常識の裏に潜むものに目を向ける(後編)

越智典子(絵本作家・翻訳家)×伊沢正名(糞土師)

前回に引き続き、絵本作家・翻訳家の越智さんと対談を進めました。

死ぬことと、医療の現場で起きていること

越智 この話がしづらいなあと思うのは、こうした環境の問題は、確かに人間の人口さえ減ったら、割と落ち着く話だと思うんです。だけど、それを目指しましょうよとは言えないですよね。ただね、人はいずれ死ななくてはならない。その死が、しあわせなものであればいいな、と思います。私は今年母を亡くしたんですが、その時知ったのは、高齢者にとって、怖いのは死ではないんだということでした。死ぬときに痛いんじゃないか、苦しいんじゃないかって怖いんです。

伊沢 「しあわせな死」が目指しているものとは全然違うんだけど、その点は安楽死で解決できるよね。

越智 母は癌治療せずに癌とともに生きてきて、最後の二週間だけ、緩和ケアを受けました。痛みを取る処置は最大限受けたいけれど、延命はやめてほしい、という母の希望は、ありがたいことに叶えられました。でも普通は、病院だと延命されますよね。私たちも延命しなくちゃいけないと、思い込まされてきたところがある。延命装置を取ってくださいということは、死を意味するわけで、一回つけてしまったものは外せなくなってしまう。でも、それは嫌だという風潮が最近は強まっています。だから伊沢さんの言われる「しあわせな死」は、社会にスーッと受け入れられる素地があると思います。

伊沢 私も延命治療は絶対受けたくないし、火葬も反対だから、そろそろ最期かなと感じたら誰にも知られずこっそり山にこもって、野垂れ死にするのが望みなんです。何年か前ですが、横浜で、患者の苦しみを思って延命装置を取り外した医師が、殺人罪に問われるという事件がありましたよね。しかも有罪が確定して医師免許は取り消されるし、もうメチャクチャだよね。それが私が批判している、人権や法律というものの嫌らしさなんですよ。

越智 あれは可哀想でしたよね。遺族もきっと、無理矢理生かされている姿をかわいそうだと思ってたと思うんです。ただ、装置を外した時に死んでもいいと思っていたかどうかがはっきりしなかったために、あんなことになってしまったんでしょうね。

伊沢 でも、人の気持ちなんてその時々でコロコロ変わるから、そんなこと言っていたら何も決められないんじゃないですか。だからこそ七代先を見越して決めるという、アメリカ先住民の生き方に憧れるんですよ。

越智 以前、私の父が心臓の大動脈破裂で倒れたことがあったんです。父は以前から、管に繋がれて生きるのは嫌だと言っていたから、手術はしないで欲しいと医師に伝えたんです。そしたら医師は、手術をしないと死ぬことになる、それを承知の上だと念書を書いてくださいと言うんです。わかりましたと言ったけれど、そのあと奇跡的に父の意識が戻ったんです。「じゃあ手術しましょうね」と母が聞いたら、聞こえていたか聞こえていなかったのか、父が「ウン」と小さく答えて、その言葉があったために、結局手術することになったんです。

その後、下半身不随になりましたけど、管に繋がれた姿ではなくなりました。父も「いただいた命だからありがたく思うよ」と言ってくれたので私たち家族も安心しました。でも、もともとは明記はしていなかったものの、管に繋がれて生きる可能性があるなら手術は絶対にやめて欲しいというのが父の意思だったんです。

その時しみじみ思ったのは、手術しないという選択肢も医師としてはあるのだということ、ただし、確証が必要ということです。絶対に後から決心を変えないでくださいねと言われました。当たり前ですけど、医師だって怖い。

伊沢 訴えられたら殺人罪だものね。法律の残酷さですよ。そして「人は生きているだけで価値がある」なんていう人権派好みの言葉も、はっきり言って恐怖です。だって、安らかに死ぬことを許さないんだから。むしろ人によっては、人権派に苦しみを押しつけられていますよね。

越智 ふだんは、みんな法律とは関係ないところの阿吽の呼吸で生きていますよね。ところが法律がからんでくると、自分たちの感情と合わないことがある。ていねいに法律を調整していく作業が必要だと思います。

糞土思想を理解してもらうより、自分が糞土師として豊かに生きる

伊沢 写真家から糞土師になったとき、それまで仲間だと思っていたキノコやコケなどの関係者の多くが、蜘蛛の子を散らすように一気に離れていったんです。中には「裏切り者」と言っている人もいたらしく、伊沢は変なウンコの世界に行っちゃった、とんでもない奴だと。結局、なんで野糞をしているかがちゃんと理解されていなかったんです。

越智 それはきっと、伊沢さんのことを知らない人たちですよ。伊沢さんがキノコを撮る姿をずっと見てきた立場からは、糞土師になったのは、それはそうだろうなあという納得がありますよ(笑)。伊沢さん自身は変わっていないと感じます。ただね、伊沢さんはみんなにも一緒に野糞をやってもらいたがるじゃないですか(笑)。それが、もしかしたら他の人たちにとってはきついものがあって、伊沢さんから距離を置いたのかもしれないですよ。

伊沢 いや、私は人に野糞を強要するつもりは全然ないですよ。でも、野糞こそ人と自然の究極の共生だと強く言っているから、普通にトイレを使っている人にとっては耳が痛いかもしれないですね。

越智 糞土師になってから、小学校の先生たちが本物の教育をしようと活動している「カマクラ図工室」に、伊沢さんはウン校長として参加していますよね。その中の一人の先生が、「僕はまだ野糞をしていない。だから本来は投稿する資格はない」と報告書に書いているのを読んで、可哀想だなあと思っちゃったんです(笑)。 

それは、野糞しなきゃダメだよっていう同調圧力だと思うのよ(笑)。その先生は、野糞できない自分を反省して反省文書いてるわけですよね(笑)野糞したい人はしたらいいと思うんです、それが気持ちよかったら。だけど、嫌な人もいると思うんです。子供を見ていると、オムツにするときでも、ウンチするときは隠れるんですよ。カーテンの間とかね。やっぱりこれは、動物的な本能なのかも。ウンチすることは、無防備な状態になるし、誰かに見つかる可能性がある時にしたくないというのは自然だと思うんです。だからね、野糞を他人に強要しちゃ、かわいそう!(大笑)

伊沢 いやいやいや〜、強要はしてないけどね!(笑)。でも、ウンコは恥ずかしいし、それは本能だ、というのは分かります。私自身、未だに人前で堂々とは出来ないですからね。

越智 でもね、野糞しないのは、良識に毒されているからと、伊沢さんは考えるわけでしょ(笑)

伊沢 まあ確かにね、以前はちょっと強要しちゃったかもしれないど・・・・、今は強要してないです(汗)

私は写真家を辞めて糞土師になってからというもの、自然を基準に考えて、それに反する人間社会の良識まで強く批判してきました。じつは以前、それを側で聞いていたカミさんが、「せっかく人が一生懸命良いことをしようとしているのに、それを頭ごなしに批判するなんて!」とむくれちゃってね。それが離婚の一つの要因なんだけど、後で会ったときに元カミさんが、私を悪い人じゃないし、田舎の暮らしは良かったって言うから、「じゃあ帰ってきたら」って言ったら、「糞土師をやめたら考えてもいい」って言われちゃって……。

越智 もしかすると、そこにヒントがあるのかもしれないですよね。糞土思想を広めるために、一生懸命主張するのか。それとも誰に何を言われようと楽しく美しく伊沢さんがそういう生活をして、そのうち感化された人たちもそういう風に生きて・・・、をめざすのか。後者のほうが、みんなが乗ってくるのかもしれないですよ。

伊沢 そうですね。これまでは、いかに糞土思想を理解してもらえるかを考えて活動してきたんです。でもこれからは、私についてきたくなるような生き方を目指したほうが良いかなと、だんだん方向性が変わってきました。

越智 うん、うん。ひたすら楽しそうにやっている人がいると真似したくなりますよね。以前西荻窪に、ヒッピーの溜まり場だったお店があって、美味しい野菜も売っていたからよく買いに行っていました。そこで、『ジョーがくれた石』という本を勧められて読んだんです。著者は田舎に住んでいて、野糞はしていないけどトイレは汲み取り式。自分で汲み取って、それを畑に運んで撒いて、野菜も作って。そのうち奥さんが亡くなるんです。それで悲嘆に暮れていると、友達がいっぱい、弔問に来てくださるわけです。その次の朝、お客さんがいっぱい来たからトイレが溢れそうになる。それで、悲しみの中で、その肥(こえ)を担いで畑に向かうんだけど、途中でヨロっとして肥がこぼれるんです。その情けなさと哀しみと。でも今までもこうやって生きてきたんだから、これからもこうやって生きていかなきゃいけない。そういうことが書かれていて、すごく感動したんです。こういう生き方をしている人がいるって、この世は捨てたもんじゃないなあ、と。美しいと思えた。そのことがずっと心にあったので、伊沢さんにこの本を読んでくださいと薦めたことがあります。

糞土師をやるんだったら、作物を育てるところまでやらなきゃダメよって、余計なお世話だけど。そこには自分たちの出したもので作物を育てて食べて、という循環がある。自分たちをえらいと思っているわけでもない。そういう生活がしたいからしているだけなんです。伊沢さん、これがいいんじゃないかなと思ったんです。

伊沢 う~ん、残念。その本読んでなかったです。じつは別の人からも、循環を言うんだったら出すだけじゃなくて、食べて入れるのもやらないとダメだ、と言われたことがあります。でもその時は、食に関しては多くの人がやっているけど、ウンコのことは誰も言わないから、私はこれに特化してやっていくんだ、と反論したんです。それは「居直り」かもしれないけどね。

野糞をする本当の理由

伊沢 以前、講演会で、有機農業をやっている人から野糞を批判されたことがあるんです。ウンコはいい肥料になるのに、野糞なんてしちゃったら、せっかくの肥料が回収できないだろう!と(笑)。でもね、それは違うだろうと思ったんです。結局ウンコになっても自分たち人間のために使おうということですよね(笑)。

農作物であっても、雨や太陽の光、微生物の働きなどがあって、自然全体からもらっているでしょう。だから、最終的に人間から出たウンコは自然全体に返すべきだというのが私の考えなんです。

越智 それは短絡的ではないかしら。伊沢さんが食べているものだって、誰かが作ったものをもらっているんだし。伊沢さんが野糞するのは、理屈ではないでしょう?さまざまな心配せずに野糞できたら、野糞って気持ちいいもの。

伊沢 でも、野糞を始めたのは義務感と責任感からで、当初は結構苦労しながらやってたんですけどね・・・。

越智 義務感と責任感ですか・・・どうも、無理があるなぁ・・・。そもそも、「僕は野糞するのが好きだから野糞しています」というのが伊沢さんの本当のところなんじゃないの、実は。

伊沢 もちろん、それはそうだけど(笑)。

越智 だからね、理論武装しても、本音がそこにないのがわかってしまう(笑)

伊沢 なるほど、鋭い!!・・・今のすごかった・・・!参りました!(大笑)!

越智 野糞すると気持ちいいのよね?だから伊沢さんは、やってるんですよね(笑)

伊沢 全くその通りです。楽しいからこそ15000回以上も野糞が続けられたんです。それから食に関しては、私は栽培するのは好きじゃないんですよ、面倒くさいから。

越智 あら、本音が出ましたね(笑)

伊沢 山に行って山菜を採ってきたほうが楽しいし、花を見るんだったら野山に行って、現場で咲いているのを見たほうが気持ちいいしね。人工的なものはあまり好きじゃないんです。  

越智 そうでしょ?だから野山に野糞して返しているわけですよ。人間、好きなことはずっとできますよ(笑)

伊沢 いや〜負けた〜、参りました!(笑)自分でも意識していなかった深層心理まで読まれちゃいました。……そうか〜、実はそうだったんだね〜(大笑)

越智 伊沢さんとは長い付き合いですからね(笑)。でも伊沢さんのえらいところは、どんなに批判されても怒らないところですよね。

伊沢 だって批判って、自分の欠点に気づかせてくれるものでしょう?こんな有り難いものはないですよ。でも、自分がなぜ野糞にこだわるのか、本当の理由に気づく前だったら、「いや、そうじゃない」と反論したかもしれないですね。でも今は完全にやられちゃった。自分で意識していなかったよね、こんな心理があったとは。いや〜、そうだったんだ〜。完全に負けました。

結局、外でするのが気持ちいいから野糞していた、それが一番の理由なんですね。いや〜やられた〜。まさかこんな結末になるとは〜(大笑)!

                     <了>

                              (取材・執筆・撮影/小松由佳)