水洗トイレは、ウンコと自然を切り離す?

法律は誰のためのもの?

伊沢 法律や行政はなぜ、自宅に循環型トイレを設置することを禁止しているんだろう?

熊倉 し尿をどこにも流さないトイレは、イコール汲み取りトイレ(バキュームカーが巡回してし尿を回収する)という扱いになるんです。下水道が完備された地域にはバキュームカーは汲み取りに来ませんからね。なので、自宅から出るし尿の行き場がなくなり、不衛生、と捉えるんですね。私は行政に対して、バイオトイレなら家庭の中でし尿処理を完結させるからバキュームカーに来てもらわなくても良いし、ゴミ処理にも出さない、全て自己完結できるんです、と主張しましたが、ダメでした。

熊倉さんの自宅に設置される予定だったバイオトイレ。微生物がし尿を分解して、きれいにする。

伊沢 そう考えると、法律ってなんなんだろうって考えちゃんですよね。

法律って、何か問題になった時にお役所が責任逃れできるよう、例外を全て排除してしまう。熊倉さんの自宅でのバイオトイレの提案自体は筋が通った話なのに、例外と一括りにして禁止しますよね。そのやり方は卑怯なんじゃないかって、私は考えています。

何か問題が起きたら、一番低いレベルに合わせておけば問題ない、という安易な方向へ走っていると思います。ある意味では平等なのかもしれないけれど、そのマイナス面もきちんと認識しないといけない。たとえば、グミを喉に詰まらせて子どもが亡くなったら、喉に詰まらせないようにグミの固さを柔らかくルールで決めてしまう。確かにそのルールがあれば、グミを喉に詰まらせて亡くなる子どもは減るかもしれない。でも、子どもの噛む力が衰えてしまうというデメリットもある。何事も表裏一体です。

こういうこと言うと、「子どもが亡くなっても良いのか」みたいに批判されるんだけどね。でも、みんな批判されるのが嫌だから、問題から逃げているんだと思う。一見良識的な、やさしそうなことを言っていれば、批判はされませんから。でもそれでは、何も良くならないですよね。 

熊倉 確かに伊沢さんみたいに、みんながきちんと考えて行動できれば、ルールはもっと緩くても良いかもしれません。ですがそうとは限らないからこそ、ある程度は決まりを定めないとうまく社会は回らないのかな、というのが私の考えですね。

伊沢 もちろん「ある程度」というのは大切です。でも、法律で決めてしまうと「絶対」になってしまうのが怖いです。

ノグソも今は軽犯罪法で規制の対象になっているために、多くの人がしてはいけない事と考えています。でもノグソを禁止することで、逆に何が失われてしまうのか。それを糞土師として告発していきたいんです。