。ですが、「私は悪くない、あなたのせいだ」というような責任のなすり付け合いも起きませんか。

伊沢 相手に責任を取らせる訳ではないんです。自分は責任を取れるか? と自身に問いかけることが重要。その問いかけをすれば、たとえば処理の方法がわかっていない核廃棄物を大量に出す原発なんて、推進してはいけないことが明白になるのです。

昔はみんな“重度障害者”だった

伊沢 「生き物を食べて命を奪ったことの責任を、ウンコで取ろう」と糞土師を始めてから、私も非難や差別を受けるようになりました。

一方で、ウンコを武器にしたことで、自分の主張に力がついたとも感じているんです。世の中で最も嫌われているウンコが、実は人が作れる最も価値あるものだ、と主張しているわけですから。しかもウンコをしない人はいないので、こんなに当事者性が高いものもない(笑)。

伊是名さんにとって、障害を持って生まれたこと自体は、社会的に言えばマイナス要素だと思います。一方で、それをプラスに変換して、武器にできていると感じることはありますか。

伊是名 先ほどの話とも通じるところがありますが、私の場合は選んで障害者になったわけではありません。障害は、生まれた時からずっとあるもので、障害がない自分なんて、想像もできないのです。

だから障害を意図的に武器にしているという感覚は、正直ないですね。

一方で最近考えているのは、「障害のある人が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会であるはずだ」ということです。

 そもそも私たちは誰しも、生まれた時は重度障害者のような存在のはず。赤ちゃんは、周囲の大人の助けがないと、座るのも、食べるのも、もちろんトイレだって、1人では何もできず、説明する言葉も持たず、ただ泣くだけ。さらに高齢になれば、できないことも増えていく。

人は障害者として生まれて、障害者として死んでいく。考えようによっては、人生のどこかの段階では、誰もが障害者の当事者なのです。

それにも関わらず、多くの人はその事実を忘れて障害者を自分とは別の存在と捉え、否定してしまう。

そういう人たちと対話し続ける。それしか方法はないと感じつつ、苦しい道のりですね。

伊沢 そうですよね。私自身はじつは、批判と戦うことに楽しさを見出せるタイプで、糞土師として生きるにはとても都合がいい性格なんです(笑)。

ですから、これからもウンコを武器に、批判を跳ね返しながら戦っていきたいと考えています。声を上げないことには何も変わらない。ぜひ一緒に頑張っていきましょう。

<了>

(執筆・撮影:金井明日香 写真は一部伊是名氏から提供)