日常のなかに死と生が存在することの穏やかさ

長野亮之介(イラストレーター)× 伊沢正名(糞土師)

    

長野淳子さんが旅立たれてから2年が経ちました。夫の亮之介さんにとって、同級生だった淳子さんは高校時代から憧れの存在。2人は26歳のときに結婚し、淳子さんの最期を亮之介さんは自宅で看取りました。33年間の日々を共に暮らしてきた亮之介さんは今、何を思うのでしょうか。三回忌を前に、お話を伺いました。

 

淳子さんが旅立ってから2年が経って

伊沢 淳子さんは末期ガンが判明したとき、覚悟が決まっていてすごい人だなあと思ったんです。でも亡くなられた後、淳子さんを失った亮之介さんに長い間喪失感のようなものを感じていました。

それで、本人だけではなく周りの人にとっても納得できるものでないと、「しあわせな死」とは言えないと思うようになったんです。

亮之介 でも、亡くなる本人が周りのことまで周到に考えて亡くなるということは、なかなか無理ですよね。あとは残された者の問題であって。

伊沢 個人レベルの問題ではなく、もっと社会的に死のことを広げて考えたいんです。今まではだいたいが個人の問題ですよね。

亮之介  今はね。でも昔の人はみんな家の中で死んでいったから、死がもっと身近で社会的なものだったと思うんですよ。

伊沢 でも今はほとんどの人が病院で亡くなります。

亮之介 孤独に亡くなることも多いからね。

伊沢 そういう意味で、周りの人たちももっと納得できるような、辛くて悲しいだけじゃない死というものを探求したいんです。

亮之介 それって結局、生前の人間関係の作り方だと思います。淳子が亡くなって2年になりますが、特に最初の1年は毎週のように家に来客があって。夫婦でつきあう友達も多かったから、みんな来てくれたと思うんです。

これは推測だけど、俺がもし仕事一筋の人間で地域や趣味で人と関わることも全くなくて、夫婦共通の仲間もいなかったら、たぶんこうはならなかったと思う。

伊沢 孤立しちゃっていたらね。

亮之介 そうそう。たまたま俺が極楽とんぼみたいな人間だからそういう関係性を作れたのかもしれなくて、それは運が良かったなあと思うんだけど。

伊沢 淳子さんが亡くなって特に最初の1年間は、私には亮之介さんがすごく痛ましく見えていたのですが、本人はそれほどでもなかったんですか?

亮之介 そう。……でもそういえば、最初の夏はYouTubeで悲しい歌を探して1人で泣いたりもしたなあ。

伊沢 だけど仲間がいっぱい来て盛り上げてくれていた。その仲間が今いるのは淳子さんの力も大きいのでしょうね。亮之介さんと淳子さんの関係は「しあわせな死」の1つの形だと思います。淳子さんがいなくなったことは寂しいけれど、決して悲しいとか苦しいとか不幸ではない。

亮之介 それを「しあわせ」と言うかは別として、不幸とかはないですよね。