菌類に学ぶ平和な世界(後編)

菌類に学ぶ・動物はヒエラルキー

出川 僕は菌類をやっていることで糞土師活動とも接点があり、ウンコから学んでいる伊沢さんにだいぶかぶれてしまい、僕も菌類から学ばなきゃと考えるようになりました。

 僕が最近考えているのは、菌類と動物は兄弟のようにすごい親戚だったのに、あるときから全然違う人生を歩んだ。今この世界でどちらも繁栄し、しかも共存できているのは、似たような人生を歩むとけんかになるけど、全く違う生き方をしたからそれぞれが成功して、繁栄しているんじゃないかと。

 そこで僕が思ったのは、我々ヒトも動物の一種だけれど、兄弟である菌類が全然違う生き方で繁栄しているのに習い、もっと菌類に学ぶことがいっぱいあるはずだと思っているんです。

出川 ウンコというのは、動物では消化管という工場から出てくる産物ですが、菌類は周囲に消化酵素をばら撒いて環境そのものをウンコにしています。なので、菌類の体はとてもシンプルです。動物との決定的な違いは何かというと、動物って真面目、精密機械なんですよね。

伊沢 動物が精密機械?

出川 ええ。例えば昆虫の体ってものすごく緻密な設計図に基づいて、途方もなく丁寧に複雑に作られている。なんでそんな精密機械ができたかというと、脳というものを進化させて、脳や中枢神経から身体の末端まで神経が通っていて、いったん目で見たものを脳に伝えて情報処理して、そこから命令が出て手足を動かすとか、一箇所に情報を集約して、複雑な情報処理ができるようになったお陰で、すごく複雑な精密機械が作れている。

 ところが菌類にはそんなものが全然ない。だからみんな馬鹿にするわけですよ。人間はこんな複雑な情報処理をして、知性、理性を持って、世の中を変える力を持ってるのに、とか。

 それに比べて菌類って、大きなキノコだったら2メートルくらいにもなるけど、器官の分化もないわけです。ただ菌糸のフワッとした塊で、ひたすら胞子をたくさん作って飛ばすだけで、未分化で下等だとか原始的とか言われるわけです。

 ところが菌類っていうのは、それを全然へっちゃらに思っている。

伊沢 アハハハハ… 菌類もそんな風に思うノウミソがあるんだ。いや、擬人化ですね、これは。

菌類は平等

出川 動物みたいな複雑な体になっちゃうと、例えば腕がちぎれると、中にはイモリみたいに再生できるのもいるけど、体がちょっと壊れると再生能力を失ったりして融通が利かなくなる。それに司令塔の脳を失ったらおしまいです。

 でも菌類の体って、菌糸のネットワークなので、体がちぎれたら2匹になって、でも出会うと再び融合して1匹になる。どこが中心だか分からない、脳がないんで。だからネットワークのどこかで美味しいものが見つかると、すぐさまそこが活発になり、中心になります。つまり体中のどこもが、自然に脳になり得るわけです。

 菌類の体(菌糸体)のシステムが、もっと目に見えてわかりやすく表現されているのが粘菌=変形菌だと思います。粘菌のネットワーク状のアメーバは自ら移動できて、アメーバの枝の一端が餌を見つけると、柔軟にそこが中心になります。しかも複数の餌を見つければ、それらを最短距離で結んだりします。粘菌には知性があるという研究がイグノーベル賞を受賞しましたが、単純でしなやかな情報処理能力を持つ粘菌は、一躍、情報科学の人気者になっていますよね。

土の中にいる菌を採集している出川さん

出川 その点、動物はもう非常に精密な機械で、命令に忠実に従って生きています。手がこっちへ来たくて、足は向こうへ行きたくてと勝手にやっていると空中分解してしまう。だからヒエラルキーが徹底している。脳の指令があって、神経細胞から伝えられたすべての命令に全員が従って、ものすごく秩序立った社会を作っていかないと、この複雑な体って運転していけないんですよね。

 とはいえ、動物の体の中でも、神経系や循環系なんかのネットワークって、実はとっても菌類的です。実は既にパーツとして、動物の体内で個々の部位の連携を保つために、菌類的なものも組み込まれているとも考えられるのですが。

伊沢 う~ん、そういう風に言われてみると、これまで規則正しい生活をしなくちゃ、なんて頑張ってきたのも、無意識のうちに自分の動物的な面が自分自身を縛り付けていたのかも知れないなぁ…。もっと菌類的な要素に目覚めないとダメですね。

出川 動物は自分の体がそうなっているから、社会の構造とか人間組織も自ずと動物型になっていると僕は思うんです。命令系統があって、上下関係があって、その下っ端が「オレ今日は嫌だ」とかいい加減なことを言うのは許されないよ、ということで粛正して、全員その通りに動いていく。

 その中で個が失われたり、人間性が失われて辛いこともあるし、それこそ軍事国家みたいになってしまうこともある。まあ、アリとか社会性昆虫の社会というのも、自然発生的にそうなったんでしょうけど。

 そこへいくと菌類って、本当にネットワークそのもので生きていて、自由自在にやっている。我々は体は動物から逃れられないわけですけど、社会の構造とか生き方の面では菌類的に、もっと緩やかにできることがあるはずだというのを、菌類に学びたいと。

まだこれは熟考できたわけではないけれど、ちょっと面白いと思うんですよ。

伊沢 それはなかなか面白い考え方だし、しかも平和だよね。

出川 そう、平和なんですよ! ヒエラルキーを持たなくてもこの世界で生きていけて、動物と同じくらい繁栄しているというのも事実ですから。でも、人間から見るとものすごくいい加減に見えるんでしょうね。僕はそういう脱ヒエラルキーの生き方をしている菌類がうらやましいんですけどね。

倒木に群生したヒラタケ

出川 例えばヒラタケっていうキノコは、倒木に生えてせっせと木材を分解していますよね。でもそれだけじゃなくて、ヒラタケの菌糸はセンチュウという動物を捕まえて食べたり、また別のところではバクテリアを食べていたり……そういういろんな生き方ができる才能を多才性っていうんですけど。とても動物では考えられないような、いろんなことを同時にやっちゃったり、細胞の中に核がたくさんあって、ヘテロな遺伝子が共存することをそれほど気にしないというか、むしろ積極的にそうして変異を生み出そうとしているんです。

 とにかく柔軟性をとことん突き詰めたのが菌類で、とことん緻密さを突き詰めたのが動物なんです。それぞれどちらが良いというものではないけれど、それで各々繁栄しているんだから、どちらも良い生き方なんでしょう。我々人間も、違った生き方を選んだ兄弟の生きざまを学んで、せめて精神とか社会に活かしていけたら、もっと楽に生きていけるんじゃないかな。

伊沢 いやー、菌類の生き方って、なんて自由で平和で民主的なんでしょうね。私は研究じゃなくて写真を通じてだけど、長年菌類に関わってはきたものの、こんな見方、考え方があるということすら想像できなかったですよ。参りました!の一言です。