「生ききりたい」(前編)

伊沢 じゃあ、これだけはやらなくちゃということは何かありますか?

淳子 それもないです(笑)。でも心配事はあります。私がいなくなったあと、この家どうなるのかなとか。自分が生まれ育った家だからすごく愛着があるんです。

昭和のいい家なので、できるだけみんなで上手く使ってもらえると一番いいけれど、どうなるんだろうとか。そういう物理的な心配事はあります。

でもこれはしておかないととかは、そんなにない。ひょっとしたら、あまりにも何も持っていないからかもしれないけど。たとえば子供がいたら、この子に何かしてあげなくちゃいけないっていうのがあったりするだろうけれど、そういう心配はないし。亮之介、頑張ってねっていう感じで(笑)。

亮之介さんとよく一緒に旅へ行った

淳子 仕事も一生懸命してきたけれども、ほとんどの世の中の仕事ってその人がいなくても止まるものじゃないじゃないですか。だいたいの仕事はその人がいなくても回る。だからそんなに、これだけはやっておかなくちゃ、ということにがんじがらめにならなくてもいいんじゃないかって。

伊沢 だんだんそういう考えになっていったんですか?

淳子 うーん、もともとの気質だよね。

亮之介 うん、そうかもね。

淳子 怠け者?(笑)

亮之介 でも男のほうが、名を残したいとか、世間の目に見えるところで役に立ちたいとか、あるかもしれないね。

淳子 そうだよね。私の10歳年上の知人が私より半年早く膵臓ガンになったんです。彼はすごいエリートのサラリーマンで仕事でも成功して。ガン闘病の先輩だったので治療について色々相談していたんです。

私は抗ガン剤のような現代医療に懐疑的で、その方に「抗ガン剤は良い細胞もやっつけちゃうし、苦しい副作用もあるし、いつやめようかと思っています」と言ったら、彼は「抗ガン剤は治す治療ではないけれど、できるだけ命を延ばすから。

延命はすごく大事だから、ガンに勝とうという強い意思を持って、少しでも長く生きる気持ちでやらないとだめだ」って仰ったんです。人生には目標というものが大事だよって。

伊沢 うんうん、なるほどね。

淳子 私が病気になってから、学校で「これが最後の授業だよ」と言ったら生徒たちがすごく泣いて、今まで反抗していた子も手紙を書いてきてくれたり、みんなが千羽鶴を折ってくれたりしたんです。そういう話をその方にしたら、「仕事に戻るという目標を立てなさい」って言われたんです。それで、そうかって。

でもそれは1つ正しいと思うけれども、そのとき、仕事に戻るために生きようとは思わなかったんです。仕事は好きだし楽しかったし、子供たちがみんな泣いていて、「先生絶対戻ってきてね」と言われてすごく感動したんだけども。それを目標に生きなさい、みたいな感じとは違っていたんですよね。

今私は、自分が生きているということが、自分にとっては毎日毎日が、ぼーっとしてることも多いんだけど、丁寧にしたいなって。

伊沢 それを聞いて、男の理屈は半分しか当たっていないなってすごくわかります。淳子さんはそこに意識を持って、毎日を大事にしようって。ああそうか、それが一番男に欠けているものだって。私にも欠けていて、早速取り入れてみたらすごく楽になった。

淳子 ふふふ。

伊沢 手抜きということじゃなくて、ここまでやらなくちゃという義務感はなくなったんです。

淳子 仕事をしていたときは、ここまでやらなくちゃというのがあったし、そうじゃないとだめですけどね。

伊沢 それが死というもので、時間も有限な中で、何が大事かをもう1度考え直したと思うんです。だから、死に直面している人とお話してみたかったんです。死がもっと意義のあるもの、楽しいものになるんじゃないかなって思って。だって私は淳子さんの一言で楽になっちゃったから。