彼女の死を共有した仲間たちに救われた
伊沢 淳子さんが亡くなられてから、個展もたくさん開催されましたよね。
亮之介 この2年で個展を5回やりました。だからずっと、えらく忙しい。それに紛れて、あまり自分の心に向き合わないで済んだなあって。
伊沢 1人で家にずっといたら考えこんだりしますよね。周りのサポートも大きかったんですね。
亮之介 とても大きかったです。
伊沢 人が亡くなると、周りはどう接していいかと気を使ったりもします。たとえばそっとしておかないといけないかなとか、不謹慎だから笑っちゃいけないとかね。でも今の話を聞いたら、そういうサポートの仕方をすればいいのか、ということになりますね。
亮之介 たまたまそうなって、俺は救われました。そうじゃなかった状態が想像できないので、わからないんだけど。
伊沢 今の話が「しあわせな死」の1つの答えですね。今までは、死んだら悲しまないといけないというのが普通でしょう。でも亮之介さんはそれまでの日常生活をずっと続けていて、淳子さんの死を特別なものではなく素直に受け入れて、極端なことを言えば生活の1コマとして死も見ている。
亮之介 それができたのは、彼女の死を、亡くなる間際まで友人たちと共有していたのが大きいと思う。こう言ったらあれだけど、みんなが身内と思ってくれたというか。亡くなる間際ギリギリまで一緒にいるのは、通常なら家族だけだったりするでしょう。
伊沢 外の人は排除しちゃいますよね。身内のように共有していた人たちは何人ぐらいいらっしゃるんですか。
亮之介 のべで言えば何百人かもしれない。亡くなる前の1週間だけで何十人も来てくれたしね。その後この2年間でうちを訪れた人は200人ぐらいいるかも。訪れたと言っても、するのは宴会ですけど(笑)。
伊沢 長野家におじゃまして淳子さんにお線香をあげさせていただくとき、私も「淳子さんまた来たよ」みたいな気持ちです。神妙な顔で儀礼的にやるという感じが、ここにはないんですよね。
現代社会は「ケ」を隠して「ハレ」だらけ
亮之介 たぶん昔は、死も生ももっと日常に存在してたんじゃないかなあ。日常の中にふっと生がわいてきて、死もふっと消えていくものだったと思うんですよ。生まれてきた泡がまた消えていくというのが、本来の命の有り様のような気がする。
亮之介 それが今は生も死も切り離されて非日常になって、それを当たり前だと思っているけど、本来はそうじゃないほうが当たり前で。それが「しあわせ」ということなのかもしれないなって。
そう思ったのは、淳子が危篤状態になって部屋で息絶え絶えになっているときも、家には友達が来ていて夜ご飯を作りながらワイワイしていたんですよ。
俺が淳子の枕元についていると、台所のほうから彼らの笑い声や食器の音がカチャカチャ聞こえてきたりして、なんかその自然さが良かったの。状況的に言えば愁嘆場じゃないですか、でもそうじゃないんだよね。
俺の親父は病院で亡くなったし、それまで俺はあまり身近に死を感じたことがなかったんです。でも淳子が家で死んだときに、心がすごく穏やかだったの。そういう意味では、友達がみんなすごかったなあ。彼女が死に向かって進んでいたときも、みんなも意識はもちろんしているんだけど、あえて悲しさを抽出しないというか。
伊沢 まさに日常の中の1つのできごとのような。
亮之介 そうそう。季節が初夏で、庭で鳥が鳴いていて、緑が濃くなってきて。そういう自然がそばにある中で、淳子が寝ていてね。
伊沢 昆虫や動物にとっては、きっと死は当たり前のことで悲しくない。人間社会だけが特別で、極端に行きすぎちゃっているんじゃないかな。死でも何でも特別なことだと考えすぎている。悲しくないといけないとかね。そんなことしていたら苦しいだけじゃないですか。いつからそうなっちゃったんでしょうね。
亮之介 生と死を日常から切り離すというのは、戦後からなのかなあ。俺は昭和33年生まれだけど、子どもの頃は近所に産婆さんがいて、タライを持って家々へお産の手伝いに行っていたようです。
でも今は病院にお母さんが隔離され、家族は経緯がわからないまま。生まれてしばらくしたら家に赤ちゃんが、突然1人の人間として現れる。
伊沢 生の瞬間も死の瞬間も、普通の人は接することがないんだよね。
亮之介 もっと言えば、年をとると老人ホームに行く。つまり「老」も切り離される。それで若くて働く人たちだけが社会にいる。極端に言えばですけど。「ハレ」と「ケ」が隔離されていることが問題かな、という気がする。
伊沢 淳子さんとの対談で、学校で失敗は見せないし教えないという話がありました。悪いものをみんな隠しちゃおうっていうのが現代の日本社会だよね。マイナスを全部隠すから「ハレ」だらけになっている。