中村之菊(政治活動家)×伊沢正名(糞土師)
「右翼」と聞いて、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。今回は、かつて右翼団体に所属しており、現在は政党を立ち上げて沖縄の米軍基地の東京への引き取り運動を行う中村之菊(なかむらみどり)さんと対談。伊沢さんが以前から持っていた「右翼」のイメージをすっかり変えてしまう時間になりました。
右翼のイメージが変わる
伊沢 右翼と言えば、これまでは日本の伝統こそが正しいとする国粋主義の印象を持っていました。それこそ、日の丸を掲げて、大音量で街宣車を走らせているような。ですが中村さんの存在を知って、右翼のイメージが大きく変わってしまったんです。
中村さんは、沖縄への基地押しつけを批判して、沖縄の米軍基地を東京に引き取る運動をやっていますよね。威圧的な街宣車でがなり立てるわけでもなく、たった一人で路上に立って、米軍の危険性や政治のおかしさなどを丁寧に訴えている。
一般的に右翼というのは、国を守るという保守の観点から、軍隊や基地には賛成という意見が多数派だと考えていました。なぜ中村さんは、米軍基地に反対し、そして東京への引き取り運動をおこなっているのでしょうか?
中村 そう、右翼にもいろいろいるんです。私が考える右翼は、愛国心よりも、愛郷心。
郷土、つまり生まれ育った地元や、土着の自然や信仰を大事にしています。だから皆さんが想像するいわゆる右翼の思想とは、少し方向性が異なっているんです。
伊沢 なるほど。確かに愛郷心と聞くと、国や天皇自体を礼賛する右翼思想とはだいぶ違いますね。
中村 そうなんです。そして愛郷心という観点から考えれば、日本の米軍基地の約7割を押しつけられている沖縄の人たちが怒るのは当然だと考えています。日本全体の安全保障の名の下に、自分たちの郷土だけが汚されて、危険にさらされているんですから。
このいびつな構造をなんとかするのが、東京生まれの自分の責任なのではないか。何度も沖縄に通って現地の人と対話する中で、その思いを強くしました。
思いがあるなら、議論しているだけではなく行動に移すのが、右翼の精神。基地反対とか、自然破壊反対とかと言っているだけで何も行動に移していない人って、その行為に加担しているのと同じですからね。
そこで私の行動として、「沖縄の米軍基地を東京へ引き取る党」として、今年参議院選挙の東京選挙区で出馬したんです。
実は昨日も、兵庫・京都・大阪を弾丸でまわっていたんですよ。選挙の公約として掲げている米軍基地引き取りについて、「本土に基地が固定化するのでは」との質問をいただいたんです。どうせなら直接会いに行って、きちんと対話したいなと思って(笑)。
伊沢 いやあ、本当に行動力がすごい! 頭で考えるだけで何もしない人は、確かにたくさんいますよね。
そして自分が正しいと思えば思うほど傲慢になって、人の意見を受け入れられなくなってしまう。だからこそ膝を交えてしっかり対話するのが大切なんだけど、そのためにわざわざ遠くまで出掛ける中村さんのエネルギーに、ほとほと感心してしまいます。
ところで、基地の引き取り運動はすでに大阪や福岡など、各地で行われていますよね。今回中村さんはなぜ選挙に出るという形を取ったんですか?
中村 やはり、市民運動の限界を感じているからです。引き取り運動が存在していたことは知っていましたが、交流もなかったので、今回は実質一人で出馬しました。
卓上の議論や政府への“陳情”という形では、なかなか物事は進まない。私たちが立ち向かうべき敵は、大きいんですよ。だから、ひっそりと運動を続けているだけでは、現状を打破することはできないだろうと思いました。
実現に一歩でも近づけるには、やはり選挙という形で、運動の枠を越える必要があると考えたんです。
情念で通じ合える
伊沢 中村さんのように、右翼ではあってもすごくリベラルな考えの人もいるのに、なぜ右翼のイメージは変に凝り固まってしまったのだと思いますか?
中村 右翼の考えが固定化されてしまったのは、戦後なのではないかと感じます。戦前の右翼には、郷土愛や自然信仰の精神がまだ残っていたのですが、戦争を経て政治的イデオロギーが思想に介入しすぎた結果、国家や天皇といった概念が強く打ち出されるようになってしまいました。
イデオロギーとアイデンティティは、本当は別物なのに。江戸時代には、自分の「村」のことを「国」と呼ぶこともあったそうです。
伊沢 そういえば、方言を「お国なまり」とも言いますね。
中村 故郷=国なんです。ですが、今の私たちが国と言われて思い浮かべるのは、あの日本地図ですよね。近代では国という概念が一気に大きくなって、故郷という身近な存在から切り離されてしまったのではないでしょうか。
伊沢 なるほど。だから愛郷心も薄らいでしまったと。
ところで中村さんは、どうして右翼に関心を持ったんですか?
中村 実は私は、右翼と名乗っているわけではないんですよ。
伊沢 え、そうだったんですか?
中村 ええ。「右翼の女性、米軍基地反対」みたいな記事タイトルって、インパクトあるじゃないですか。だから、メディアに出るときは右翼という部分が強調されて、そのイメージが強くなってしまった。とはいえ18歳から右翼団体に所属していたので間違っているわけではないし、否定もしていません。
最初に右翼に興味を持ったきっかけは、おばあちゃんでした。私が小学生の頃に、天皇が崩御したんですが、その時ってテレビの報道が全部その話題になったじゃないですか。真剣にその報道を見ているおばあちゃんに、一体これの何が面白いのかと尋ねたら、「お前は日本人じゃないのか」と諭されたんです。
なぜそのエピソードが衝撃だったかというと、うちのおじいちゃんは戦争がきっかけで、言語障害が残っている。天皇は、おじいちゃんに障害を残した戦争に、紛れもなく大きく関わっていますよね。それなのに、おばあちゃんはなぜ天皇をそこまで大事にするのか。そこに強烈な疑問を抱いたんです。
現に、私の父親は天皇を嫌っていました。そんな家庭で育ったことで、天皇という存在をどうしても無視できなくなったんです。
伊沢 ということは、けっして右翼的な環境で育ったわけでもないのに、18歳のときに右翼に入ったきっかけというのは、一体何だったんですか?
中村 その頃、社会問題に興味があって、いろんな政党の話を聞きに行っていたんです。そのときに右翼団体の話を聞いて、「裏表がない所」が好きになりました。ダメなところも含めて、さらけ出している所があるんですよね(笑)。
そもそも右翼にも左翼にも根本的な違いはないと思っていますが、右翼は主意主義で、左翼は主知主義なんて言われてもいます。つまり、意見の食い違いがあっても、情念で通じてしまうのが右翼。
たとえば基地引き取りについて、地元の友人と意見が合わないとする。でも、同じ釜の飯を食ってきた仲間だしなって思えれば、たとえ意見が異なっていても許せちゃうじゃないですか。一方で主知主義は、論理を軸にした正義を持っているので、意見が合わない相手は許せない。「なぜわかってくれないんだ」と、説教を始めてしまうんです。
実際に私は、10代で結婚、出産するという、言ってしまえば社会の規範からはみ出した人生を送ってきました。それでも右翼団体には、そんな私を見放さず、目にかけてくれる人たちがいた。そういうところに恩を感じているし、その人間臭さが性に合っているのかもしれません。
見えないものは、存在しないのか?
伊沢 論理では意見が合わなくても、人は情念で通じ合えると、そこに中村さんは惹かれたんですね。神道の自然信仰の考え方にも、目に見えない精神的なものを信じるという点で、通ずるところがあるかもしれませんね。
それに関連して、最近すごく驚いたことが私にもあったんです。今対談している場所は、実家の古民家を改修して糞土塾のイベントスペースとしても使っている部屋です。庭には楠の古い大木があって、その隣に氏神様の祠があるんですが、10年以上なんの手入れもせずに放置していて、ほぼ崩れているような状態でした。
そうしたら、ここに泊まりにきたある女性が、ここには霊が住み着いていて夜な夜な出てきて、お酒が欲しいとか、もっと大切にするように言ってもらいたいとか迫ってきて、安心して眠れないと。先祖をもっと大事にしたほうがいいと言うんです。
私はそういった感覚が鈍いので、霊の存在なんて全然感じられないんです。ですが、彼女がそう言うならば信じてみようと一念発起して、祠を新しくして、しめ縄や幣束などもきちんと飾って、祝詞をあげて祀ったんです。
そうしたら途端に、ずいぶん運気が上がってきたんですよ。糞土師の活動や糞土塾を紹介する機会にも多く恵まれるようになりました。
そしてなんと言っても驚きなのは、中村さんとも対談したいと思っていたら、それまで何の面識もなかった中村さんの方からいきなりメールが届き、その数日後にはここに来て、直接話が出来ましたよね。おまけに選挙が始まる少し前には、糞土庵の屋根裏部屋で中村さんのトークイベントが実現しちゃったり! 全くもって、ビックリの連続ですよ(笑)。
中村 へえ、すごい。確かに霊は木に宿ると言いますもんね。木造の古民家であれば、森に宿っている霊をそのまま連れてきているのかもしれませんね。宿るのは紛れもなくその土地の守護神である産土神(うぶすながみ)だという人もいます。
現に神社などには御神木と呼ばれる大樹がお祀りされていたりもします。最近で言えば、明治神宮にある夫婦楠と呼ばれる御神木があり、他にもモミの木などがいわゆる「パワースポット」として人を寄せ付けました。明治神宮は代々木にあり、書いて字のごとく「代々(だいだい)の木」がたくさん植えられていることからこの地でいかに「木」があることで人々の暮らしが守られてきたかということがわかるかと思います。
バカバカしいと思う人もいるでしょうが、樹木という存在は水が豊かであることと土壌が良くなければ長きにわたり育ちません。生命として考えても大木になるには何十年何百年に及びますが、その生命をありがたく建築材料にして暮らしを豊かにするということは、当たり前のようで奇跡とも言えます。
伊沢さんはその当たり前を、奇跡なんだということに気が付いたから運気が上がったのかも知れませんね。
伊沢 そうですね。このときに感じたのは、たとえ自分にスピリチュアルな世界が見えなくても、その存在を否定してはいけないということ。
合理的で分かりやすい科学的な世界と、精神的で一見曖昧な世界、どちらが正しいというものでもないと思います。「私には見えないけれど、それはただ単に、私個人にその存在が見えていないだけかもしれない」という視点が大切なのではないかと。
私は糞土師になってウンコが持つ価値が見えてきたから訴えてきたけれど、多くの人は「ウンコに価値なんてない」と頭から決めつけて、きちんと見ようともしない。自分の頭の中にないものでもいきなり否定したりせず、先ずは受け止めてみることが大事だと痛感しました。
その愛国は、恋国かもしれない
伊沢 私は中村さんの存在を知ったときに、すぐ対談ふんだんにご登場願いたいと思いました。というのは、「この人は本物だ!」と直感したからなんです。歴史修正主義ってありますよね。戦時中の南京大虐殺や従軍慰安婦問題、沖縄を捨て石にしたことなど、都合の悪いことはすべて無かったことにして、自分たちは正しいんだとふんぞり返ろうという、ケチで卑怯な連中が大勢います。
でも中村さんは違った。それらの負の遺産を正直に認め、その反省に立って、虐げられてきた沖縄の人々の苦悩にしっかり寄り添い、自己犠牲も厭わずに行動してますよね。実はその姿勢こそが、本物の愛なんじゃないかと私は思っているんです。
右翼や保守系の人がよく使う言葉に「愛国心」ってあるじゃないですか。それから「恋愛」という言葉もあって、私は恋と愛についてこんな風に考えているんです。
人でも国でも、自分が好きになった相手を自分の思い通りにしたいのが「恋」で、相手が幸せになることを願って行動するのが「愛」。つまり恋は自己中心で、愛は相手中心。真逆なんです。
中村 確かに漢字を見ても、「愛」は心が真ん中にあり真心。一方で、「恋」は心が下にありますね。確かに恋は、自分本位の下心なのかもしれない。
伊沢 おお、本当ですね! これは気づかなかった。恋は下心だから、度々悲惨な犯罪に繋がるんですね。
だから、歴史修正主義者が言っているような、過去にきちんと向き合わないで自国は正しいと開き直っている国なんて、どこからも信用も尊敬もされませんよ。それは「愛国」なんかじゃなくて、ケチ臭い「恋国」なんです。
そこへいくと、中村さんのは本物の愛国心ですね。私はそこに強く惹かれるんです。
中村 私は、日本はいい国だと主張するのではなくて、愛される国になるように努力するのが、国を愛することだと思っています。自分たちの国はかっこいいと思って、日本がやることなら何でもかっこいいという発想なら、単なるナルシズムに陥ってしまう。
ですが同時に、日本で愛国心を語る難しさも感じます。たとえばフランスは、フランス革命を経て、自分たちの憲法を作って国を作り上げてきた歴史がある国です。
一方で、戦後の日本は、与えられた平和と憲法の中で生きてきた。自分たちで希望して、戦って、獲得してきたわけではないんです。与えられた枠組みの中で満足しなければいけない歴史の中で、自分で考えることを放棄してきてしまった。そんな国民性があるんじゃないかと、うっすら感じているところがあって。
そんな中で、愛国心とか大きいことを言われても、イメージが湧きにくい。だからこそ、私は愛国心よりも愛郷心を訴えたい。せめて、美しい自然が残る故郷と、そこにいる人たちを大切にしようと伝えたいんです。
沖縄の米軍基地の東京への引き取り運動も、その思いが行動になった一つ。今回の選挙では落選しましたが、3043人が私に票を入れてくれました。東京で、私に賛同してくれる人が3043人もいる。これはむしろ、大きな自信になりました。
伊沢 私も中村さんのFacebookで街頭演説の様子などを見ていたんですが、これほど政治家に相応しい人はいないんじゃないかと、強く感じました。はっきり言って3043票というのは少なすぎると思っているんですが、大きな組織票がある政党がしのぎを削っている真っ只中で、無名で組織力もない中村さんがこれだけの支持を得たというのは、次のステップへの大きな推進力になりますね。
次は都知事選ですか? 新たな世界を切り拓くために、右も左もない、愛郷心が根本にある本物の愛国心を、より多くの人に見せてやってください。私も応援します。
※この対談は4月に行いましたが、
<了>
取材・執筆・撮影:金井明日香