大西夏奈子(ライター・編集者)×伊沢正名(糞土師)
対談ふんだんの最初の企画段階から、十数名との対談まで制作を担当していた大西(私)が今回の相手です。すでに対談ふんだんのスタッフを卒業したのですが、その裏事情も記録に残しておきたいという伊沢さんの強い要望により、この回に限り記事制作も担当しました。
ヤンキーと糞土師の仁義なき闘い
伊沢 2020年5月1日に対談ふんだんの公開を始めてから、ここまでのゲストの数がのべ40人になりました。20人目で糞土師自身の独談をやったので、記念すべき40人目は、その裏面史も良く知っている夏奈ちゃんにぜひともお願いしたかったんです。
大西 どうもありがとうございます。私は伊沢さんと対談するなんて10年早いと思ってずっと逃げていたんですが、伊沢さんの歯がどんどんなくなって物が食べられなくなっているのを見て、流暢なことを言ってる場合ではないと思いました。そもそも私が先にこの世からいなくなる可能性だってありますもんね。
伊沢 夏奈ちゃんは対談ふんだんのサイトの立ち上げから、初期の取材・執筆と大変な仕事を全部やってくれたよね。その前には野糞の素晴らしさを伝えるための『葉っぱのぐそをはじめよう』(山と渓谷社)を作ったり、ここ数年間は私の遺書代わりになる予定の『うんこになって考える(仮)』の編集も担当して、つまり糞土師のウラの顔を最もよく知る1人。それでぜひ対談ふんだんに出てほしかったんです。
大西 対談ふんだんのサイトは本当ならプロの方にかっこいいものを作ってもらいたかったのですが、節約のために素人の私が作ったので、凝ったことができずシンプルになってしまいました。
さて、伊沢さんのウラの顔ということは、厄介なところも暴露してほしいということですよね(笑)。確かにかつて私はひどくイザワ疲れして、対談ふんだんを卒業しました(笑)。今でも伊沢さんからの電話は着信拒否設定にしています、すみません!
伊沢 ええ〜、そうだったんだ! それはちょっとショックだね。でも都合の良いところだけ見せてマイナス面は隠すなんて、そんなの卑怯だし嫌いだからね(笑)。
大西 伊沢さんはよく、「改善すべきことがあれば直したいから、悪いところがあったら言ってほしい」とおっしゃいますよね。以前は一流のキノコ写真家として活躍されて、今ではノグソ業界で唯一無二の存在なのに、そういうふうにおっしゃるところを尊敬します。
伊沢さんと初めてお仕事させていただいてから10年近くになります。10年前は今より世間の伊沢さんへの風当たりが強かったですよね。奇人変人扱いで、メディアに出演しても面白おかしく使われてしまい糞土思想の真意がなかなか届かなかった。伊沢さんは昔も今も変わらずクソ真面目にウンコを語っていらっしゃるのですが。でも最近、世間の風向きがぐんぐん変わってきていますね!
伊沢 特に映画「ウンコと死体の復権」の大好評には、糞土師になって18年、やっとここまで来たか!という想いだね。それに加えてつい最近も、国際通信社の一つで150カ国以上に配信しているAFP通信の取材が入ったりして、いよいよ糞土思想も世界中に広がる兆しが見えてきたんだよ。
ところで、夏奈ちゃんとの最初の出会いは2015年だったよね?
大西 地平線会議という冒険家・探検家や旅人のコミュニティーが企画した、原発事故で被災した福島・浜通りをめぐるツアーに伊沢さんも私も参加したのがきっかけでした。
伊沢 そこですごい面白いのがいるなあっていうのが、夏奈ちゃんの第一印象でした。というのも出発の朝の集合時間に大遅刻して、福島行きのバスに乗れなかったんだよね。それで後から常磐線に乗って追いかけてきた。
大西 当時はマンガ『いちえふ』にも登場した竜田駅までしか常磐線が通っていなくて、とにかくその駅まで行くことにしたんです。すると皆さんの乗るバスがわざわざルート変更して竜田駅まで来てくださり、無事に合流できました。
伊沢 寝坊の原因は前日の深酒だったんでしょ?
大西 大変情けないことに、そうでした。私は2012年からモンゴルに関する取材をライフワークにしているのですが、その日は東京でモンゴルの友人に取材して、打ち上げでお酒を飲んだんです。ふだんは飲んでもあまり酔わないのに、40度のモンゴルウォッカが出てきて……。日本代表のつもりでちょっと参戦したつもりが、翌日寝過ごしてしまい顔面蒼白になりました。
伊沢 でも、そんなことがあっても結果的に合流できる、なんて強運の持ち主なんだと夏奈ちゃんに強い印象が残ったんだよ。マイナスがむしろ大きなプラスに繋がることって良くあるよね。
実は私も昨年11月に、最後に1本だけ残っていた貴重な前歯がおにぎりにかぶりついた途端ポロッと欠けて、とうとうまともに食べることができなくなっちゃったんだ。でも治療は一切せずに、喰えなくなったら野生動物みたいに死に向かえば良いと腹をくくったんだよね。それは、これまでずっと探究してきた「しあわせな死」の実践に入ることで、むしろ楽しみさえ感じたんですよ。
するとその直後から、「新たなコスモロジー」の高世仁さんに出会ったり、青森県立美術館でのリアルウンコ写真展の開催や映画「ウンコと死体の復権」の大盛況など、糞土思想の実現を後押しするような出来事が次々にやって来たんです。
伊沢 伊沢さんはそうやってピンチのたびに「これはむしろチャンスだ」と、まるで自分に言い聞かせるようにおっしゃいますよね。
私は福島でご一緒する前から伊沢さんのことを知っていましたけど、他人に野糞を吹き込む変態の方というイメージを持っていて、なるべく近づかないようにしていました。私はまさに伊沢さんの言う“良識人”ですよね。でも福島で立ち入り禁止区域を歩いていた時、伊沢さんが道端で摘んだヨモギの葉を手で握りしめていたのを見かけて……。
伊沢 翌日の野糞で使う葉っぱを確保するのは重要なことだからね。
大西 原発事故から数年が経過したという時期だったので、原発そばに生えている葉っぱでお尻を拭いて放射能は大丈夫なのだろうかと気になりました。でも伊沢さんは瞳を輝かせて、まるで少年のようで……。最終日に東京へ帰るバスの中で伊沢さんとお話する機会があり、「お尻で見る葉っぱ図鑑」を作りたいという構想をお聞きしました。それから数日後、丁寧なお手紙をいただきましたね。
伊沢 福島から帰った直後に舌癌が判明して、死ぬ前にどうしても作っておきたい本があるから手伝ってほしい、と夏奈ちゃんに依頼したんです。
大西 私はフリーランスになったばかりで仕事をいただけること自体とても嬉しかったのですが、正直野糞の本を作ることに情熱がわかなくて……。ご体調のことを考えると申し訳ない気持ちでしたが、悩んだ末にお断りさせていただこうと茨城県のご自宅へ伺ったんです。
伊沢 でもそれがひっくり返る出来事があったんだよね!
大西 最寄りの岩瀬駅に私が着いて、改札を出ようとした時でした。改札の向こうにベンチがあって、そこに地元のヤンキー青年が靴を履いたままの足をドカンと載せていたんです。すると彼の真正面に伊沢さんが仁王立ちして、「今すぐ足を下ろせ!」とすごい剣幕で怒鳴りつけていたんです。
伊沢 はははは!
大西 私は震え上がって、改札を出られずしばらく眺めていました。ヤンキーはずっと完全無視。ところが伊沢さんも折れずに叱り続け、けっこうな時間が経ってからヤンキーが根負けして足を下ろしたんです。私は自分にはこの度胸はないと雷に打たれた気分でした。伊沢さんって裏表がない真っ直ぐな方なのだなと、ワッと熱い気持ちになったんです。
伊沢 あれは本当に偶然の出来事でした(笑)。でも、もしもあの時ヤンキーが駅にいなかったら、あの本作りも対談ふんだんも御破算になってたかもしれないんだよね。
大西 その後ご自宅におじゃまして、ヤンキーの件で感動を引きずっていたものの、やはりお断りするつもりでした。すると伊沢さんが2階から封筒に入った札束を突然持ってこられ、編集費の半分だと渡されたんです。
伊沢 『はっぱのぐそを始めよう』ではゴーストライターと編集をお願いしたんだね。
大西 駆け出しのフリーランスで金銭的にきつかった私はゲンナマに目が眩みました。手に取るとその重みに心揺さぶられ、NOと言うはずが「やりましょう!」とつい口から出てしまったんです。カバンの中に札束を潜め、電車に揺られて東京まで帰った夜のドキドキを忘れられません。
伊沢 そうだったんだ。あの本ができたのはヤンキーのおかげだけでなく、編集費の前払いも役立ったとは知らなかったなぁ(笑)。
糞土師がパソコンを使うようになったワケ
大西 本の制作は前途多難で、まず出版社が全然決まらなかったですよね。野糞をテーマにした本は軽犯罪法に触れるから出せないと言われたり。最終的に山と渓谷社から出版されたのですが……。
伊沢 本当に、原稿云々以前に出版社探しでだいぶ歩き回ったね。
大西 対談ふんだんの制作面で大変だったのは、伊沢さんが当時頑なにパソコン使用を拒んでいらっしゃって、手書きの原稿を2人の中間地点の小山駅で受け渡したり、改札内のカフェで打ち合わせをしたり、それ以外の時は郵送やファックスでやりとりしたりしなければならなかったこと。私が家に帰ると、連日細かい赤字入りの原稿がファックスでずらずら流れてきていました(笑)。
伊沢 申し訳ない! こだわりが強すぎて、パソコンも携帯も持たない完全なアナログ人間だったからね。
大西 糞土師の意地のようなものも感じました。インターネットが使えない伊沢さんからは、映画のチケットを買うとか交通手段を調べるとか、雑務もよく頼まれました。読みたい新刊本が出ても、伊沢さんの近所には書店がないですし、Amazonは絶対に使いたくないとのことで、私が東京の書店で買ってお届けしたり。しかしあの伊沢さんが、パソコンを使う日が来るとは!
伊沢 そうなんだよ……。
大西 私が対談ふんだんの仕事を1人で抱えきれなくなって、ある時ベテラン編集者の友人に助けを求めたんです。その友人も含めて伊沢さんと3人で打ち合わせした際に、彼女が伊沢さんに「今時パソコンもなしでこのような仕事は引き受けられません」と強く説得してくれたおかげです。作業がとてもやりやすくなりました。
デジタルツールを長らく拒まれてきたことからもわかりますが、伊沢さんは妥協しません。文章についても修正が延々と続きますし、写真についてもきっと徹底的に理想を追求されていたからこそ、独学で一流の写真家になられたのだと思います。そのポジションを糞土師になるからとパッと退いて、その後は一切カメラを持たれない潔さもすごいですよね。
逆に伊沢さんの難しい面はせっかちなところです。私は自分が待ち合わせに遅刻したり進行が遅れた時などに伊沢さんから何度か叱られたことがあるのですが、伊沢さんの叱るエネルギーには独特の圧があって、ジリジリ詰められる感じが辛いんです(笑)。講演会ではおおらかで楽しく見えるので、これは私の知っている伊沢さんのウラの顔の一つかもしれません。
伊沢 まったくその通りで、ここまで頑張ってくれた夏奈ちゃんの存在の大きさに感謝しているからこそ、この場でいろいろ話してもらいたかったんです。
「対談ふんだん」の始まり
大西 『葉っぱのぐそをはじめよう』が2年がかりで完成し、これで伊沢さんから卒業だと思ったら、次は「対談ふんだん」をやりたいと言われました(笑)。
伊沢 糞土思想はウンコや野糞の世界のものだと思われがちだけど、その目的は人と自然の共生社会を目指し、良い環境の中で幸せな暮らしを実現すること。だからそれをもっと人間社会に広げていかなくちゃいけない。そのために、さまざまな分野の専門家と対談したいと思ったんです。でも対談ふんだんの構想も、実現するまでけっこう時間がかかったよね。
大西 ゲストの方に対談を依頼するときに送付する依頼文の文面作りだけでも、膨大な修正を繰り返しましたね。伊沢さんとの過酷な二人三脚マラソンの日々が再び始まりました。当時の私も収入がまだ不安定で、深夜にヤマトの荷物仕分けバイトをやることもあったりして、またもやお金の誘惑に駆られて制作に関わることに……。
ところで伊沢さんは、なぜ対談ふんだんで死の問題までやりたいと思われたのですか?
伊沢 大きなきっかけは、高校の国語教師をしていた長野淳子さんの存在です。淳子さんが生前に書かれた「生ききりたい」という手記を読んで衝撃を受けて。それに私自身もステージ3の舌癌を経験して、糞土思想の先にある「しあわせな死」の探究が始まっていた矢先に淳子さんの文章に触れ、ぜひ対談させていただきたいと思ったんです。
大西 その時点では私は関わっていなくて、伊沢さんが淳子さんへ個人的にお手紙を書かれたんですよね。
伊沢 死が目の前に迫っている淳子さんに、死について話を聞きたいと依頼するなんて、正直言ってすごく怖かったよ。とんでもないことだろうって。おまけにパートナーの長野亮之介さんからも嫌われてしまうかもしれないって。
大西 長野さんは『葉っぱのぐそをはじめよう』のイラストを全部描いてくださったイラストレーターさんで、伊沢さんにとっても私にとっても長いお付き合いですものね。
伊沢 ところが淳子さんは対談を快諾してくださって。すごくありがたかったし、淳子さんという人の心の広さ、深さを改めて思い知ることになりました。
大西 伊沢さんは2017年の暮れに淳子さんと初めて死についてお話され、改めて正月に対談した時に私も取材で同行しました。伊沢さんは淳子さんの話を聞いて衝撃を受けられていましたね。
伊沢 何か生きた証を成し遂げてから死にたいと思うのが人の常だと思っていたのに、目前の死に向き合いながらも淡々と丁寧に日常を過ごしたいという淳子さんの想いを知り、肩ひじ張らずに生きて、そして死んでもいいんじゃないかと、良い意味でそれまでの価値観が大きく揺らいだんです。
おまけに淳子さんは、その直後に関野吉晴さんと私を繋いでくれたんだからね。
大西 生前に淳子さんが関野さんのモルフォセラピーに通われていて、伊沢さんのことをお話してくださったんですよね。そして関野さんの地球永住計画のゲストに伊沢さんが呼ばれて、その時の内容を対談ふんだんの第1回目に載せました。関野さんとの出会いも伊沢さんにとって非常に大きな転機でしたよね。さらに関野さんが伊沢さんの映画を作られることになるとは……おふたりの出会いがこんな凄い化学反応を起こすなんて、私も驚いています。
伊沢 私にとって関野さんは、以前は近づくのも恐れ多いような雲の上の人だったんです。ところが地球永住計画で実際に会って話をすると、すごく腰が低くて謙虚で、それでいて探究心も行動力も抜群の凄い人でした。その関野さんが初監督を務めた映画「うんこと死体の復権」のロケにプープランドを選んでくれて、素晴らしい映画が出来上がって感激です。
大西 対談ふんだんを始めた頃、伊沢さんは100人と対談したいとおっしゃっていました。現段階で40人を超えたとのことですが、実は最初の頃は対談がなかなか成立しなかったんです。伊沢さんはもともとお話が上手で面白いのですが、それは講演会などで一方的に話される場合です。対談ふんだんでゲストをお招きしても、相手から話を引き出すというより、伊沢さんがウンコの話に熱くなってご自分がダーッと話されて、会話のキャッチボールがあまりできなかったんです。
伊沢 以前も夏奈ちゃんからそう言われていたね。
大西 でもこれまで対談を重ねられて、伊沢さんはかなり変わられたのではないでしょうか?
伊沢 うーん、成長できてたらいいんだけど……。確かに講演会では自分の想いを一方的に話せばいいんだけど、この対談ふんだんでは特にしあわせな死を探究するという大きな目的があるから、相手の話を聞いて学ぼうという気持ちは持っていたよ。でも、最初の頃はまだまだだったんだね。
大西 糞土師として、色々なハードルに遭遇しながらも、高みに上り続けていらっしゃいますよね。
糞土師の「しあわせな死」とは?
大西 現在制作中の本には伊沢さん自身の最期への覚悟が書かれていますが、死に対する今の思いはいかがですか。
伊沢 今の私は死への恐怖は全然ないし、むしろ「死の力」というものに期待しているんです。アフガニスタンで活動されていた医師の中村哲さんや世界から愛された音楽家の坂本龍一さんを見ていても、死が持つ力というのを感じています。それはつまり、おふたりが亡くなった直後からその活動が世間に大きくアピールされて、それぞれの生前の想いがさらに大きく広まっていくのを知ったからです。
だから私も自分の最期の時に向けて、どんどん糞土思想の大風呂敷を広げているんです。そして言葉通りにブレずに死ねば、あいつの言ってたことは口先だけの薄っぺらなことじゃなかったんだと受け容れられて、社会全体に広まって行くんじゃないのかな。
大西 最期は火葬ではなく林の中で野垂れ死に、というのが伊沢さんの目指されている死に方ですね。でもそれでは不審死体として回収されてしまう危険性もあるので、やはり法的に認められている土葬が最善だと。だから地元の桜川市に土葬墓地を新たに認定してほしいと現在掛け合っています。所有されているプープランドの林の一角にご自身の遺体が埋められて、自然に還るというのが最終的な夢ですよね。
伊沢 いや、実はもう一つ、土葬の問題が解決したら警視庁のある桜田門で野糞をして、軽犯罪法違反で捕まるという構想もあるんだよ。これを「桜田門外の便」と言ってね、捕まったらもちろんウンコで野糞闘争を始めるんだ! 私も茨城県人で、水戸ッポの一人だからね。「桜田門外の変」を起こした水戸浪士の血が流れてるんじゃないのかな。
具体的に言うと、1万円未満の科料を払えば免責されちゃうんだけど、絶対に払わずに1ヶ月間拘置所に入って、その間トイレを拒絶して床にウンコをし続ける。そして裁判に持っていくんだけど、その証拠物件はウンコだよね。これには拘置所も検察も裁判所も、ほとほと困るだろうね。そして自然に命を返す野糞を犯罪扱いする軽犯罪法を潰して、それを理由に本の出版などを拒否してきたこの社会を、自然と共生するまともな社会に変えるんだよ。これが私の人生最後の闘いになるのかな。
大西 ……。土に還るその日まで、伊沢さんは止まることを知らないということですね。伊沢さんの死にきっと悲壮感はなく、土の中でいのちの再生を果たされて、糞土師の物語は続いていくんでしょうね。『うんこになって考える』も、やっと出版のめどがつきました。来年初夏には出せそうですね。
伊沢 そう! というわけで、引き続きよろしくお願いします。
(構成・写真/大西夏奈子)