新たなコスモロジーが世界を救う(中編)

高世仁(ジャーナリスト)× 伊沢正名(糞土師)

前編に続き、ジャーナリストの高世仁さんと「新たなコスモロジー」をテーマに対談を行いました。

中村哲さんの「天共に在り」というコスモロジー

高世 中村哲さんは「ご縁」についてこう言っています。

「日本人は良い関わりを望むときに五円玉をのし袋に入れて渡す風習がある。『ご縁を』と、『ご』を付けて縁そのものを崇拝する。『縁がありましたら』を現地風に訳せば『インシャ・アッラー(神の御意志ならば)』に近い。天の摂理の赴くところ我ここにあり、である。我々が意図して何か成ることは案外少ない。昔の日本人はそれを知って大切にしていた筈だ。それを、味気ない因果関係に過度にこだわり、『偶然』だの、『いきあたりばったり』だのと言い換え、逆に『人の意志』とか『やる気』だとかを無闇やたらに強調するのは、日本人本来の美点と洞察力が薄れてきた証拠である。」

私は歳なのか、もう大きなことにしか興味がなくなりました。

どこかの国でこういうことが起きました、みたいな事実関係よりも、人間が生きるうえで何が必要で、世界観にどういうふうに関係しているかとか。人間は何のために生きるのかとか。そういう大きな問題にしか、関心がなくなっちゃったんですよね。

(山田堰の前の中村医師 写真:高世さん提供)

伊沢 私もそうなんですよ。隣人とのトラブルなんかほっといて、未来の地球が少しでも良くなるように糞土思想を世界に広めたいと、そこに全てを掛けています。ただ、しあわせな死の方も向いているので、時間的にどこまで出来るかという、ちょっと矛盾するところもありますが……

高世 だからアフガニスタンに行っても、中村哲さんの生き方とか、コスモロジーっぽいことを考えちゃうんですよ。

そうだ。ひとつだけ、伊沢さんの本を読んで、ちょっと違うんじゃないかと思ったことがあるんです。伊沢さんの本で、「非暴力・無抵抗」と一緒に書かれてあったんですが、ガンジーは非抵抗じゃなくて、非暴力という激しい抵抗なんですよ。中村哲さんも同じく、一生闘争、闘いの一生でした。

伊沢 なるほど。ガンジーは暴力は使わなかったけど、徹底して抵抗しましたね。よく「非暴力無抵抗主義」と一つにまとめてに言われる事が多いので、ついついそのまま使っていましたが、もう一度きちんと整理しないとだめですね。

高世 中村哲さんの「天共に在り」というコスモロジーは、ほとんど私たちが考えるコスモロジーに近いと思っています。例えば中村さんもまた、最近の日本人が精神的にひどくなっているということを何度も書いています。

日本人は、「『自分の身は針でつつかれても飛び上がるが、他人の体は槍で突いても平気』という人々が急増している」と。自分のことしか考えないエゴイストばかりで道徳にもとる時代だと言っていますよ。

伊沢 自分さえよければいいんですね。新聞などでそういう記事はよく目にしますし、日常生活の中でも時々そんな場面に遭遇します。

高世 さっきお話した日本人のコスモロジーも、つまりは物質しかなくてバラバラで、自分さえ良ければいいっていうことになっちゃいます。中村さんは非常に怒っていました。中村さんのコスモロジーは「天、共に在り」だから。つまり天というのが宇宙であり、自然なんだと私は解釈しますが、それによって恵みとして自分も生かされていると、はっきり言っています。

「自然から遊離するバベルの塔は倒れる。人も自然の一部である。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう」と。

伊沢 特に中村さんは、人と自然を強調していたんですね。そこまで深く自然のことを考えてくれていたとは、嬉しい限りです。

高世 皆さんに意外だと言われるんですが、実は中村さんの一番の闘いは戦争とではなく温暖化との戦い、つまり干ばつとの戦いでした。

国会に出て中村さんが訴えたのも、アフガニスタンは今、干ばつで人がバタバタ死にそうなんだ、と。だから戦争している暇はないでしょうという論理でした。中村哲さんと言えば、政治的に戦争反対を主張している人だと思われているかもしれません。実際は、自然がむちゃくちゃになって人間が生きられなくなっている。だから戦争なんかしている場合じゃないですよというんです。

伊沢 結局は、貧困や差別が戦争を起こすんだと、中村さんの本に書いてありました。ということは、戦争の大本には干ばつによる食糧不足があるということで、表に現れた現象に惑わされず、その奥にある根本問題にまで中村さんはきちんと目を向けていたんですね。

高世 中村さんは、人が何のために生きているかなんて問う必要がないと言っています。人のために生きて、人のために死んでいって、それでおしまいじゃないか、と。

伊沢さんも私もそうだと思うんですが、私たちが子どもの頃は、世の中で一番大事なものは何かと問われたら、「私」、「自分」って答えることはなかったと思うんです。そう答えるのは恥ずかしいことでした。今の人はそれが恥ずかしくなくなって、むしろ一番大事なのは私の幸せだって堂々と言うんですよ。当然のようにね。先生も親も子供に、「お前の人生はお前だけのものだから、自由に好きなように生きていい」って言う。みんな良かれと思ってこう言う。当たり前だと思ってね。でもこれ、当たり前じゃないんですよ。

伊沢 私は最近、良識や人権、そして法律など、一般的に正しいとされていることを一番強く批判しています。自分が正しいと思うから、傲慢になる。他の意見を聞かなくなるし、自分が一番になっちゃうんです。いや、そうじゃなくて、みんな生かされてるんだよ。他の多くの生き物を食べて、命を奪ってね。だから、その生かされていることの責任を果たせよ、と思うんです。だから私が求めるものは正しさじゃなくて、責任なんです。糞土思想では正しさなんか、むしろ排除しているんですよ。

高世 その考えも自然の摂理からくるものですよね。人間が自然の一部であり、自然と一体だから。私たちのコスモロジーの言い方をすれば、それは「使命」という言い方になります。

宇宙の中で、私たちもその一部として、一体として存在している。宇宙には摂理があるので、人間もこういうふうに生きるべきだという、いわば使命みたいなものがあると。

伊沢 確かに使命も責任を果たすことも、根底は同じですね。

宇宙の自己認識器官としての「私」

高世 今日はちょうど、アインシュタインの言葉を持ってきたんです。アインシュタインはこう言っています。

「E=mc²」、これはアインシュタインの有名な数式ですが、エネルギー(E)と質量(m)は交換可能だよ、と。だから原爆もできたし、ビッグバンもできたんだ、と。原爆は物質がエネルギーになり、ビッグバンではエネルギーが物質になったわけですよね。さらに彼はこう言っています。

「人間は、私たちが「宇宙」と呼ぶ完全体の一部、すなわち時間と空間を限定された一部である。人間は自分自身を、そして自分の思考や感情を、他と切り離されたものとして体験する。それは意識のうえで、いわば視覚的錯覚が起こっているからである。私たちはこの錯覚という監獄に閉じ込められているせいで、個人的な判断しかできなくなり、周りの少数の人間しか愛せなくなっている。この監獄を抜け出し、思いやりの輪を広げ、あらゆる生物と美しいままの自然を包み込んでいくこと、それが私たちに課せられた仕事である。」

つまり、アインシュタインも宇宙から与えられた使命が人間にあるって言っているんです。ほとんど私がめざすコスモロジーと近いでしょう。

伊沢 アインシュタインはそこまで言っていたんですね。素晴らしいです。

高世 だから近代科学と現代科学は全く別物なんです。現代科学は、宇宙が138億年かけて、エネルギーから物質へ、物質から生命、さらに人間を生み出したとしていて、エネルギーと物質には自己組織化能力があるという。これはすごいことですよ。

伊沢 現代科学はそこまでいっているんですね。いや〜、これはすごい。近代科学と現代科学との違いを、私は全くわかっていませんでした。

高世 近代科学では、物質というのはずっと静止状態で、動かないものだとされていました。石とかね、ずっとそのままの状態なんだと。でも実は、石の中の原子までたどれば、激しく電子が、素粒子が振動しているんです。

そして物質自身に、自己組織化能力があることもわかってきました。イリヤ・プリゴジンという物理学者―日本とも縁のある人で勲二等旭日瑞宝章が贈られている―がそれを唱えてノーベル賞をもらっています。これは今、標準的な仮説になっているんです。

例えば、トイレの水を流すと必ず渦を巻きますよね。これはつまり、ひとつのシステムができたからだというのです。

伊沢 トグロウンコもそうなんですよ、実は(笑)

高世 銀河も、円盤状に丸くなります。一体何故そうなるのか。別に何の力も加えてないんです。それなのに円盤状になるのは、つまりひとつの組織化なんです。台風だってそうですよね。風がぐわーっと吹いて渦巻きます。これは物質が自己組織化しているということだというんです。

そしてその前に、すでにエネルギー自身が物質を生み出していく。つまりエネルギーに自己組織化能力がある。さらに物質自身にも自己組織化能力があるから、自然に、素粒子から原子、原子から分子にと、より複雑で多様なシステムへと進化していく。

自己組織化能力は、これまで生物には認められていたんです。自然に群れを作ったり、女王蜂が出てきたり。しかしそういう自己組織化能力が、同じように物質にもある。ということは、宇宙は自己組織化でもって、どんどん高度化し、複雑化し、ついに人間までを作ったんです。

伊沢 実を言うとね、私はトグロウンコの写真をよく見せるんですが、それを見た人はおしりを回してウンコしたんですか、と聞くんです。いや、違うんです。お尻を回して巻くんじゃなくて、重力の関係で自然に巻くんです。この場合は重力と、地面やすでに出て下にあるウンコから肛門までの距離がシステムになるんですね。しかも高世さんの言う組織化という言葉を借りれば、ウンコにも自己組織化能力がある、ということになって、笑っちゃうけど、これは本当に凄いことです!

高世 ウンコが重力に引っ張られるからですよね。さらにその重力の値がちょっとでも違っていたら、全ての組織化の形が、全然違ってくるそうです。何かが違っていたら、何も組織化できない宇宙になっていたかもしれません。

ということは、今の私たちがいる宇宙があるということ自体すごいことですよね。さっき言ったように、宝くじが連続100万回当たるぐらいの確率となると。

生き物としての自己認識能力も、例えば私たちの感覚はどうやってできたかと言えば、触って感じられるようになったのは大体7億年か8億年前に獲得したとされます。蠕虫っていう、ミミズみたいなのが出てきて、初めて神経細胞ができて触覚を得たわけです。

伊沢 生き物が感覚を持ったのは、蠕虫からなんですか。

高世 はい。その前の生物には神経細胞がないんです。神経細胞ができて感覚ができるわけですよね。

6億年くらい前になると脊椎、神経を張り巡らせる脊椎動物がでてきて、魚類なんですけど、その時、目ができるんです。私たちのようなレンズ眼が(笑)。そのときに視覚ができたということは、宇宙が初めて「風景」になったんですね。

宇宙の一部である魚が、宇宙の一部である海の中のなにかを見たということは、宇宙がそこで視覚的な自己感覚をした。それから鼻ができて、耳もできて、感覚がより豊かになっていく。

シアノバクテリアという微生物や藻類が光合成をして、一生懸命に酸素(O)を作ってくれたのがオゾン(O)になり、紫外線をブロックしてくれた。そこでようやく陸地が生物にとって安全になり、5億年前に植物が、それに続いて節足動物が昆虫になって海から上陸してくるわけです。さらに昆虫を追って、魚類が爬虫類に変身して上陸、そこから陸上でも植物、動物、微生物の生物の食物連鎖ができ、非生物と一体になって土壌が形成され・・・というふうに、地球環境を生物が変えていく。だからエコシステムというのは、環境と生物がつながってつながって一体化したものです。

陸上では、空気の振動が重要な情報になって、今度は耳が発達してきます。宇宙が「音」として認識できるようになった。さらに宇宙は、匂いとして認識できるようになる。こうして、生命40億年の進化の歴史が達成した成果すべてを、運動能力や感覚器官と認識機能として受け継ぎ、いただいている。だから私たちは、こうやって歩いたり話したり、認識したり考えたりできるようになったわけです。

その結果、私たちヒトは、宇宙が宇宙を認識する宇宙の自己認識器官となり、そこには感動があるのですから、自己感動器官としても存在している。

私たちの最終目標は、宇宙の一部である私が、宇宙と一体なんだということを心の底から納得して腑に落ちること。それを覚りというんですね。宇宙の自己覚醒器官となること。私は、そのために人間を宇宙がその中に生み出したんじゃないかと思っています。だったら私たちは、覚りを目指す使命があるんじゃないかと思うんです。

伊沢 なるほど。コスモロジーというのは私の予想をはるかに超えた、本当に深いものなんですね。

高世 とんでもないことだと笑われることもありますがね。まあ、覚りまでいかなくても、こうやって歩いたり見たり、考えたりできるのも、生物の40億年の進化の中で、私たちのご先祖の生き物が獲得してきた能力をみんな受け継いだからです。ものすごいプレゼントをいっぱいもらって生きているということですよね。こういうふうに、恵みの中で生かされているって考えたほうが、人間は豊かな気持ちになれるし、苦しくても生きようという気持ちになると思います。そうやって若い人たちも元気づけたいですよね。

伊沢 偉そうな小難しい理屈ではなくて、若者や子どもにも理解できるように語りかけているのが、本当に素晴らしいですね。

高世 コスモロジーを広めていくために、いろいろなやり方を考えています。例えば、お墓参りに行ったら、子供にこう話すことができます。君はお父さんとお母さんから生まれたよね。そのお父さんとお母さんも、それぞれのお父さんとお母さんから生まれたよね。10代遡ったら先祖は何人になるかな。1028人。じゃあ20代遡ったら何人かな。100万人を超えるんだよ、と。つまり、君にはものすごい数のご先祖がいて、一人でも欠けたら君が生まれていないんだよ。それにお父さんお母さんだけじゃなく、そこには親兄弟がいて、隣のおばちゃんにも子育てで頼ったかもしれない。君に繋がる命が、色んな人から世話になって、その結果君が生まれてここにいるんだよ。この膨大なご先祖をずっと考えていくと、愛情を感じるよね。君はつまり、愛情の結晶なんじゃないの、と。

そんなふうに先祖を遡っていって、人類ってそもそもね、というところから子供たちと考えるやり方もあります。

40億年の生命の進化史に裏付けられた〝空っぽ〟

伊沢 探検家で医師、人類学者の関野吉晴さんが、人間がこの星に生き続けるための知恵をみんなで考え合うという「地球永住計画」という試みをやっていますよね。あれは本当に素晴らしいです。ところがね、さかんに火星移住計画が議論されてるんですよ。

なにを馬鹿なことをやってるんだよって、言いたくなります。これだけ恵まれた環境にいて、これを捨てて不毛のところにわざわざ行く必要はないんだけどね。

高世 なんでそんな発想が出てくるのか。そこまで地球の自然破壊がひどくなっているということでしょうね。結局私たちって、仏教で言えば「縁起」で生きている。あらゆるものとのつながり、「縁」の中でしか生きられない。40億年の生命のご先祖とのつながりがなければ私はいない。生きていく上で酸素がなければ5分で死んでしまう、水、食べ物も生きるうえで必須だし、さらにはコロナ禍でエッセンシャルワーカーなんて言葉が出てきてあらためて社会の様々な人たちや機構のおかげで暮らしがなりたつことを知る。つながってつながって、果てしないつながりの中で生かされている。そして宇宙にしろ、地球にしろ、生物界にしろ、人間社会にしろ、全体は一つ。仏教でいう「一如」で「縁起」が「空(くう)」なんですね。

伊沢 「空」ってからっぽっていう意味じゃないんですか?

高世 いえ、むしろ逆なんです。一言で言うと「空」とは、世の中に実体といえるものはないという考え方です。

実体とは他に頼らずにそのものだけで永遠に存在し、変わらない本性があるもの。そんなものは世の中には一つもないということです。全てが必ず移り変わるし、必ず他のものに依存している。独立して永遠に存在するものなど何もない。だからこそ、「無常」、常ならず。

ものには不変の本性などないというのを仏教では「無自性」と言います。それから、全てのものは必ず依存関係にあるということを「縁起」と言います。宇宙は、つまりこの世は一つ、「一如」で「縁起」で「無常」で「無自性」。変化しながらダイナミックに繋がり合っていくというのが「空」の思想なんです。

人はどうしても世界を実体視するんです。たとえば「空」の一要素である「無常」を考えてみましょう。今が幸せならこれがずっと永遠に続いてほしい、自分は永遠に生きたい、愛も消えないでほしいと。でも実際は人は老いて死ぬし、必ず不幸はやってくるし、季節も移り、世界は変化していきます。実体を求めると、変化が怖くなる。ゆく川の流れは絶えずして・・と無常感がこみ上げる。ああ、花が散ってしまうのは寂しいな、人は死んでいくんだなあ、悲しいなと。

人の苦しみの根源は実体視だと仏教では考える。はじめからこの世は「空」で実体はあり得ないと覚っていれば、嘆きの「無常感」ではなく、変化することこそあたりまえと見る「無常観」になる。そもそも無常だからこそ次々に新たな命が生まれるし、生き物が生長するのだし、ダイナミックに宇宙が展開するすばらしいことなんだと観ずれば、無常でいいいんですね。これが宇宙の道理なんだから。「空」はからっぽ、むなしいどころか、この世を元気に生き抜く哲学だと思います。

 

伊沢 私がこれまで考えていた「空」は、アタマの中が空っぽになるからこそ、外から新たなものがダーッと入ってくるというものでした。単なる「無」という意味じゃなくてです。自意識があるといろんなものを弾き返してしまうから、自分がまず空っぽになること。それが「空」だと思っていました。

高世 それは、仏教の「空」とは違いますね。

伊沢 なるほど、そうだったんですね。私の場合は写真を撮ることで、そう考えるようになったんです。写真家として最初の頃の私はアーティストを目指していたんです。アートというのは、自分自身の内側から湧き上がってくるアイディアとか芸術性ではないかと思っていたんです。

ある程度まではその思いで写真が撮れたんですが、アイディアが尽きた途端に写真が撮れなくなってしまったんです。こういう写真を撮ろうというものがあれば、それに合った被写体を見つけて撮るわけです。でもそれがなくなったら、もう撮れないんです。

そのときにどうしたらいいんだろうと悩みました。そのうちにアタマが空っぽになると、今度はキノコが「撮ってくれよ」と言っているのが聞こえてきたんです。自分が空っぽになることで、相手がす〜っと自分の中に入ってくる。

空っぽになることでむしろ感覚が研ぎ澄まされて、外にあるものがどんどん入ってくるんじゃないかと思うんです。それが「空(くう)」の力だと思っていたんですよ。

高世 優れた芸術家が同じことを言ってますね。アートの対象物が「撮ってくれ」というものを撮った、「描いてくれ」というものを描いたとかね。

伊沢 私もそういう感覚になりました。私が一番尊敬しているアーティストは山下清なんです。山下清の脳波の写真を見たことがあるんですが、普通は波打っているのに、彼のは一直線なんです。つまり空っぽになっているんですね。それを見て「これだ!」と思ったんです。

高世 でもそれはただのからっぽじゃなくて、宇宙138億年の歴史、40億年の生命の進化史の成果に裏付けられたからっぽなんでしょうね。

伊沢 そうなんですか。でも、とにかくね、私は自我や思考が邪魔して、真理が見えなくなっているんじゃないかと考えたんです。そして今度は糞土師になってから、ウンコと野糞で発言するようになると、ガンガン批判が来るんです。いや、批判よりももっと酷い、無視のほうが多いかな。

高世 批判が来るんですか?

伊沢 来ますよ。だってみんな、ウンコとか野糞とか嫌がりますよね。野糞なんてとんでもないという、その人の正義をぶつけてくるわけです。でも私は思うんです。自然界では、人がすることで自然の生き物が一番喜ぶのはウンコです。それを知って発言を続けていますが、世間ではなかなか通じないんです。人それぞれにその人なりの正しさがあるわけで、それが一致しなければ弾き返されるわけですよ。もっとみんな空っぽになって、素直に世界を、自然を見てみろよ、と言いたいんです。

高世 なるほど。そういうところで伊沢さんは、「空(くう)」という空っぽになるということの価値を感じていたんですね。それは何かを一回突き抜けたからですよ。よくスポーツ選手が、一生懸命練習をしているうちに、途中から何も意識しなくても体が勝手に動くようになったと言いますよね。それと同じで、一つの達成をなし得た名人芸のレベルだと思います。

伊沢 苦しさを超えると、喜びに変わっていくんですね。ある程度までいくと。

私は今、命を基にして、いかに自然と共生するかを考えています。そこに糞土思想の究極の目的があるんです。共生と命の循環ですね。その具体的な方法というか、具体的な共生、循環を、どうしたらみんなに受け入れてもらえるのか、模索しています。

〝大いなるもの〟を認めよう

高世 アフガニスタンでの活動について書かれた中村哲さんの本の中には、「掟」という言葉が出てきます。

それは共同体を作るための秩序、という意味で出てきますが、言い換えたらそれは、自然界の生態系じゃないかと私は思うんです。近代科学はそれを否定し破壊しているわけです。近代科学に基づいた正しさで、「掟」は古いものだから捨てなさいと潰しにかかっているんです。それが、欧米のアフガンに対する戦争の原因ですよ。そういうことが繋がっているんです。だから私自身もね、そういう意味ではものすごく保守思想だなと思います。

伊沢 でもその「保守」というのは、人間社会でいう「保守」ではなく、自然界での保守ですよね。自然を基準にした。だから私自身も、世の中を変えようとしている革新系だと見られるかもしれませんが、じつはガチガチの保守主義です。

高世さんの話は宇宙のビックバンから始まり、命の形成にも触れられて、自然に対する認識がとにかく深いです。

高世 アフガンなどのイスラムの考え方も、実は私の考えるコスモロジーと根本で繋がっているんじゃないかと思っています。

伊沢 むしろ近代の科学がとんでもないことをやっていますよね。中村哲さんも近代を否定しています。

高世 その点について私はちょっと違う考え方があるんです。いま近代の悪い部分が出ているのは確かです。ただ、近代のすばらしい達成もあると思います。だから近代を単純否定するんじゃなく、成果を生かしながら乗り越える。近代を「含んで超える」という考え方のほうがいいと思うんです。それが新しいコスモロジーだと思っているんですよ。

アフガンの社会も、古いものがいい、近代がいけないという形で対決するべきではないと思います。外来種を持ち込んじゃいけないとよく言われますよね。ただその外来種も時間をかけてその土地の生態系に土着化していきます。人間の社会も、ものすごい勢いで変わっていきます。どうしても、近代化は避けられないと思うんです。アフガン社会も必ず変わっていきます。ただ、外から「変わりなさい」と無理やり押し付けられて変わるのではなく、最終的には変わるんだけれど、その人たちのやり方とスピードで変わっていくのに任せる、ということが大切なのではないかと思うんです。

伊沢 確かにそうですね。現地の人のやり方を尊重しながら新しいことを取り入れていった中村さんのやり方は素晴らしいですよね。

斎藤幸平さんという若い経済学者がいて、彼は近代資本主義の弊害から脱するには、脱成長とコモン(公共)を取り戻すことだと主張していますね。その考えには私も大賛成ですが、自然と共生するために命を返す、という糞土思想的なものがまだ足りないと感じています。

高世 斎藤さんの考えには私も賛成しています。脱成長だし、コモンっていう観点が素晴らしい。今、成長を強制される資本主義の下で、気候変動が進み、格差が広がって行き詰っている。これを解決するには経済成長をやめて、生きるのに絶対に必要で「本来商品化されるべきではない、皆のための公共財」であるコモン、たとえば自然環境や水や電気、医療などを商品にしないことが必要だと斎藤さんは言っています。そこでは金もうけではないことに生きる意味を見つけて豊かに生きる共生社会ができるというんです。

彼が唱える社会設計についてはほぼ異論がないんだけれど、そこに生きる人間の哲学、つまりコスモロジーがちゃんとしていなければ、その社会は結局うまく機能しないだろうなと思うんです。お金をどっさりもうけて、ぜいたく品をバンバン買って人に自慢したいという価値観の人ばかりだと、その脱成長社会は成り立たない。そもそも、世の中をそういう方向に変えようと思う人が多数にならないと世直しはできない。斎藤さんは3.5%の人が立ち上がれば世の中は変わるといいますが、どうでしょうね。社会を構成する一人ひとりのコスモロジーが変らないと、斎藤さんが言うような社会には変わっていかないと思うんですよ。だって今の日本人は、自分さえよければいいわけです。そこが変わらないと・・。

 

伊沢 私も以前から、経済成長についても考えていました。糞土思想が目指すのは人と自然の共生で、そこには生産性というものはありません。だから脱成長です。しかし経済的な成長など無くても、幸せな暮らしは可能なのだと。今日は高世さんの話を聞き、そうしたことが頭の中で一つにまとまってきました。現代科学による新たなコスモロジーというものを知って、根源まで見えてきた感じがしています。

高世 私が目指しているのは、まずは〝大いなるもの〟を認めようということです。そうしないと、人間はまともに生きられないと思います。

江戸時代末期から明治維新の頃、日本が鎖国をやめて国を開くと聞いた外国人がたくさん来日しますが、彼らが言っているんです。時間を守らないけれど、なんて朗らかな、幸せな人たちなのかと。今の日本人と全然違う日本人がいたわけですよ。あの頃の日本人は死を恐れていなかったはずですよ。何故かというと、大いなるものをちゃんと分かっていたからです。

私の知り合いが、デパートで伝統のカンボジアの織りの実演を見せるため、カンボジアから織りの名人のおばあちゃんを連れてきたんです。一緒に山手線に乗って移動中に、「どうしてみんな怒っているの」と聞いてきたそうです。山手線に乗っていた日本人はみんなムスッとして押し黙って、誰も笑っていなかった。それを見て、カンボジアのおばあちゃんは、みんな怒っているように感じたと言うんだよね。

明治維新の頃、誰もが笑っていた国が、今の山手線の話のように、みんなムスッとして誰もしゃべらない国になっているわけです。コスモロジーが違うとそれだけ違うということなんですよ。それもわずか1世紀で変わっちゃったわけです。少子高齢化よりもっと深刻な問題だと思いますよ。

伊沢 私もそう思います。だからコスモロジーをより具体的なものにするために、その入口として野糞があればいいんじゃないかと思うんです。

実は今、全国にプープランドを作るための運動をやりたいと思っているんです。そうなると、野糞をするための林があちこちに必要です。

高世 都市計画にも影響しますね。

伊沢 そうです。もう新たな国造りですよ。ただ単に理念だけじゃなくて、実際に野糞をすることで自然と繋がれたら、と。しかもそこで、ウンコによって自然が豊かになっていくことを、自分のウンコで体験してみたらいいと思うんです。アタマの中の知識だけじゃなくて、身体での実践で広めることをやりたいんです。

高世 私は今、コスモロジーをもっと体系化することを目指しています。それから子どもたちに、人間がいろんなもののお陰で生きていることを伝えています。

人間が生きるために一番大事なのは何か。空気、特にその中の酸素だよね。5分間息を止めたらみんな死んじゃうんだから。酸素は、葉っぱが光合成をして作ってくれているんだ。私たちは葉っぱのお陰で生きていられる。だから大事にしようね、とか。

でも伊沢さんの場合、人が自然のおかげで生きていることを、野糞として実際に体を使って自覚させていますね。まさに実践です。

伊沢 生きることは結局、食べて出すことです。植物もウンコとして酸素を出すわけですが、それが私たちにとっては必要不可欠なんですよね。出すことがどれだけ大事なのか気が付きます。

             〜新たなコスモロジーが世界を救う(後編)へ続く〜

            ( 写真構成:伊沢正名 /  撮影・編集:小松由佳 )